第36話 レイラ 負を求めし剣聖 その18
女の言葉の直後。会場が波を打ったように静まり返った。
――はたしてこの女が言った事は本当なのか。
一瞬。皆がそう思ったに違いない。もしこの女が剣聖をそそのかさなければ、この国は帝国に攻め滅ぼされていたに違いないのだ。
だが。群衆は程なくして、そんな疑問に意味など全く無いことに気付きはじめる。
――仮に、この女の言葉が本当だったとして、何を今さら……。
それは簡単な答えだった。
この黒き異相の女は、これ程の腕前を持ちながら、自らは何もしないまま、たった一人の少女を戦争へとけしかけた事を誇ったのだ。
このドーマと言う女と、自ら戦場へと立ったレイラは天と地ほども違う。彼女が何を言おうが、あの大戦を勝利に導き、この国に平和をもたらしたのは紛れもなく英雄レイラ=バレンティンなのだ。
いつしか静けさは次第にどよめきへと、そしてどよめきは瞬く間に、会場を巻き込んだ大きなブーイングへと変わって行く。
卑怯者!
観客席の至る所から聞こえてくる罵声。群衆は口々にドーマの事を罵り始めたのだ。
今大会で一番人気ともうたわれたドーマ=エルドラドは、この瞬間に完全なるヒールへと転落したのである。
しかし、スタジアムの中央でアイシアと対峙するドーマは、そんな観衆達の罵声をさも心地よさげに受け止めていた。
だが、そんなブーイングや罵声も、徐々に他のものへと変化していく。
それは、ゆっくりと一つの言葉となって会場を包みこんだ。
アイシア!アイシア!
ドーマが悪役に転じたことで、今度は途切れること無きアイシアコールが沸き起こったのだ。
スタジアムが一つになり会場全てがアイシアを応援する。
そして、次の瞬間。
抑えようのない憤りと、観衆の応援に背中を押されたアイシアは、たまらずその槍をドーマの眉間へと突き出した。しかしその穂先はドーマの眉間に到達する直前で、刀を持つドーマの右肩へと軌道を変えた。
この大会では対戦相手の命を奪う事は禁じられている。それは瞬間に失格を恐れたアイシアの気の迷いであった。
もちろんドーマはそんなアイシアの隙を見逃すはずが無い。いや、それ以前にドーマはこの展開を読んでいたのだ。
突き出された槍の軌道はそう簡単に変える事が出来ない。それは、たとえ槍の達人であったとしても一度が限度。二度目は無いのだ。
ドーマはアイシアが放った槍の軌道が変わったと見るや、その得意のスピードで右肩に迫った槍をギリギリで躱し、そのまま一気にアイシアとの距離を詰める。
アイシアが自らの失敗に気が付いた時には、槍の先はもう伸びきって、手元に戻すにはもう間に合わない。
――負けた……完敗だ……
敗北を悟ったアイシアは、槍を突き出した格好のまま潔くその動きを止めた。
「勝負あった……」
その瞬間、試合を見守る誰もがそう理解した。
だが……
なぜかドーマの動きが止まらない。
振り上げられた曲刀は、淡く青色に発光し勢いを失う事なくアイシアの右肩から袈裟懸けへと振り下ろされようとしていた。
「まずい!殺るつもりかっ」
ドーマの動きに部下アイシアの危機を感じ取ったしたレイラは、思わず自分の席から飛び出した。
だが万事休す。今さら舞台へと飛び出したところで間に合うはずも無い。
しかしその時である。
観客席の後方から、突如白く眩い強烈な光の矢が一直線に舞台の中央へと挿し込んだ。かと思うと、続いてガーンと言う大音響と共に会場全体に稲光のような閃光が走ったのだ。
いったい何が起こったのだろうか……。会場にそれを説明できる者は誰一人としていない。剣聖と呼ばれるレイラでさえ一瞬会場に雷が落ちたと勘違いしたほどである。
しかし、雲一つ無いこの青空の下に、雷など落ちるはずがないのだ。
ただ、そんなレイラにも、今の不可解な現象によってアイシアの命が救われた事だけは分かった。
まさにアイシアに向けて振り下ろされようとしていたドーマの曲刀が、あろうことかその柄だけを残して粉々に砕け散っていたのである。
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