第15話 レイラ 負を求めし剣聖 その6
年頃の娘が二人。誰かの目の前を駆け抜けたところで気がつく者など殆どいないだろう。
いくらこの国を救った英雄と言っても、その腰に剣を帯びない彼女は、酒場や花屋で働く娘たちと何ら変わらないごく普通の年頃の娘なのである。
「ちょっと団長。もっと急いで下さいよ。ああいう大道芸人ってのは一通りお金を稼いじゃうと、直ぐに別の場所へ移っちゃうんですから」
隊服を脱いだ普段着のレイラの手を引っ張るアイシアは、武芸大会の前夜祭で賑わう中央通りの人混みをかき分けて、目的地の王城前の広場へと向かった。
「ちょ、ちょっと……。私は、まだ食事の途中だったんだけど……」
自宅でちょうど夕食を摂っていたレイラは、理由もわからぬまま半ば無理矢理に祭りへと引っ張り出される。
「お腹がお空きなら、途中でなにか買ってさしあげますから」
アイシアのそんな言葉にしぶしぶレイラは人混みへと繰り出すのだが。
挽き肉の詰まった揚げパンに、笹の葉で巻かれ蒸された鶏肉、甘い蜂蜜の香りを漂わせるパンケーキ。
食事を途中で中断させられたレイラにとって、中央通りには、美味しそうな匂いを漂わせて、目移りするほどの屋台が並んでいる。
大勢の貴族や諸侯が集まる先の戦勝記念日とは違って、大陸各地の腕自慢が集まる明日の武芸大会は、今では民衆の新しい娯楽になりつつある。年々その規模は大きくなり、今年は年越しを祝う新年祭にも匹敵するほどの賑わいを見せている。しかも今日は祭開催を明日に控えた前夜祭。街中は完全にお祭り騒ぎであった。
剣聖レイラとて、この様な賑やかさは嫌いではない。だが今回はアイシアに無理矢理連れてこられたために財布を忘れて来たのが悔やまれた。多分やむにやまれぬ理由があるのだろう。だが、アイシアには用が済み次第、取り敢えず先程見つけたパンケーキだけは絶対に奢らせてやるとレイラは決めた。そうで無いと食事を中断させられた腹の虫が治まりそうにない。
しかし、結局レイラは何も口に入れる事が出来ないまま、とうとう中央通りの終点、王城前広場へと連れてこられてしまった。
「あぁ~。やっぱり終ってましたか……」
辺りをキョロキョロと見回しながら、何かを探している様子のアイシアは、たいそう残念そうな口ぶりでそう言った。だがその目はまだ辺り探すことをやめてはいない。
この王城前広場は先日まで大会出場者の受付があった場所である。だがそれも今は撤去されて、明日の予選の組分けが発表される予定の大きな掲示板に変わっていた。
そして、明日の朝一でこの掲示板に武芸者達の名前が一斉に掲示されるのである。
「まったく。いったい何だったのだ?こんな場所まで連れてきて。せめて説明ぐらいしてくれないか」
突然何も告げられないまま連れ出されては、そう言いたくなるのも当然である。普段は温厚なレイラもこの時ばかりは言葉に少し怒りを滲ませた。
「申し訳ありません。どうしても団長に見せたいものがあって」
「だから、それは何なのだ」
「それが……。大道芸人の少年なのです。さて、もしかしてもう別の所に行ってしまったのでしょうか……」
どうしても未練を断ち切れない様子のアイシアは、そう言いながら、それでもひっきりなしに辺りを見渡している。説明もいい加減で気も
「あぁ~もうわかった。私が探すからその少年の特徴を言え。」
とうとうレイラが焦れた。いや、先程から焦れてはいたがこのままいつまでもアイシアに任せていては屋台が先に閉まってしまう。
聞き出した特徴は、十二、三歳くらいの砂漠の民の衣装を着た髪の黄色い少年。色とりどりの綺麗な石を使った芸を見せているらしい。
それをなんとかアイシアから聞き出したレイラは、直ぐにその視覚を広場の全方位に向けた。
『千年九剣 第一層 超空間認識』
それこそ、レイラが兄から初めて教わった第一の剣技。レイラがあのトンボを數える修行によって修得した技である。
全方位に向けたレイラの視覚は、瞬時に彼女の脳の深層へと直結する。そしてこの広場に集まった何百人と言う人々の情報。それは背丈、性別、衣装。そして目の色に至るまでそれら全てが、瞬時にしてレイラの脳内で再構築された。
人は物を見る時、その対象を脳の中である程度簡素化した後に自らの記憶と照合し認識する。例えば丸い点が3つ『∵』の配置で並ぶと人の顔に見えてしまうのもそのためである。
だが、この超空間認識は目から入った情報を直接認識する方法である。つまり例えるなら、普段の『見る』が頭の中に漫画を描くことだとすれば、この技法は脳の中にバーチャル空間を構築するようなものである。
その為、脳内で処理しなければならない情報量は想像を絶するほど膨大になり、いくら剣聖レイラといえども常に使い続けることはできない。
後の世。帝国との大戦の際に剣聖レイラが単身で敵軍の中に分け入りこの超空間認識を連続使用したと言われたが、それは誤りである。その時、彼女はこの技法を細かく断片的に使用することにより疑似的に連続使用と同じ状況を作り出したのである。
脳内に作り出された仮想空間には、見ると言う行為は必要とされない。それはまるで現代のコンピューターの如く瞬時に必要な情報が取り出すことが出来るのだ。
「いた。多分あの子だ」
城門の西側。多くの冒険者がたむろしているその先。手に色とりどりの石を持って……。
レイラの思考が、そのあり得ない事態に一瞬途切れた。
なんとその少年は地面ばら撒いたカラフルな石を、目隠しをして拾い上げる芸を聴衆に披露していたのである。
レイラの胸に動揺が走る。それは彼女が幼き日、あの山の中の小さい村で兄と共に磨き上げた絶技とうり二つだったからである。
「まさか……。あれは第二層?もしかしてあの少年。九剣術の第二層を使えるのか?」
思わずそう声に出したレイラ。
それと同時にレイラの足は少年へと向かって進んでいた。
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