第5話 志水の遺書
私はこれから自らの意思で命を絶つつもりだ。
なぜそのような決断をするに至ったか。
そのことに深く関わる話をしたい。
これから話すことは、私、
※※※
私は子供のころから、自分の振る舞いによって相手がどう考えを変えるかを察する能力に長けていた。
自分の思うように相手を動かすために自分がどう振る舞えばいいか。
私はそれを常に考えながら、人を思う通りに動かす方法を磨き続けた。
そうするうちに私はある発見をした。
この世の中には心の奥で「誰かに操られたい」と望んでいる人間がいる。
そういう発見である。
そういう人間は、私が大して働きかけもしないのに、我が身を進んで私の支配下に差し出してきた。
彼らがなぜそんなことをするのか。
最初はわからなかった。
だが、そのうちに気付いた。
私という人間を、自分たちの薄暗い欲望や感情の避難所にするためだ。
自分は本来は、そんな恐ろしいことを考える人間ではない。それなのに、志水がいたせいで。
彼らは何よりも、自分自身への言い訳として私を必要とした。
正しさという盾の陰で暗い快楽を得ている人間のように、彼らは自分で自分を騙しながら満足という甘い蜜を吸うのだ。
この理屈に気付いた時の私の
村の中で疎外感を覚えていたエナは、存在を主張するために子供たちに規則を守らせるための厳しい監視役となっていた。
だがそのせいで、エナは大人からも「狡知に長けた可愛げのない子供」として敬遠されていった。
エナが私にそういった悩みを打ち明けたのは、私が部外者だったからだろう。
夏が終わったらいなくなる。
私がそういう存在であったことが、エナの口を軽くさせたのだ。
エナは、自分が私のことを都合の良い存在として扱っているとはわからなかっただろう。
そういう鈍感さや無知に対して、悪意を抑えきれなくなる人間がこの世に存在することも。
私は心の底からエナに同情したフリをして、ある提案をした。
大人たちが立ち入ることを禁じている地底湖がある洞窟、あそこにみんなで遊びに行こう。
私がコウタに水を向ければ、コウタは必ず「案内してやる」と言うはずだ。
中で隠れて、行方不明になったフリをすればいい。
子供たちは大慌てするだろうし、大人たちは必死になって探すはずだ。
君が見つかった時に、みんなはひどく感動して粗略に扱って悪かったと謝るよ。
そんなことになれば村の中では、エナはますます厄介で忌避される存在になる。
少し考えればわかることだ。
だがエナは、村の人間たちは自分の価値を再発見して大切にするようになるだろうと信じきっていた。
志水、ありがとう。私、やってみる。協力してね。
私は尤もらしい顔をして頷いたが、内心ではエナの愚かさを笑っていた。
※※※
あの日、私とエナの打ち合わせでは、エナが地底湖までついて来る、そうして私たちが外に戻ろうという時に一緒に帰るフリをしてどこかに隠れる。
そういうことになっていた。
誰かが「地底湖まで引き返して探そう」と言ったら、私が何だかんだと言って引き留める。
だがそんなことをするまでもなく、地底湖に戻ろうと言う者は誰もいなかった。
私はどこかで隠れているエナのことを哀れみ、笑いを漏らした。
エナの捜索が始まったのは、次の日の夜のことだった。
エナは祖母と二人暮らしだったが、この祖母は周囲の人間と付き合いがなかった。
そのためにエナが行方不明になっていると判明するのがかなり遅れた。
捜索が始まった時、私は驚いた。
エナは諦めて、その日のうちに家に帰ったろうと思っていたからだ。
意気消沈したエナを、どんなしたり顔で慰めてやろうか。
そんなことを考えて愉快になっていたくらいだ。
エナは次の日も、その次の日も見つからなかった。
一体、なぜエナは出てこないのか。
私はひどく不安になり、何度も洞窟を見に行った。
だが洞窟の周りには、捜索をする大人たちがいて、中に入ることは出来なかった。
不安と怯えが大きくなっていったがどうすることもできないうちに、東京に帰る日が迫ってきた。
コウタと三郎が家にやって来たのは、私が村を出る前日だった。
なあ、洞窟に行かないか。
彼らはエナのことにはひと言も触れず、何事もなかったかのようにそう誘ってきた。
