第42話 根拠無き力 その6

 そう。誰でもが知っている。勇者の使命は……魔王を倒すことだ。


 ようやくそれに気がついて、俺の頭の中は真っ白になった。




 エイドリアンが俺の顔を覗き込む。その時の俺はどんな表情をしていたのだろうか。苦渋に満ちた顔か、はたまた何も考えられなくなった呆けた顔か……。


 どちらの表情でもおかしくは無いが、おそらくは後者だったのだろう。その証拠にエイドリアンは俺に少しの時間を与えてくれた。


 でも、俺は別に何も考えられないわけでは無い……おそらくエイドリアンから告げられた事実が、俺の心の許容範囲を大きく超えてしまっているのだ……。


 だからこそ、冷静にならなければならない。


 

 


「どう?ことの重大さが少しは理解出来たかしら。」


「一応理解だけは。でも……。」


「そんな事、起こるはずがないって思ってる?」


「ああ。あり得ないだろう普通は。いくら妹が勇者に選ばれたしても、あいつが俺に剣を向けるはずが無い。」


「そう。普通はあり得ないわ。あなたと妹さんがてき同士になるなんて、あるはずが無いの。今のあなたはもちろん魔王では無いし、妹さんもまだ勇者では無いから。」


 だから……何に焦ることも怖がることも無い――


 そんな言葉を俺は期待していた。しかしそれと同時に、この話がそんな単純なものでは無い事を俺は既に理解していた。


「でもね……。」


 それは、予想していた言葉だった。やはり否定されるのだ。


「でもなんて、ねぇよ。」


 その無茶すぎる設定に腹がたった俺は吐き捨てる様に言った。


 だってそれじゃぁ、俺達兄妹がこれまで積み上げてきた記憶や思い出、絆まで全てが無かったみたいじゃないか。それら全てを忘れて、俺達兄妹がいがみ合うなんてことがあるはずが無い。


 しかし、エイドリアンは淡々と言葉を続けた。


 その表情は至って穏やかだった。しかしそれは、喜怒哀楽の激しい彼女が見せる始めての表情。それが俺にはなんとも不気味だった。


 当たり前だ。


 この時……。エイドリアンも俺と同じ思いだったのだ。彼女にもかけがえのない存在であるショーン少年がいる。 だからこそ彼女は表情を偽らなければならなかったのだ。


 そして、エイドリアンの口から、表情を……いや、自分自身の心を偽らなければ、到底語ることの出来ない真実が語られた。



「数年後。この世界に風が吹くわ。そうすると全てが今までと変わってしまう……。」


「風?」


「ええ。風よ。」


「チェッ、また風かよ……。台風か?竜巻か?それとも……俺が想像も出来ないくらいの天変地異か?でもどっちにしたって俺達兄妹がかたき同士になることなんてあり得ない。」


「違う……。風は大地には吹かない。人の心の中に吹くの。」


「心? そりゃいったいどう言う意味だよ。」


「吹き飛ばしてしまうのよ。風が。私達人間の心の中にある記憶や知識、そして家族や友人の思い出も何もかも。この世界はでは千年ごとに人々の記憶がリセットされるの。神の手によってね。」

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