バーテンダーは静かに眺める
染谷市太郎
バーにて
都心にある雑居ビルの谷間。そこにひっそりと存在するバーがあった。
常連客で成り立っているそれは、しかし来る人を拒まずという性格のバーテンダーが切り盛りしている。
10年以上経営するここで、転換期を迎える人も少なくはない。
そして、このバーの常連客である赤井と青木、この二人の男の出会いも、小さなバーだった。
その日はクリスマスの夜ということもあり、街中で鳴り響くクリスマスソングに誘われて街にはカップルが大勢溢れかえっていた。
あの小さなバーも、その影響にあやかって、梯子の途中で寄ったり、締めの店として訪れたりした新規の客を取り込んでいた。
それでも、店内は普段と大きく変わることない。世界中から集めた骨董品が店を飾る中で、古い蓄音機の針がレコードの上をなぞり一昔前のジャズをBGMに、落ち着いた雰囲気が漂っている。
常連客である赤井も、この日もいつも通り仕事帰りの一杯をカウンターの隅で飲んでいた。
赤井のアルコールが入ろうともネクタイを緩めない姿から、真面目で実直な性格が見て取れる。その性格ゆえか、初めて来店した頃は平社員だったが、現在では何人もの部下を持つようなポストについている。
バーテンダーは時の流れを感じながら、ぽつりぽつりとグラスを傾けつつ語られる世間話に相づちを打っていた。
そのとき、扉のベルが鳴り一組のアベックが来店した。片方は猫のように甘えた声で高価な香水とブランド品をふんだんに身に着けた若い女性。そして彼女を連れていた男性が青木だった。
赤井と青木は、後々仲の良い店の常連とはなるが、その初対面は最悪と言っていいほどのものだった。
青木とその連れは、会話からすると先ほどであったばかりの連れ合いのようだった。べつだん恋人関係でもなければ友人でもない、互いに一晩だけの関係。
こういった酒の場ではそのような人々は珍しくはない。彼らは既に別の場所で飲酒をしていたのか、入店した瞬間から高揚した雰囲気で店内が一気に騒がしくさせる。
騒がしくなった、とは言うもののここは酒を飲む場。多少そういった者がいたとしてもバーテンダーは黙認している。他の客の迷惑にならなければ。
しかしその様子に物申すと立ち上がった者がいた。赤井だった。普段は比較的温厚で、多少皮肉が口から漏れ出る程度の赤井。しかし、この日はアルコールが入っていたためか、あるいは機嫌が悪かったのか、皮肉嫌味の雨あられを降らせていた。
「酒の味も分からずただ酔うだけの人間が来るべき店ではない」
「貴様のような女性をとっかえひっかえするような男は、女の家でも行けばいいのではないかね?」
などとそれはそれはもうとげとげしい言葉をマシンガンのように飛びださせていた。
青木は、しかしその言葉を受け流すほど達観した性格ではない。
当然の如く口論になり、果ては口だけでは飽き足らず手や足まで出そうとする始末。
成人男性二人が取っ組み合いを始めたとすれば、この店が、何より飾ってある繊細なアンティーク品が壊されかねない。
たまらない、と顔をしかめたのはバーテンダーだ。しかしここで無理やり止めても火に油。経験値の高いバーテンダーはよく知っている。
そこで、バーテンダーはそれとなく、店の隅に設置されたダーツを指す。勝負はバーらしくダーツで決めればいいのでは、と誘導した。
赤井と青木は、勝負であればなんでもよかったらしい。うまい具合に目論見通りに動かされた二人に、三本ずつダーツを渡される。
ルールはシンプル、得点を多く取れれば勝ちの三回勝負。先攻後攻をじゃんけんで決め赤井が先にラインの上に立った。
先攻。アルコールが入っていても赤井の腕はなまってはいない。しなやかに伸びた指から放たれたダーツは真っすぐ飛び18のシングルに。恐らくブルを狙っていたのだろう、小さな舌打ちをつき青木に変わる。
続いて青木にはじかれたダーツは、19のシングルへ刺さった。ダブルのぎりぎりで止まったそれを見て、べたりとくっつき黄色い歓声を上げる連れの腰に手を回し、赤井にしたり顔を見せる。
一回戦目は青木の白星。
これには赤井も黙っていられず、ジャケットを脱ぎ腕まくりをした。乱雑に取ったダーツを三本の指で支える。煽られたのにも関わらず、ゆっくりと静かに、丁寧に放たれたそれはボードの真ん中、ダブルブルへと着地させた。これにより50点の獲得だ。
