第6話
私は選ばれた人間だ。
ぼくと一緒に寝がえりをしながら、兄さまは言った。
ぼくと一緒にずりばいをしながら、兄さまは言った。
ぼくと一緒にはいはいをしながら、兄さまは言った。
ぼくと一緒に掴まり立ちをしながら、兄さまは言った。
ぼくと一緒に伝い歩きをしながら、兄さまは言った。
よく覚えているねと驚かれる、魂に刻まれた記憶。
とても幼い頃からずっと、今の今も、兄さまは言い続ける。
背筋を伸ばして、胸を張って、自信に満ち満ちた顔をして。
いつだって、兄さまは月のように煌々と輝いていた。
かっこいい。
多分絶対、この世に誕生して、一目見た瞬間から、心を奪われた。
兄さまみたいに、かっこいい人になりたい。
絶対絶対、銀髪に変わってみせるって。
自分磨きに励まなくっちゃ。
勉強も武芸も日常生活全般も。
兄さまみたいになりたいなら。
兄さまみたいになりたいから。
初めて一人だけで町に出た。
自分一人だけで買い求めたかったから。
銀の縁の眼鏡。
兄さまが文字の読み書きをする時にかける眼鏡。
兄さまと同じ眼鏡をかけるなんておこがましいかもしれないけど。
兄さまが選ばれた人間だって知っていた。
知っていたけど、実際に選ばれた人間だという証である髪の毛の色が銀に変わった瞬間。
兄さまがとても、手を伸ばしても、駆け走っても、届かない遠くへと行ってしまったような気がした。
とても、とても、自分に自信がなくなってしまった。
早く、早く、自分も銀髪にならなくちゃ、傍に居ちゃいけないような気がした。
だけど、毎日毎日雪に触れているのに、赤い髪が銀に変わる事はなかった。
兄さまに近づいちゃいけない。
そんな事はないのに、どうしても、前みたいに近寄る事ができなくなった。
嫌だった。
前みたいに話したい。
自信を持たなくちゃ。
でもどうしたら自信を持てるようになるのか。
自分に自信を持つ方法を探して、探して、そして。
「に、兄さま」
「何だ?」
庭園にて。
弟は久方ぶりに兄に自ら話しかけた。
お守りである銀の縁の眼鏡をかけて。
「ぼく。ぼくも必ず、兄さまに追いつきます!」
「追いつく?」
兄は冷たいとも捉えられる薄い微笑を浮かべたのち、背中に流していた銀の長髪を大きく払って、次いで、追い越してもらわなければなと満面の笑みを浮かべた。
ビリビリビリっと、全身に電流が駆け走った弟は大きく跳ね飛んでは、兄に抱き着いて、満面の笑みを返して大きく返事をしたのであった。
(2023.8.8)
月と雪と眼鏡の縁 藤泉都理 @fujitori
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