第34話 レイラ 負を求めし剣聖 その16

「なるほど、穂先とは逆の石突いしづきを使ったか……」


 打たれた左肩をだらりとぶら下げて立ち上がったドーマ。彼女はそう言うと、左手の力を抜いて握っていた刀を手からガチャリと足下に落とした。


 激痛のはしる左肩は、おそらく脱臼程度では済まされないだろう。ならば使えない二本目の刀を持っていても意味が無い。


「どうです?降参しますか?」


 槍を持ち直したアイシアは、そう言って再びドーマに槍先を向けた。開始早々からその実力を見せつけて、余裕の降伏勧告である。




 しかし


 苦痛に顔を歪めていたドーマの口元が、引きつりながらも少し上に上がった。


 ――笑っている……


 そんなドーマの表情には、もちろん降参する意思など微塵も見当たらない。


 一方で、表面上は余裕の表情を装っているアイシアが、苛立ちを隠しながら、強くその奥歯を噛みしめる。


 だが、その少しの表情の変化をドーマは見逃さなかった。


「もしかして、たかが奇襲一つで勝った気になったのかい?」


 長身のドーマが、腰を落とし槍を構えるアイシアを見下ろしながら、煽るように言った。


「まったく……。刀を手からこぼしておいて」


 唸るような低い声でアイシアが言う。


 だがドーマはそんなアイシアをまるで嘲笑うかのように高らかに声を上げた。


「はぁ?私が刀をこぼす?まさか……。刀は邪魔だから捨てただけだ。接近戦の出来ない槍相手に二刀流なんて意味がないだろ?それとも君は、私が今降参しないと困る事でもあるのかい?」


 それは、予選でも時々見かける事があったドーマ劇場。彼女はわざと観衆に聞こえるように声を張り上げて、相手を侮辱する。そしてそのペースを奪うのである。


 相手に乗せられてはならない。分かってはいてもアイシアの心の奥からフツフツと怒りが込み上げてくる。


 ――くそっ。負け惜しみを……。


 表情にこそ出さないが、アイシアは、小さくそう呟くと、再び奥歯を噛み締めた。




 しかし、


 ここでのドーマの言葉は、単なる負け惜しみなどではない。この時のドーマは初撃を有利に運んだアイシアが、内心かなり焦っていることを見抜いていた。


 アイシアは、最初の一撃にこの試合の勝利を賭けていたのである。ドーマの言葉はまさに図星だったのだ。



 もちろんそれは……国王の隣で二人の勝敗の行く末を見守るレイラもまた当然の如く気が付いていた。


 槍を持つアイシアの奇襲には後の手が無いのである。






 そして……もう一人。



 いや……。もう一人と、もう一人。


 観客席の最上段の片隅で、使い込まれた背丈程の木の棒を持った少年と、その横に立つ砂漠の民の衣装を身に纏った青年。彼らもまた、アイシアの不利な状況に気が付いていた。


「ねぇ、おっさん。あの槍の姉ちゃんピンチだね」


 茶化す様な少年の声がする。


「おいエデン。おっさんじゃ無い。兄貴って呼べって言ってるだろうが」


「そんなのどっちだっていいだろ。俺は今、まじめに聞いてんの」


 チッ……


 男の舌打ちする音が聞こえた。


「あぁ。そうだよ。騎士の嬢ちゃんは当然ピンチだな」


「もしかして後の手が無い?」


「そうだ。あの黒い女のスピードがある以上、槍じゃぁどうしようもねぇよ。まぁあれでも一生懸命考えたんだろ。どうやってあのスピードに勝つかってさ」


「じゃぁ、あの姉ちゃんは、最初の一撃に賭けてたってこと?」


「そうなるな。俺も悪くない手だとは思ったが……。あの黒い女の反応が速すぎるよ。あれを避けられたら打つ手無しだ」


「ふ〜ん。やっぱりおっさんもそう考えるんだ……」


 頷く様に少年は言った。


 試合は初手を交わしたまま、未だに膠着状態のまま、お互いに何か言葉を交わしている。


「少し借りるぞ」


 男は、念のために少年が手にしていた得物えものの棒を強引に取り上げた。もちろんそれはいざと言う時の備えである。


 あの黒い女はまだ何か奥の手を隠しているに違いないのだ。

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