確実な白星を取ろうとする赤井。その誘いに、青木も勝負に出る。
ダーツにおいて最高得点は、20のトリプルリングによる、60点。これを取れれば青木の完全勝利だ。
放たれたダーツは、しかし、20のシングルへ。
またしてもギリギリだな、と赤井の煽り。青木は額に血管を浮かせ、勝負に燃えていた。
二回戦目は赤井の白星。
これにより一対一。次の回で勝敗が決する。
両者一歩も引かずに白熱する勝負。店の中ではどちらが勝つか酒をかける客もいた。
3ラウンドまでもつれ込んだ試合は、はたして。
着実に、とダブルブルを狙った赤井の手は、シングルブルへと、25点の獲得。
その結果に、意趣返しにダブルブルへと放った青木。しかし、そのダーツはシングルブルへと。
同点。引き分けである。
三回勝負。これでははっきりできない。そうさらなる勝負を求める二人に、バーテンダーはよく冷えたキールをだした。
これ以上は店の主が許しませんよ。そう言外に伝えるバーテンダーに、二人は互いの健闘を称え、乾杯するしかなかった。
その後、この店では二人が一緒に飲む様子を散見できるようになった。
目的は再戦だ。ダーツから始まり、酒の飲み比べやトランプ、ビリヤード。バーテンダーが許可する勝負であれば、二人はいくらでも挑んだ。勝ったり負けたり、負けたり勝ったり。
赤井と青木。二人の目的が、相手に勝つことではなく、相手と勝負をすることにすり替わっていく様子を、バーテンダーは静かに見守っていた。
しかし、彼らは店の外では連絡を取っている訳ではない。この店が二人のアドレス代わりだった。
お互い今夜はいるのかいないのかと運任せで来ており、相手がいないときは少し落ち込みながら一人で飲むこともしばしば。
ちなみに青木が連れていた女性は現在この店をひいきにしており、先日は彼氏と別れたと泣きながら焼酎をあおってバーテンダーを困らせていた。その時は手の尽くしようがないほどの泣きっぷりだったが、翌朝に店で出会った新しい彼氏を連れられ帰っていった。これにはバーテンダーも複雑な心境を避けえない。
とはいえ、そのようにバーテンダーを長年務めていれば多彩な人間関係に触れることもあり多くのことに察しが良くなる。喜びに悲しみ、そして恋愛感情にも。
赤井と青木。二人がお互いに抱いている感情が、友愛からそれ以上へと変化していることは、本人よりも先に看破できた。
二人は性に関してはストレートでまさか同性に惹かれるなど思いもしなかっただろう。彼らが互いに思い合っているということは実に奇跡的で、運命ともいえるかもしれない。
青木に至っては女好きということもあり、特に自覚が遅れたと思われる。
しかし、そんな彼も赤井と出会った日から女性と関係を持つことも減り、二人が会う回数が増えると、ついには女性の影が散らつくこともなくなった。
一方の赤井は、自身の感情に気付いてからは悶々とする日々を送った。ついにはバーテンダーに相談するようになっていた。
しかしながらしがないバーテンダー、直接的なことを言うなど邪道中の邪道。できるのは静かに見守ることだけだった。
ただし、アドバイスは行う。
例えば。最近の夏は酷暑となり、サラリーマンのクールビズは必須。普段はネクタイをかっちりとしめ首元をさらさない赤井も、涼をとるためにかネクタイもせずボタンも外し、普段よりも見える肌が多くなっていた。
それをちらちらと青木の目線。ワイシャツからのぞく、首から鎖骨のラインへと向いていることから、効果が抜群なことは見て取れる。
しかし、普段と違う様相が刺激的すぎたのか。そんな童貞のような理由で青木はその日、普段よりも早めに切り上げ帰ってしまった。
外へと向かった青木の背中を見送り、いつもの一人酒に戻ってしまった赤井。ワイシャツのボタンを一番上までしめ、わざわざ外していたネクタイを鞄から取り出し直した。
クールビズ作戦、普段とは違う格好に意識してもらおうという。まるで思春期の女子のような可愛らしい意図。それにより赤井は珍しく着崩していた。
しかし、効果があったものの一人になってしまったことに落ち込んで少し度数の高い酒を頼んでいる。
二人とも高校生なのだろうか、と甘酸っぱい純情ぶりにバーテンダーは突っ込みをぎりぎりで飲み込んだ。
