第34話 毒の姫 その16

 それは余りにも一瞬の出来事で、俺にもその時にいったい何が起きたのか……それをはっきりと理解することは出来なかった。ただ……。妹の声が聞こえた瞬間。突然ドラゴンの頭と胴体が切り離されたのだけは覚えている。



 そして、俺の記憶はそこからぷつりと途絶えた。





 確か……邪神の時もそんな感じだったか……。どうも俺は、ここぞという時に気絶をする癖があるみたいだ。


 しかし今回は……幸いにも前回の様に黄泉の世界へ片足を突っ込むような真似だけはなんとか避ける事が出来たらしい。

 手もある。足もある。もちろん腹も頭も……。それら全身の感覚が嫌と言うほどはっきりとしていた。なぜなら、とにかく全身くまなく体中の至る所が痛くてたまらないのだ。


「お目覚めかしら?」


 耳に入ってきたのは、毒の姫君の声。不思議なものだ……。一時ひととき死を覚悟しだけで、なぜだかさっき出会ったばかりの彼女の声が妙に懐かしく聞こえた。


「ドラゴンは?」


 先程までの出来事がまるで夢の中の出来事様な気がして、俺はそれを確かめるように、そっと口を開いた。


「貴方の妹が、たった一撃で仕留めちゃったわ。凄いわね彼女……。」


「そうか……あれはやっぱりレイラだったんだ。」


「彼女……。今は、見張り役を買って出てくれているの。まだ何匹かの飛竜が時々こちらの様子を伺ってるみたいだったから……。」


 毒の姫がそう言って視線を向けた先には、確かに妹レイラの姿があった。そして……数十体にも及ぼうかという飛竜の死体と、胴体と頭が切り離されたあの悪辣極まりないドラゴンの姿。辺りに広がる景色が、自分の記憶とようやく馴染み始めた。


 あの瞬間。レイラはドラゴンの首を一刀のもとに切り落としていたのだ。はっきり言って見事としか言いようがい。


 しかし、その中でぽっかりと抜け落ちた自分の記憶。身体中の痛みの理由わけも多分その中にあるのだろう。


 傍らには毒の姫君。おそらくは彼女が戦闘の最中に倒れてしまった俺の様子を見ていてくれたのだろう。今の彼女は、ドラゴンと対峙していた先ほどまでとは違って、いかにも年相応の娘らしい穏やかな表情を見せてくれている。


 そんな彼女が、俺の呆けた表情を見て取って事の顛末を教えてくれた。


「あなた……。妹さんに切り落とされたドラゴンの頭の下敷きになったのよ。」


 当然そんな記憶は無いのだが……、前後の状況から考えてそれが真実であることは疑いようもなかった。


「なるほど。どおりで身体中が痛いわけだよ。」


「そりゃそうよ。あの大きな頭を一人で受け止めたんだもの、今のあなたの身体はボロボロよ。」


「そうみたいだね。これはたぶん骨が何箇所か折れてしまってるな。ほんと君の言う通り俺の身体はボロボロだ。」


 だって今の俺は一人で立ち上がることすら出来ない。俺はいわゆる照れ隠しでぎこちない笑顔を作って見せた。


 でも、毒の姫はそんな情けない俺の姿を笑ったりはしなかった。それどころか……「あなたのおかげで私もトントンも怪我一つしてい無いの。だからお礼を言うわ。どうもありがとう。」そう言って俺に頭を下げたのだ。


 これは俺にも予想外だった。あの高飛車で身勝手な……俺に『姫』なんてあだ名をつけられるようなこの娘が、まさかのお礼だなんて。



 なるほど――。どうやら俺は、気位きぐらいの高い姫君にお礼を言われるぐらいには活躍していたらしい。


 状況が少し分かって、俺は少しほっとした。多分その時の俺は、二人に被害がいよばないように咄嗟に身体が動いたのだろう。しかしその結果が……やっぱりのこの有り様である。


 なんとも格好のつかない自分の姿と、面と向かって姫にお礼を言われた気恥ずかしさで、俺はいつの間にか声を上げて笑っていた。


 もしかしたらその中には窮地を脱した安堵感もあったのかもしれない。しかし……その時の俺の笑顔が、多少いびつな笑顔になってしまっていたのは御愛嬌として勘弁してもらいたい。なぜなら、今の俺は、身体中の骨や筋肉がズタズタのボロボロなのだ。

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