第4話
「怖かったの。
クラスメイトになって、友達になって、だんだん志帆を深く知るようになって……どんどん好きになって。
でも、この気持ちって、親友と違うんじゃないかって。
私は、最初からそう気付いてた」
噛み締めた唇をようやく開き、美織は話し始めた。
「テニス部で、眩しい日差しの中でスマッシュを決める志帆を見てて……あの強い腕に、抱き寄せられたい。抱きしめられたいって。
テニスコートのフェンスを掴んで、気づけばそう思う自分がいた。
怖かった。そんな妄想、絶対に現実になっちゃいけないって、繰り返し自分の感情を押し殺した。
そんなことが現実になったら——父はきっと、ゴミを見るような目で私を見る。自分の娘じゃない、出て行けと言われる。間違いなく。
怖かったの」
「…………」
「だから——卒業式の日の志帆の告白は、嬉しかった。息が止まるほど。
でも、決して頷いてはいけないんだと、もう一人の私が私を押さえ込んだ。
父の冷ややかな眼差しをした私が。
結婚はね、父が持ってきた見合いで決まったの。反論する余地なんて、私には一ミリもなかった。
そのまま、結婚生活が始まって。夫も私と同様、強いられた結婚だったのかもしれない。彼もまた、私を愛していなくて。多分、今は外に別の女の人がいる。
息子が一人いるけど——私たちに温もりが通い合っていないことを、あの子は気づいてるんだろうな。今はもう、親と目を合わせてもくれないの。
ふふ、大変でしょ?」
美織の話を聞いていた志帆の瞳が、次第に強く波立っていく。
「……美織……
今、そんな環境に……?」
「うん」
「だって美織、高校の頃、うちは家族仲いいんだって何度も……」
「嘘だよ。
隠したかった。仲良くて、愛情に満ちた家庭で、自分は幸せなんだって、そう思いたかっただけ。
横柄な父と、人形のように父に従い、何も言わない母。
ちゃんと息ができるのは、志帆の傍だけだった。
だから、卒業なんてしたくなかった。——ずっと、志帆の傍にいたかった。
卒業して、結婚してからも、苦しい時はいつも志帆の笑顔を思い出した。
思い出す度に、だめだと打ち消した。何度も何度も」
美織が言葉を切り、しばらく呆然と宙を見つめた志帆は、徐にビールの缶に手を伸ばした。
「ほら、うちはさ、物心ついた頃から父子家庭で。『お前が幸せだと思うように生きろ』って、父はそれが口癖みたいな人なんだよね。
だから、専門学校行って、都内で美容師やってる時に知り合った男に言い寄られてずるずる結婚した時も、子供できなくてあっさり別れた時も、父は何も言わなかった。
三十ちょっと前になって、海の側で暮らしたいなんてすっ飛んだこと言った時も、あっさり頷いてくれた。『お前がそうしたいと思うなら、それでいい』って。
随分あっさりした親だ、と思ったけど……それ、父親なりの愛情だったんだね」
大きく缶を呷ると、志帆は言葉を繋いだ。
「——今になって、はっきりわかる。
男と別れたくなったのも、今こうしてひとりで潮風に吹かれてるのも……全部、美織といたかったからなんだって。
私の中にいるあの頃の美織と、ずっと二人きりで、静かに生きたかったからなんだ、って」
眼差しを美織へ向けた志帆は、美織と視線が結び合った瞬間、驚くほど赤面しながら顔を背けた。
「えっと、ごめん。
ちょっと、しばらく黙ったままでもいい?」
「……うん。
むしろ、私もそうしたい」
潮風が、部屋の中を駆け抜けていく。
風の音を聞きながら、二人は無言でひたすらアルコールの缶を呷ってはコンビニのおにぎりを咀嚼した。
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