こうして二人の関係が進展せず早1年近く。
再びクリスマスが近づいた。クリスマスカラーに煽られた若い男女が大量のカップルを生産していた。
例の二人もこの波に乗ればいいのだがそう都合よくいかず、未だに相手の連絡先すら知らずに、この店で飲むだけの関係を続けている。
よくもまあそんな関係で停滞できるものだ、とバーテンダーは思いながら、グラスを磨く。
しかしその日は、常連の男夫婦が訪れていた。仲良く飲んでいる様子は微笑ましく、赤井と青木もその二人が気になり意識を向けていた。
「ああいうのいいな」
ぽつりとこぼれた青木の言葉に、赤井はひっくり返った驚きを隠せない声で、そうだなと肯定の言葉を返した。
「親友とかそんなさ!気の置けない関係っていいよな!」
無意識に出していた言葉だったのか、とっさに訂正をする青木。
赤井は少しがっかりした様子をみせながら、発言を勘違いしたと恥ずかしがる。
確かに、あの夫婦は親友関係に見えなくもない。熱烈なキスをしていなければだが。
不自然に目をそらす他の客をよそに、どんどんエスカレートしていく彼ら。バーテンダーは水を持っていきタクシーを呼びましょうかと話しかける。
恐らくここに来る前に他の店でも十分飲んだのだろう。グラス一杯でここまで酔う二人ではない。
バーテンダーは来る人拒まず。このようなハプニングも、見てみぬふりはできる。しかし、この店を金を十分落とさずダシにされるのはいただけない。
とはいえ、ごくごくたまに見られる会計のサインとして受け取ることもできる。まあ、客の中には、赤井と青木のように、少々過敏に反応してしまう方もいるのだからやめていただきたいものだ。バーテンダーは頭を痛めた。
男夫婦の帰宅を済ませ、カウンターに戻ればお互いを意識してしまったのか飲むペースが上がっている二人が見受けられた。視線があらぬ方向へと向いている。
お互い怖がって一歩踏み出せずにいる。その様子は大変よろしい。別段焦る必要もない。
しかしバーテンダーは、非常に不本意だが、彼らの関係に一石投じなければならない。
「来週からひと月ほどフランスへ飛びます。」
バーテンダーのその報告が意味することを、理解したときの二人の悲惨な顔は今でも忘れられない。
バーテンダーが日本を離れるということは、この店も閉まってしまうということ。
つまり二人は都合よく、互いに不審がられずに落ち合う場所がなくなるということだ。
悲しみがだだ洩れの二人には申し訳ないが、行かないという選択肢はバーテンダーにはなかった。
何せ向こうの友人が見つけた秘蔵のワインが待っているのだから。心苦しいが、絶対においしい酒を持って帰ってくることを心の中で勝手に約束した。ついでに二人の仲も微塵でも進展すればいい。具体的には連絡先を交換する等。
そんな感じで塵程度の不安と大きな希望をもってバーテンダーはフランスへと旅立ち、店はひと月以上閉まることとなった。
約1か月後、とっくの昔に年を明けた2月。店はようやく看板を出すことができた。
何せフランスでワイン、ドイツでビール、ウクライナでウイスキーを。本来フランスだけだった仕入れがヨーロッパを回ることになってしまったのだから。もっとも当初から織り込み済みの予定だ。日程を大幅にずらすことなく店を開けることができた。
そのような旅路からバーテンダー帰国し、この店では2つの変化生まれた。
一つは客に出す酒の品質。新たな仕入れ先を開拓しワンランク上のものを手に入るようになった。
仕事に手を抜かないバーテンダーは満足し、客はうまい酒を飲める。
そして、2つ目は赤井と青木の関係。
この一ヶ月で多少は変化があるだろうという見込みはあった。それこそ友人以上恋人以下くらいにはなるだろうと。
しかしバーテンダーの予想は甘かった。
ひと月ぶりに店で飲む二人の左手には、揃いのリングが店の柔らかい照明を反射させ光っていた。
薬指で存在を主張するそれが、放つ意味を理解できないわけがない。
目の前でほほを染めながら馴れ初めを話すお二人にバーテンダーができることは、キールをサービスすることだけだった。
バーテンダーは静かに眺める 染谷市太郎 @someyaititarou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます