第56話 決戦 ドーマ対エデン その10
そんなショーン少年の言葉にエイドリアンは心を打たれて……。
いや、この身勝手極まりないメイドに改心なんて言葉はありえない。そんな事は、十歳やそこらの子供に言われなくとも彼女は充分承知しているのだ。
「チッ。坊ちゃまだけでも逃げてもらおうと思いましたが……やはり駄目でしたか。」
舌打ちと共に漏れた言葉。これが彼女の本音だった。彼女はただひたすら、この幼き主人のショーン=ロゼットの命。それだけをどうしても守ろうとしていたのである。
理由は多くは語らない。今の彼女ははっきり言ってクズと呼ぶのが相応しいからだ。
だが、ほんの少しだけでも、突然右も左も分からぬこの異世界にたった一人で放り込まれたエイドリアンのことを思って見れば。孤児として生まれ、幼き頃より使用人としてこき使われて来た彼女にとって、この世界でのたった一つの光がこの心優しき少年ショーン=ロゼットだったのである。
だからこそ、エイドリアンは坊ちゃまの為なら、ゲス極まりない事だろうが、何だってするのだ。
「ごめんねエイリン。今回も僕を助けてくれようとしたんでしょ。でも、もう僕は家族が殺されたあの時みたいに、ただ自分一人だけが逃げ出すなんて事はできないんだ。」
「坊ちゃま……。」
エイドリアンには分かっていた。少年なら必ずこう言うだろうと。だからこそ有無を言わさず連れ出そうとしたのだ。
しかし、魔神と化したドーマはなおもその力を増していき、そんな事ももう手遅れになってしまっていた。
少年はその赤く小さな口から、幼い彼なりの決意を言葉にする。
「今のままじゃ、僕達は悪者だよ。でもさ。僕は、あの時の奴等みたいにだけはなりたくないんだ。」
「邪神とやるんです。坊ちゃんだって普通に死にますよ。それでもいいんですか?」
「死ぬのはもちろん怖いけど……。それでも僕は。」
エイドリアンにとっては絶望的とも言える状況の中で、少年はそれでも一筋の光を信じている。
そんな少年の信じて疑わない純真な目に見据えられては、エイドリアンとて、これ以上もうどうすることも出来ない。彼女は今までもこの少年の希望に満ちた眼差しに幾度となく救われて来たのだ。
エイドリアンは、こちらの世界に転生して以来、幾度となく繰り返し唱えさせられた言葉を思い出していた。
ロゼット家のメイドたるもの。その身なりは、常に乱れなく清潔に保たなければならない。
ロゼット家のメイドたるもの。その行いは、
ロゼット家のメイドたるもの。常に品格を保つべし。メイドの品格は主の品格を映し出す鏡と心得よ。
ロゼット家のメイドたるもの……。
「はて、この中に主人の為なら命も惜しむべからずなんて言葉はあったかしら……。もし無かったら後で追加しておかなきゃ。」
さて、今回の事が主人の為なのか、それとも自分自身のけじめの為なのか……。身勝手なエイドリアンのこと、そんな事は初めからどうでも良かったのかもしれない。
だがそれよりも、あんなに大嫌いだった言葉。そこにもう一つの項目をつけ足そうとしているエイドリアンがそこにいた。
そして……。
「あぁ~もう分かりました。」
エイドリアンはとうとう覚悟を決める。
もちろん邪神とやりあうのだ。勝算など有ろう筈がない。
しかし、主人一人を残して逃げ出してしまうようなメイドが何処にいるだろうか。
それでも……。エイドリアンとて、もうこうなってはやけくそなのだが……。
「主の命令に従ってこの私エイドリアン=トゥハートがやってやりますよ。私だって将来の大魔法使いショーン様の師匠です。ならそれらしくあの邪神に特大の攻撃魔法をお見舞いしてやりますよ。マッチポンプだろうがなんだろうが今ここで私が伝説を作ったろうじゃないですか。」
ついにここに来てエイドリアンが覚醒をする。なんだかんだ言った所で、この世界のどこを探しても、エイドリアンほどの魔術師はいないのである。
「ありがとうエイリン。分かってくれて僕は嬉しいよ。」
「そう言う腑抜けた言葉は、この困難を乗り切ってから言うものです。まずは坊ちゃまと私でこのスタジアムに魔法結界を張りましょう。まだ観客達はこの決勝戦で何が起こっているのかを理解していません。観客に被害が出る前に、試合会場だけを魔法結界で包みます。」
「分かったよ。で、僕はエイリンの何を手伝ったら良いの?」
「理解がお早いですね。素敵ですよお坊ちゃま。では魔法結界の術式は私エイリンにお任せ下さい。坊ちゃまは私の術に合わせてありったけの魔力を。」
観客席の最前列に立つ二人は、そのありったけの魔力を使って瞬く間にに結界を構築していく。舞台を包み込むようにドーム状に広がって行く結界は、無色透明というよりは白。まさにそれはショーン少年の白い魔力色が可視化された結界のドームであった。
そして、その結界が観客席と会場をへだてて閉じられる最後の一瞬。エイドリアンが前方に突き出していた手をおもむろに下ろし、結界の中へと一人足を踏み入れた。
それを見た少年は慌てて手を下ろして、エイドリアンを追う。だが、そんな少年をエイドリアンはっきりとした意志で静止するのである。
「坊ちゃまはそのままで。良く頑張って結界を作り上げましたね。お見事です。」
「ちょちょっと。なんで1人で中に入っちゃうの?」
既に完成してしまった結界は、完全に内と外を分け、もう少年が結界の中へと足を踏み入れることを許さない。
戸惑う少年にエイドリアンは諭すように語りかける。
「知らなかったんですか?魔力結界は術者が倒れれば結界も同時に消えてしまいます。だから貴方は結界を外から守るのですよ。」
「でも、だったらエイリンが代わりに外で。」
「まさか。貴方が中に入って何ができますか?正直足手まといなだけですよ。それにね。その規模の結界は私一人の魔力では維持出来ません。お気づきになられませんでしたか?この巨大な結界は坊ちゃまが一人で張ったのですよ。私はただきっかけを作っただけです。ですからその結界で皆様を守って下さい。それが貴方の役割です。」
今まで、ただひたすら自らの役目を努めてきたエイドリアン。思えば、彼女が自分から少年に役目を与えたのは今回が初めてであった。
「じゃ、じゃあエイリンの役割は?」
もちろんいつものエイドリアンなら、迷いなく「忠実に主人の言いつけを守ること……」そう答えたことだろう。
しかし……。もう、少年の姿を優しい目で見守るエイドリアンの姿はそこには無い。彼女の目は既に魔神と化したドーマをしっかりと見据えていた。
そして、最後に一言。彼女はこう言って少年の眼の前から立ち去って行く。
「もちろん自分の蒔いた種ですよ。私が刈り取るに決まっているじゃないですか。」
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