第35話 毒の姫 その17

「ひどい顔ね。」


 姫はそう言ってケラケラと笑った。


「なんだよ。笑うことないだろ……。」


「だって、貴方が可笑しな顔をするから……。せめて痛いなら痛いって顔をすれば良いのに。だったら私だって笑わないわよ。」


「俺だって必死に痩せ我慢やってんだよ。察しろよ……。」


「察しろって言われても何を察しろって言うの? 私達ってさっき出会ったばかりよ。」


 姫はそう言いながら……今度は俺のふくれっ面に笑った。


 確かに姫の言う通りだ。俺達はついさっき初めて出会ったばかりで、普通なら察するも何もあった関係では無い。単に俺が妹の前で格好の悪い所を見せたく無いだなんて……そんなこっちの都合なんて彼女が知っているはずはないんだけど……。まったく、わざとらしいにもほどがある。本当は分かってるくせに――。


 明らかに彼女は俺のちっぽけなプライドに気がついている。その証拠に姫はチラッチラッっとこれみよがしに妹に視線を送ってはさっきから俺をからかっているのだ。


 だけど、なぜだろう。それが不愉快でないのは彼女が俺の身体を本気で気遣ってくれているからなのかもしれない。


 そんな毒の姫君は俺をからかってひとしきり笑った後、俺に一粒の丸薬を与えてくれた。


 起き上がることすら出来ない俺に、丸薬を飲みやすい大きさに潰して、水をゆっくりと口へと運んで「単なる痛み止めよ。」彼女は、サラリとそう言ったけど……。

 

 その薬の効果は驚くべき物だった。


 俺の身体を支配していた狂おしい程の痛みは、薬を飲み込んで五分と立たないうちに何処かへ綺麗さっぱりと消え去ってしまったのである。


「私の特製よ。さっき貴方が身を呈して守ってくれたお礼。でも、痛くないからって動ける様になった訳じゃ無いから。ごめんね……私に出来るのはここまでなの。」


 得意げに、そして申し訳無さそうに姫が言う。


「いや、充分だよ。これでやっと普通に笑えることが出来る。お礼をしなくちゃならないのはこっちの方だよ。」


 そう言うと。俺は今度こそいつも通りの笑顔を作る事が出来た。

 でも、俺に出来るのは、姫に言われた通りたったそれだけだった。痛みが消えたところで断たれた筋肉や砕けた骨は元に戻るわけでは無い。


 今の俺には、自ら歩く事はおろか身体を持ち上げることすら出来ないのだ。出来ることと言えば所在無さげにただ微笑む事ぐらいしかない。


 気を良くしてお礼などと言っては見たものの、その瞬間俺は改めて自分が置かれた状況に気付かされたのである。


「でもまぁ、この有り様じゃあ、やっぱお礼なんか出来ないな……。それに……この身体じゃぁどうやって……。」


――この険しい山々を進んで行けば良いのだろうか。


 それは、いわゆるなんてものでは無くて、突きつけられた現実だった。


 しかし、そんな現実を毒の姫は……


「それは、まぁ……。問題無いと思うわよ。」


 そう事もなげにこう言ってのけたのだ。

 

「問題無いって?もしかして君が背負ってくれるのかい?」


「まさか……それだったら貴方の妹ちゃんの方が適任よ。私にはそんな力は無いもの。でも貴方だってそれは嫌だろうし、担がれる貴方だって大変でしょう?だから助っ人を呼んだの。」


「助っ人?」


 予想外の言葉に俺は思わずそう聞き返した。こんな僻地にそう簡単に人を呼ぶことなどできるのだろうか。

 

 だが姫はそんな俺の不安をよそに言葉を続けた。


「ええ助っ人よ。私的わたしてきには非情に不本意ではあるんだけど……多分貴方も知ってると思う。」


 もったいぶった意味ありげな言い方。だが姫からは、俺をからかっている素振りは見えなかった。


 たぶん嘘は言っていない事は分かる。でもこんな場所にどうやって人を呼びつける?その上で俺が知ってる人物……はっきり言って俺にはさっぱりだ。


 一瞬だけ、あの牛頭山で出会った魔王達の姿が脳裏に浮かんで消える。嫌な予感がして、俺は頼むように言った。


「ごめん。本当に分からないんだ。教えてくれ。」


 そんな俺の予感はある意味で的中していたと言っていい。なぜなら本人がそれを認めなければ誰かなんと言おうと魔王では無いからだ。つまりこの場合は当たらずも遠からずと言ったほうが良いかもしれない。


 いずれにせよ……その時。毒の姫は少し不機嫌そうに顔をしかめながらその名前を口にした。


瑛凛エイリンよ。」


 俺は一瞬その言葉の響きに戸惑う。まるで中国人の様なその名前は、こちらの世界ではあまりお目にかかったことがない。


 だが、何故か聞き覚えがある……忘れようとしても忘れることの出来ないその響き。少し考え込んで俺はハッとした。


 そうだよ。あいつがいるじゃないか――


 エイリン……。もちろんその名前を俺が忘れるわけが無い。確かあの魔法がめっぽう得意な残念メイドは主人に自分の事をそう呼ばせていた。確かに彼女なら……エイドリアンなら、その魔法の術でもって傷ついたオレの身体を完全に癒やすことが出来る。


 つまり、これからの俺達の旅に希望がさすのだ。

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