第32話 毒の姫 その14
頭上に広ろがる灰色の煙は、風に流されながらもなかなか晴れる様子を見せない。時折、有象無象に成り下がった飛竜達が、鳴き声を上げてこちらの様子を伺う様に煙の隙間から顔を出す。
紛らわしい……。その都度意識が持っていかれる。
そして俺は、その度に煙の奥からいつドラゴンが飛び出して来ても良いように、再び気を引き締め直すのだ。
右からか、それとも左からか、はたまたど真ん中からか……。これではまるで賭けだ。だが……全方向に対処するのが不可能ならば、絞る的はやはり中央しか無い。
そうと決まれば後はやるだけである。
まるで馬鹿の一つ覚えの様に、再び剣を頭上高くに持ち上げた俺は、脳内で何度もさっきの一撃を再生する。力を込めるのは剣と腕だけでは無い。全身に巡らせた流動的な力を一瞬で沸騰させる。そして、つま先から頭の先までの全身を使ってぶった切る。イメージはそれだけだ。
俺にとって短くは無い緊張がどれくらい続いただろうか。奥の手はもう無いと言い切った姫は、幼い少年の手を握りしめ、全ての成り行きを俺に預けているようにも見える。
しかし、なかなかドラゴンは顔を見せなかった。
風に流され次第に薄れていく煙の端から、また1体のワイバーンが顔出す。
俺はその姿にほんの一瞬だけ気を取られた。
その時であった。狡猾なドラゴンは、恐らくその瞬間をじっと待っていたのだ。
突然、背後から吹き付ける一陣の風に俺はハッとする。同時にバサッっと言うこれまた大きな音が2回。「しまった!」言うより先に全身がブルッと震えた。
それは嫌な予感と言うような生易しいものでは無く。まさに恐怖だ。ドラゴンは、煙に隠れてなどいなかったのだ。
なんと憎たらしい作戦であろうか……。
姫が用心深いと言ったその言葉通り、ヤツは俺達より1枚上手であった。この狡猾なドラゴンは視界を遮る煙とワイバーン達を囮にして、自分はこっそりと俺達の背後に回り込んでいたのである。
まさに万事休す……。
いや、休んでいる暇などはなかった。咄嗟に俺は叫ぶ。
「無理だ逃げろ!」
隣には、恐怖で顔を引きつらせているトントンと言う名の幼い少年。姫が彼を運ぶには少し荷が重い。ならばと、俺は少年をぐいっと引き寄せて、再び脇に抱えた。一撃は浴びせられなくても彼を連れて初撃を躱すぐらいならなんとかなる。
だが……その時。再び想定外の出来事が起こる。
なんと、さっきまで怯えていたはずの少年トントンが突然俺の腕を振り払って駆け出したのだ。そして少年はあろうことか急降下で突撃してくるドラゴンの前に立ちはだかったのである。
「バカ!死にたいのかよ!」
不意を食らった俺は、喘ぐように叫んだ。これ以上俺達には時間がないのだ。もう彼を連れて逃げ出すのは不可能……。
正直そこからは理屈よりも身体が先に動いたと言っていい。気がつけば俺は少年をかばうようにしてその前に立っていた。
彼をかばいたいのか、それともドラゴンに一撃を食らわせたいのか……。それは俺自身にもわからない。
ただ……一方で、背中の少年はやはり迫りくる恐怖にうち震えていた。だが、それでもなお彼が潤んだ瞳でドラゴンを睨みつけるのには確かな理由があった……。
「お、お母様を……返せ!」
震える声を絞り出しながら、確かに少年はそう言ったのだ。
もう、俺にだって分かる。なぜこの少年が震える身体を奮い立たせ恐怖に立ち向かっているのかを……。
それは、ドラゴンの右前足に吊るされるようにして引っ掛けられていた。
白き異国の衣装は鮮血で赤く染まり、だらりと手足をぶら下げてうなだれるその姿は、生きているのか死んでいるのかもはっきりとしない。
おそらく彼女が……この少年の母親なのだ。
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