第十一章 孤響   森啓介・2019年9月2日

 森は野村からまた連絡を受けた。


 警察に匿名で通報があったと聞き、急いで札幌大通駅地下コンコース内にあるバリアフリートイレに向かっていた。バリアフリートイレ内で見つかった撲殺遺体の上にはまた煙草の吸い殻が落ちていたと聞いていた。


 大通地下コンコースは複雑に入り組んでいてバリアフリートイレは複数あるが、野村から付近の地下出入口の番号を聞いていた。地下コンコースの中に入ると人で混雑している場所があったのですぐに分かった。


 森が向かうとバリアフリートイレの周囲には既にバリケードテープが貼られ、警察と鑑識の人間が集まっていた。近くを工事中のようで、工事の音が煩かった。


「森?」警部の沢田がバリケードテープの近くにやって来たので、森は沢田と視線が合い声を掛けられた。沢田は森に近寄って言った。「お前担当から外されたのに来たのか?佐々木にバレたら停職になるぞ。上にバレたらもうこれ以上庇えないぞ」


 沢田は掛けていた眼鏡を右手で上げながら神経質そうに言った。スーツを着てポマードで七三分けにしている髪型からエリート感を醸し出している。


「野村さんは居ますか」森は沢田を無視してバリケードテープの中を覗いて言った。中には野村と鑑識の人間が居た。


「森さん来たんですか」野村は遺体の側でしゃがんでいたが、沢田と一緒に居る森を見ると慌てて立ち上がった。


「野村、お前か?情報をリークしていたのは」沢田が野村に向かって声を張り上げて聞いた。周囲の作業音が煩い。


「いや、それは勘違いですよ」野村は嘘を付くのが下手だった。視線を沢田から逸らした。


「監視カメラは見たんですか」森は野村と沢田に聞いた。


 野村は森に話しかけられて沢田の手前戸惑っていた。森は沢田を見たが、沢田は疑心暗鬼な表情をして森を見つめていた。


「お前に話す事じゃない。佐々木には言わないから、帰れ」沢田は言った。沢田は捜査一課の警部の中でも一番警視になる順が近いと噂されており、森の上司の佐々木とも仲が良かった。


「監視カメラにもしかしたら今度こそ犯人が映っているかもしれないんですよ。俺にも情報をください。お願いします。俺は妻を殺されているんですよ。だからどうしても犯人を見つけ出したい」森は沢田に懇願した。


 沢田は森の顔を注視すると、再度眼鏡を右手で上げた。沢田は左手に何やら書類を持っていた。沢田はため息を吐くと森から視線を外し、バリアフリートイレ内に居る野村の方を向いた。沢田は左手に持っていた書類を野村に差し出した。


「野村、これを山中からお前に渡すように言われた。俺は煙草を吸ってくるから後頼むよ」沢田は野村に書類を渡すと森を見ずにその場から去った。


「野村さん、それを見せて貰えませんか」森は野村に懇願した。


 野村はバリアフリートイレ内から出て来て、沢田が遠くに行ったのを確認してから森の表情を見た。


「今更敬語なんて使わないでくださいよ。いつもタメ口じゃないですか。俺は敬語なのに」野村は森を見て言った。


 森は自分の表情が緩むのを感じた。森はバリケードテープを跨ぎ中に入りバリアフリートイレの前に立つと、野村の持っていた書類に一緒に視線を落とした。


 書類はA4コピー用紙に拡大印刷されたカラー写真だった。防犯カメラの映像のようだ。画質は悪かった。写真には右端に小さく、黒いキャップを被った人間が映っていた。バリアフリートイレから出て来た後の写真のようだった。髪型はキャップで隠されていて分からない。顔は左から少しだけ映っていたがキャップとマスクでよく見えなかった。服装は上下共にオーバーサイズの服を着ていた。手には茶色い紙袋を持っていた。


「監視カメラは今山中さんが調べているはずなんですけど、これが精一杯の情報って事ですかね」野村は言った。


「科捜研に提出したらもっと鮮明な映像が手に入るかもしれない。背丈から一致する人間も居るかもしれない」森はこの静止画だけでは比較対象がないので背丈は分からないと思いながらも言った。


「遺体は今回も撲殺だって?」森はバリアフリートイレ内に倒れている遺体を見て言った。


「はい。でも、顔面を先に殴った形跡があるので以前高倉の自宅の前で倒れていた撲殺遺体と手口が同じです。同一犯かと疑っています」野村は言った。


「凶器は?」森は聞いた。


「今回も凶器は持ち去られていました。他の犯人は現場に中身を散乱させて行くのに今回も高倉の自宅の前と同じです。多分顔面を殴っているので凶器に血が付いていると思われます」野村は言った。「今回は悪質ですよ。この被害者はストーマパウチを使用していました。だからバリアフリートイレを使用しに来たんだと思います。犯人が普通の公衆トイレを使わなかったのは目撃者を作らないためでしょう。無駄に争った形跡がないので、犯人は多分事前にバリアフリートイレ内に隠れていて、被害者が中に入って来たタイミングで内側から鍵を掛けて外に出られないようにし、被害者を正面から殴って、気絶した所で床に押し倒して後頭部を撲殺したと見ています。犯行手順が同じでも手馴れてきた可能性があります。死亡推定時刻から通報までの時間を考えると、近所を工事していたので工事音で周囲に犯行が気付かれなかったのだと思います。毎回手が結束バンドで縛られているのも悪質極まりない。何故かは分かりませんが。被害者への冒涜ですよ」


「そもそも犯人グループは何処で計画を練っている?高倉の煙草の吸い殻を毎回現場に置くなら、何処かで誰かが犯人に渡すために集まっているはずだ。タイミングも良すぎる。以前も高倉が警察署から出たタイミングで撲殺が起きていた。あの後高倉が戻って来なかったら高倉にはアリバイがなく冤罪を着せられていた。誰かが高倉を監視しているはずだ」森は考えながら言った。「高倉の自宅付近の人間は洗ってるか?」


「山中さんと以前洗い出しましたが、一人怪しい人間が浮かび上がりました。再度呼び出そうと思っていたところです」


「高倉は今日何処に居る?」森は野村の顔を見て聞いた。


「高倉は今日は月曜日なのでいつも通りコワーキングスペースで仕事してるんじゃないでしょうか。まだ居るかもしれない。山中さんに確認しますか。高倉を呼び出しますか」野村は聞いた。


「いや」森は、高倉がコワーキングスペースに居るなら監視カメラに映像が残っておりアリバイがあるだろうなと思った。森が思考している間に野村のスマートフォンが鳴った。


「山中さんからです。はい」野村は着ていたスーツの胸ポケットに入れていたスマートフォンを出し、着信に出た。「はい、はい。そうですか、分かりました」

 野村はスマートフォンの着信を切った。


「なんだって?」森は野村に聞いた。


「監視カメラの映像ですが、顔が死角になっていて渡した写真以上に見える場面はないとの事です。他にも今のところ手がかりになるものは映っていないそうで」野村はスマートフォンを持ったまま悔しそうに言った。


 森は野村が手に持った監視カメラの写真を再度見ようとしたが、その瞬間森の着ていたスーツの胸ポケットに入れていた業務用スマートフォンが鳴った。


「失礼」森はスマートフォンを取り出し画面を見て、着信相手を確認した。


 着信元は“高倉有隆”だった。以前余罪調査の際に交換していた連絡先だった。

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