第35話 レイラ 負を求めし剣聖 その17

 借りるとは言っても、実際には愛用の得物を横取りされたも同然だ。少年がふと気がつけば男に奪われていたのである。


「ねぇ絶対に折らないでよ。それ、俺のお気に入りなんだからさ」


 エデン少年は、あからさまに不満気な顔をみせた。


「なんだよその膨れっ面は。武器にはこだわるなって何時も言ってるだろ」


「いいだろ。ずっと使ってるから愛着があるんだよ」


「まったく……。それが師匠に対する言葉遣いかよ。万が一にも俺が折るわけないだろうが」


 そう言いながらも、男は渋々その手に持った棒を少年に返し、そして小さく舌打ちをした。


「チェッ。しかたないな。俺のを使うか……」


 しかし


 そんな男がマントの下に潜ませている剣は、ケチるほど立派な代物ではなく、武器屋の店頭に二束三文で売られている全くの剣なのである。


「まったく、最初からそうしろってんだ」


 少年が、吐き捨てるように言った。




 一方、スタジアムの中央では、腕自慢の美女二人が今も互いに武器を構えて、にらめっこ中である。


 槍の先をドーマに向けて、その動きを牽制するアイシア。一方でドーマは負傷した左肩を庇いながら、右手に持つ曲刀をアイシアの槍の動きに合わせて突き出している。


 ドーマとしては、深くしゃがんだ姿勢からそのスピードを活かして、一気に距離を詰めたいところだ。しかしアイシアは、この国でも指折りの槍の達人である。彼女の操る槍がチョロチョロと巧みに位置を変えて、ドーマの第一歩をしつこく阻み続ける。


 だが、アイシアはあくまでも防戦一方。自ら先手を打とうとはしない。何故なら、アイシアにはもう決め手がない。スピードで完全に劣ると言う状況の不利もあって、アイシア自ら攻勢に出る訳にはいかないのである。



 そして


 ドーマがそんな状況を打開するには、まず相手に先手を取らせるしか無い。アイシアから先に攻撃を仕掛けさせるのである。

 

 ならば相手を怒らせるよう挑発すればいい。それはまさにドーマの得意とするところ。アイシアの槍の動きを牽制しながらも、ドーマは執拗に言葉で揺さぶりをかけるのである。


「ところでさ、あんたのその白い服。それってあの娘の騎士団の物かい?」


「あの娘とは誰だ?」


「わかってるくせに。あの娘はあの娘だよ。ほら、死神レイラ」


 それがドーマの挑発だとはわかっていても、アイシアの表情がたまらず怒りに歪んだ。それは先日の大道芸人の少年の時と同じである。


「その呼び名はよせ」


 低く押し殺したような声が、アイシアの口から漏れる。表面上は、あくまでも冷静を装ってはいるが、その表情は誰が見ても怒りに震えている。


 それを見てドーマが不敵に笑う。


 ――まったく、わかりやすい女だ。これがあのレイラなら眉一本動かすことも無かったろうに。


 さて、まさに一発必中。こうも簡単に引っかかるとは思ってもみなかったドーマ。だが彼女としては、入口さえ見つけてしまえばあとはそれをこじ開けるだけである。


 そして、とうとう劇場の舞台へと乗せられてしまったアイシアに、コロシアムと言う大舞台の真ん中で、ドーマはここぞとばかりに挑発の言葉を続けた。


「あ〜。ごめんごめん。こっちでは剣聖レイラだったね」


「貴様。白騎士団は国王直属ぞ。その騎士団長に対して死神とは無礼であろうが」


 その声はもはや怒りを隠しきれてはいない。誇り高きエリート騎士のアイシアは残念ながら自らを辱められることに慣れていないのである。


 そんなアイシアに、今度は一転してなだめるようにドーマが語りかける。


「まぁまぁ。良いじゃないか少しぐらい……。君はそこがなってないよ。ほら。あんたの憧れの剣聖だって、今の会話を聞いても眉一つ動かしていないだろう?やっぱりあの娘は唯一無二。心も一流なんだよ」


 思わず、アイシアが叫んだ。


「団長は関係無いだろ!」


 まんまと対戦相手の挑発に乗せられた自分が情けない。しかし身から湧き出る怒りをアイシアは抑えきれそうに無かった。




 次の瞬間。先ほどまで、右へ左へと揺れていたアイシアの槍の穂先がピタリと止まった。


 その穂先は真っ直ぐにドーマの眉間を捉えている。


 だがドーマは話すのを止めない。さて、ここからがドーマ劇場のクライマックスである。


「関係?大有りさ。なんせ私とあの娘は同志なんだから。それにね……」


 怒りをあらわにするアイシアを目の前にして、一人高らかに語りはじめるドーマ。彼女は今、大舞台の中心に自らが立っていることを明らかに自覚している。

 彼女の口から出る言葉は、明らかにこのコロシアムに集まった人々に語られ始め……


 そして、


 観衆達はいつに間にか、この黒く美しい異相の女の言葉に耳を傾けていた。



「あんただってさ、それからここに集まった観客。そして国王も。本当はさ。私に感謝してもしきれない程の恩があるんじゃないのか?」


 ドーマの言葉は、高らかに響き渡たる。



 だが、聞く者の誰もがドーマのその言葉に耳を疑った。


 感謝?


 恩?


 いったいそれはどう言う意味なのか……。


 アイシア。観衆。その他この会場に集まった全ての者。そして国王までもが、舞台の中央を注視する。


 国王にまで自分に恩があるなどとは、まさに大言壮語。事と次第によっては、その言葉一つでこの場で即刻捕らえられてもおかしくはないのである。


 だが、ドーマ=エルドラドは恐れを知らない。


 それは、再びコロシアムに響き渡るほどの高らかな声であった。


「何故なら。人殺しを嫌がるあの娘を戦場に差し向けたのは、何を隠そうこの私なんだからね」

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