第9話 風 その4

 後ろを振り返ると決意が鈍る。そんな気がして俺は眼下に広がる山の裾野すそのだけを見てただ真っすぐに険しい道を下って行く。


 もしかしたら少女が言う『人々の記憶を奪ってしまう風』なる物騒な代物が、いわゆる代償と言うものなのかも知れない。不安と言うにはあまりにも漠然とした思考が、ふと頭に浮かんで消えた。


 だが、しかし……。記憶が消えると言う彼女の言葉がこの世界中の人々全てを対象にしたものならば、やはり俺には少し荷が重すぎる。


 それに、俺達が魔王だと言うなら……


 おそらく……世界を救うヒーローは別に存在するはずなのだ。


 だからこそ……


「やはり辞退をして正解だった。」


 今はそう思うしか無い。



 ただ……。そうは言っても、思考は巡るもの。一度知ってしまった事を意識して忘れると言うのは至難の業だ。それこそ後頭部を棒か何かで突然殴られでもすれば話は別ではあるのだが、あいにく俺はそれを気配で察知してしまうぐらいには強いのだ。


 例えば今。俺は、可愛い弟子達が、目の前にそびえる岩肌の向こう側までやって来ているのが分かる……分かってしまう。つまり万が一にも俺の記憶が飛んでしまうということはあり得ないと言う事だ。


 それこそ少女の言葉通り『忘却の風』とやらを待つしか無い。




「確か……知の賢者とか言ったか……。」


 エイドリアンはあの三人に『魔導の賢者』と呼ばれていたが、その『知の賢者』はエルドラの地で暮らしているという。それは奇しくも、居場所を失った俺達が目的地と定めた場所と同じであった。


 少女は夕日に赤く染まった楼門の下で、彼女の言葉に全く取り合おうとしなかった俺に向って、最後にこう言っていた。


「せめて……。せめて七人の魔王のうちの一人……。知の賢者ポージー=メイフィールドに会いに行って。あの人は、あなたと同じあちらの世界からやって来た人だから。」



 そんな言葉を、俺は知らぬふりをしてクールを気取ってはいたけれど……。正直言うと、むっちゃくちゃ気にしなっちゃってる俺がそこいた……。


 まあしかし……。


 どうせ俺達は、これからエルドラに向かうのだ。今すぐに何か答えを出す必要は無い。問題の先延ばしこそ俺の真骨頂であることは周知の事実なのである。




「お〜い、おっさん。知り合いには会えたのかい?」


 遠くから少し息を切らせたエデンの声がする。


 確かにあの魔王殿にいた三人から見れば、俺は知り合いだっのかもしれない。そして俺も……前世では彼らと顔見知りだったというのだが……。

 はたして、これを素直に知り合いだと言うべきなのだろうか。


 だから……。

 

「いや。知り合いだと思っていたが、どうやら俺の勘違いだったようだ。もうこの山には用事は無いよ。」


 思わず俺の口から出たそんな言葉に、俺は少し笑ってしまった。



 しかし。この可愛い弟子達ときたら、俺が絶壁の上に立って、ようやく師匠である俺の存在に気がついたようだ。これでは駄目だ。彼らにはもう少し気配の察知の仕方も学ばせなければいけない。


 まぁ、結局のところ、高所トレーニングの何たるかを知らない俺がこの登山で得たものと言えば、普通に息を切らしただけの三人の弟子の姿を見て満足。そして相変わらず師匠と呼ぶ気の無いエデンの姿をに対するちょっとした失望。たったそれだけである。


 はるかエルドラへの道のりは、未だ道半ばにも到達してはいない。おそらくエルドラに着く頃にはエデンのやつも俺の真の強さを知って、俺の事を心から師匠と呼ぶに違いない。

 妹のレイラには、この旅の中で修行だけでは無くもっと他の楽しみも知ってもらいたい。それは一番大事な時に妹をほったらかしてしまった俺の責任だ。

  そしてドーマには……まぁあれだ。あの俺が邪竜を倒すと時に使用した『吸魔大法』なるものを会得させてしまえば、内なる邪悪な魔力を自らのものにして……。それはそれで将来が楽しみすぎる奴なのだ。


 さて。次の目的地は玉楼ぎょくろうと言うオアシスの町。東西の文化が交差するその町は、百年ごとに砂漠の中から現れそして消えるを繰り返すと言う。


 別名『蜃気楼の町』


 砂漠往来する商人や旅人は、いつ消えてしまうかも分からないその不思議な町の事を玉楼とは呼ばず敢えてそう呼ぶのだと言う。

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