第59話 禁忌 その3

 エイドリアンの杖に魔法陣が浮かび上がると、待ちくたびれたようにエデンが一言。


「やっとかよ……」


 当然である。カイルとエイドリアンの茶番劇が繰り広げられている間、彼は、ずっと一人だけで、魔人の相手をしてくれていたのだ。


 ショーン少年とエイドリアンが作った魔法陣のおかげで、観客を気づかい魔人の攻撃を直接受け止める必要は無くなった。そのため、エデン一人でもなんとかここまで持ちこたえていたのだが……。しかしそれもこの辺りが限界であろう。


「あんたらがちんたらやっている間に、もうこいつは人間の面影なんか無くなっちゃったぞ。早く参戦してくれよ」


 エデンの言う通り、魔人はカイルがちょっと目を離した隙にその姿を激変させていた。その姿はもう……、魔人と言うには人の姿とかけ離れ過ぎて、まさに邪神と呼ぶにふさわしい姿へと変貌していたのである。


 カイルはまず、ここまで一人で頑張ってくれたエデンを一旦後ろへと下がらせる。そして、その手にいつの間にかドーマが落としていた曲刀を拾い上げると、今まさに魔法陣を構築中のエイドリアンの前に出ていった。


「伝説ではテスカポリカは鏡を持った黒い猫とされていますが……。あれはもう、さすがにネコとは呼べませんね。まるで、とても大きな黒いライオン?」


 エイドリアンの言う通り、確かに眼の前の邪神は大きなライオンに似ていた。ここまで人間の面影がなくなってしまった以上、邪神を倒した上にドーマの命も救う事など現実的に不可能と言って良いだろう。


「今さらダークエルフの命がとか言うなよ!こいつはまだまだ強くなるんだろ?早くしないと本当に取り返しがつかなくなる」


「えぇ。わかっています。ドーマさんには本当に申し訳無い事をしてしまいました。しかし、こうなってしまっては一刻も早くテスカポリカを倒さなければなりません」


「了解。それだけ聞ければいい。じゃぁここからは手加減無しだ」


 そんな言葉と共に、威勢よく邪神の眼の前に飛び出したカイル。皆様も既にご存知とは思うが、彼はもう以前のような何も出来ないただのホラ吹きではないのだ。彼は妹と別れてから今まで『千年九剣』だけではなく、思いつく限りの様々な修行を自ら行ってきた。もちろん気功の術もその絶え間ない努力の末に身につけたものである。


 そして。今、まさに好機がカイルの眼の前に現れたのだ。


 人間相手では、今まで威力が強すぎて使う事が出来なかったあの究極の技。それは……誰もが一度は試した事がある、あのホロ苦い経験。いや、それはみんなの夢。


 もしかするとこの世界では、その夢が叶うかもしれないのだ。


 ならば試してみない手は無い。


 もちろん、カイルはその技を、未だに一度も試した事は無い。しかし、今このチャンスを逃してしまえば、もう二度とチャンスは巡って来ないかもしれないのだ。


 意を決したカイルは、手に持った曲刀を投げ捨てて、おもむろに足を大きく前後に開いた。そして大地を力強く踏みしめ腰を落とすと……。その両手にありったけの気の力をためて腰の後ろへゆっくりと引き下げた。


 そして、もちろんあの言葉を、心の底から全力で叫ぶのである。


「かぁ~」


「めぇ~」


「はぁ~」


 カイルの両手の内側には、眩いばかりの光の玉が出来上がって……。


 ――いける!いけるぞ!ついに、憧れのあの技が!俺の夢がぁ!


 カイルは心の底から歓喜した。




 しかし……その時。


「まずは私がやりますから。だから、クウちゃんは私の援護をお願い!」


 カイルのかけ声に被せるように、相変わらずの空気を全く読まないエイドリアンの声が重なって、超必殺技の集中力を一瞬にしてかき消してしまうのである。


 そして……残念ながら、この瞬間カイルの長年の夢、いや、世界全男子の夢と言ってもいいだろう。そんな夢が虚しく空気中に霧散してしまうのであった。

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