【番外編】戴冠式前夜

日が暮れかけている。執務や手続きに手間取り、遅くなってしまった。明日は、戴冠式だ。

私、ジェール・デオン・グリスローダは、第一王子から、この国の王になる。自由に動けるのは、今日までだろう。


最後の区切りとして、あの人と面会を済ませることにした。現地まで馬を走らせる時間も惜しく、王立魔導士団長のアロイス・アードラーを予め招集し、転移魔法で移動する。


一つ目の行き先は、城から北東に14クエルほど向かった、男性修道院だ。

国内でも有数の、戒律の厳しい修道院。その建物の一番高い塔に、あの人はいる。

我々は捻れた空間を通り抜け、北へと向かった。




***




「ジェール……! 何とかしてくれ……余は国王であるぞ? 何故このような場所になど……」


鉄格子のある小窓が付いた、硬い金属製のドアの向こうには、くたびれた寝台と、背もたれのない丸い椅子、釘の頭が飛び出したテーブルしかない小さな部屋。こちらに気付いた前国王が、ドアの小窓に縋り付く。すっかり薄汚れ、その頬は削げ窶れ、目だけがギラギラしていた。


「それは父上が神の意思に背いたからです。闇の聖女……いや、聖母を無理やり王家に取り込もうとしましたね? 弟を唆してまで」


「それは、この国の為を思って」


「自らが都合よく統べる、この国の為を思って、ですね?」


「そんなのはどうでもいい! お前は、余がここでどのような扱いを受けているのか、知っているのか?」


「こちらの戒律に沿って、背中に幼児の体重ほどの重石を背負い、この部屋にある神の肖像画に五分間の祈りを捧げ、階段を降り、大聖堂の神の像に十分間の祈りを捧げ、再び階段を登り……を繰り返す鍛錬を、毎日続けておられると聞いております」


「一日中だぞ!? 朝四時から午前八時までと、午前十時から午後一時まで……あとは午後三時から午後七時までだ。それにお前も登って来たのなら分かるだろう? この塔のこの部屋までに、どれだけの階段が続くのか……こんな苦行には、もう耐えられん!」


「信仰に関する罪を犯し、収監された者なら、皆こなさなければならない日課です。祈りであり、贖罪でもあります。いつか神に許される時が来れば、戒めから解き放たれるでしょう」


「ならば、いつだ!? いつ終わる?」


「さあ……神のお告げ次第としか。それより、父上の甘言に乗せられた、哀れな弟のことは、いかがお考えですか?」


「ここでは見かけないのだから、謹慎か何かで済んでいるのだろう? ならば、構わないではないか……


待て! 待ってくれ! ジェール!」


神に背き国を危険に晒したこと、そして弟を巻き込んだことへの反省が、あの人には微塵もないのを理解し、私は即座にその場を立ち去る。ついでに帰り際、修道士に父の重石を明日から5ケル(1ケル=1キログラム)増やすように依頼した。


息苦しい修道院を出て、深く呼吸をする。


「アードラー団長、手間を掛けるが、もう一件付き合ってくれ」




***




次に着いたのは、城からほど近い、王家専用の静養地にある屋敷だった。アードラーは応接室に通し、しばらく待ってもらう。そして一人、ここに泊まりに来る度に使ってきた部屋へと迷いなく進み、ドアを二回ノックした。


「シェラン、いるか? 私だ」


…………返事がない。


「入るぞ」


弟は窓際に置かれたロッキングチェアに座り、無言で揺られている。驚きもせず、感情のこもらない声で、こちらに視線を寄越した。


「兄上……」


「これから、お前の処分について、通達する」


「まず、明日の戴冠式には出席すること。その後三年間の奉仕活動を申しつける」


弟は無言でこちらを見ている。


「その後は伯爵として叙爵する。領地はクレーブ領とする。以上だ。何か質問はあるか?」


本来、王弟であれば、公爵位を賜るのが一般的だ。それが、問題を起こしたとはいえ伯爵位まで下げるというのは異例の措置だった。しかし、『クレーブ領』と聞いたシェランの瞳には、微かに光が戻ったように見えた。


伯爵になれば、高位貴族を集めた公的な場への参加義務がなくなる。ただでさえ外国を含めた高位貴族たちの眼前で恥を晒した弟を表に出さずに済むようになる。


加えて、『クレーブ領』は海に面しており、港もある。貿易もできるし、自ら操舵術を学ぶのもいい。伯爵まで位を下げたことで、身動きも取りやすくなるだろう。


「兄上、見て! あの船! 帆が大きくてかっこいい!」


そう指差して明るく笑っていた、小さな弟の姿を思い浮かべる。


甘いと思われるかもしれない。しかし一度目はともかく、二度目は乗せられた部分が大いにあった。己の野望に付き従い、神に背いた父とは違う。深く反省し、なんとか立ち直って欲しい気持ちがある。


シェランは椅子から立ち上がり、臣下の礼をとった。


「国王陛下、お気遣い、痛み入ります」


「まずは、三年間、民に尽くすように」


まだ威厳があるとはいえない自分ではあるが、背筋を伸ばし、答えた。




***




静養地の屋敷を後にして、アードラー団長と共に、城内の執務室へと戻る。


「団長、今日は無理を言って済まなかった」


「いえ、これくらい大したことではありません」


「それより、謝罪しておかなければいけないことがある。我が父と弟がそなたの大切な女性に狼藉をはたらき、大変申し訳ないことをした。それなのに、あのような場所への転移を引き受けてくれて、感謝する」


「おやめ下さい、殿下が謝罪なさるようなことでは……」


「謝罪すべき人間がもう城を去った今、私しかそなたに謝れる人間はいない。本当に済まなかった。私が王位に就いた暁には、このようなことが起きないように、取り計らおう。彼女にも、よろしく伝えてもらえると助かる」


「承知いたしました。謹んでその謝罪、お受けいたします。では……」


アードラーは目の前で空間を切り開くと、そのまま風に飲まれたように消えていった。




***




アードラーと別れ、一人、執務室に残る。


これで、今日済ませることは、あと一つだけとなった。

愛用の机の引き出しから、封筒と便箋を取り出す。


「親愛なるセリナへ」


北の隣国ノイエの第二王女、セリナ。

大切な婚約者は、明日の戴冠式には来ることができない。彼女の母たる王妃が、余命いくばくもない状態だからだ。強引にこちらに来させて死に目に会わせられないなど、決してあってはならない。


そして婚礼の儀は、喪が明けてからになる。少なくとも予定より一年は先延ばしになるはずだ。本当だったら、まずは王子妃として迎え、彼女がこちらに慣れてから即位したかった。だが状況がそれを許さない。


さぞや不安を抱えているだろう。

だが、今、私がこの国を離れることは不可能だ。

すでに国として、事情を書き連ねた文書を隣国に送ってはいるが、個人としても彼女に宛てた文を綴る。

困ったことがあれば、いつでも力になるからと……


そして……彼女から、手紙は全て父親が中身を検閲してから手渡されると聞き、これまで書いてこなかった言葉。それを文末に書き添え、ペンを置いた。


伝えねば、伝わらない。弟を見て学んだことだ。




「最後に、愛してる。      


                    ジェールより」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なぜか処女懐胎して婚約破棄されました 村雨 霖 @Kurumi_Hitachi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