私も自分からエナのことを口にする気にはなれず、それでいながら洞窟の中がどうなっているか知りたいという気持ちも抑えきれず、頷いた。
懐中電灯と水筒を持って、私はコウタと三郎と共に洞窟へ向かった。
洞窟の前ではモモとK子が待っていた。
二人もエナのことはひと言も口にしなかった。
私は中に入ると、あちらこちらをライトで照らしてエナがいないか探し回った。
珍しいな、志水がそんなにはしゃぐなんて。
コウタと三郎には、半ばからかうように半ば不思議そうにそう言われた。
私にとってはそれどころじゃない。
何者も、どんな隙間も見逃さないように、目をこらして暗闇の中を見た。
そうしながら、一体彼らはどうしたのだろう。
エナがいなくなったことを忘れてしまったのだろうか。
しきりにそう考えていた。
私はとうとう耐えきれなくなり、地底湖でコウタと二人きりになった時に、思い切って話を切り出した。
大人は入ってこられないから、ここで人がいなくなっても見つけることが出来ないんじゃないか。
コウタは少し黙ってから言った。
まあそうかもしれないな。
私は地底湖の中ほどにある渦を巻いている場所を指さして言った。
あんな渦が出来ているってことは、あの下はかなり深くなっているのかもしれない。間違えて足を取られたら、あの中に吸い込まれて……それで見つからないってこともあるかもな。
事故とかさ、そういうこともあるだろ。
私は、名前は出さないまでもエナのことを言ったつもりだった。
コウタはふと顔を上げた。
何かに気付いたみたいなそんな表情だった。
コウタは私のほうを見て、ゆっくりと言った。
お前、明日東京に帰るんだよな。
急にそう聞かれて、私は驚いた。
反射的に頷くと、コウタはしばらくジッとしていたが「なら、いい」と言った。
そこに三郎がやって来た。
モモが騒いでいて手がつけられないから、戻って来て欲しい。
そういう話だった。
コウタが通路に消えたのを確認すると、私は三郎を引き留めた。
エナを探したい。
そう言うと、三郎は「エナがここにいるのか?」と私に聞いてきた。薄闇の中だったのではっきりはわからないが、ひどく驚いた声だった。
いいけど、早く戻って来いよ。モモがだいぶおかしいから、家に帰ることになると思うんだ。
三郎はそう言った。
三郎は一緒に探してくれないとわかり、私はひどくがっかりした。
三郎も通路の奥に消えて、私が持つ懐中電灯の灯りだけになった。辺りはひどく寒く、暗くシンと静まり返っていた。
その瞬間、突然ある恐ろしい考えが閃いた。
彼らはエナと同じように、私のこともここに閉じ込める気ではないだろうか。
そうして洞窟の入り口を、今度こそ完全にふさぐのではないだろうか。
恐怖が心の中に広がり、何かに胸を圧迫されたようにひどく息苦しくなった。その場にいるのが耐えられなかった。
私は無我夢中で三郎の後を追いかけ、通路の途中で追いついた。
驚く三郎に、私は恐怖を追いやるために色々な話をした。
エナのことは、ひと言も触れなかった。
あの時、私はエナを完全に見捨てたのだ。
その次の日、私は逃げるように東京へ帰った。
東京では日常に集中することで、あの夏の日のことを忘れるように努めた。
だが無駄だった。
私は頻繁に、洞窟の夢を見た。
不思議なことに、その時に見る夢はエナを置き去りにする夢ではない。
私があの洞窟の中に取り残される夢だ。
暗闇の中に独りで取り残され、電灯も消えてしまう。飢えと渇きに苦しみながら、塗りつぶされた闇の中を、狂いそうな恐怖でわめきながら、必死に出口を探し続ける。
しかし出口はどこにもない。
エナが塞いでしまったのだ。
私にはそれが分かっている。
大きな石を持ってきて隙間を万遍なく丁寧に塞ぐ、エナの後ろ姿がありありと脳裏に浮かぶ。
その姿を見るたびに、私は悲鳴を上げて飛び起きた。
とうとう私はいても立ってもいれず、親にも内緒で一人でこっそりとあの洞窟がある村に向かった。
一体、あの洞窟がどうなったのか。
どうしてもこの目で確かめなければならない。
私は人に気付かれないように村を抜け、洞窟のある場所まで向かった。
縦穴を下り、入口に降り立つ。
そうして地面を這うようにして、空き地に通じるはずの隙間を探す。
しかし、いくら探しても見つけることは出来なかった。
洞窟の入り口は、いつの間にかなくなっていた。
※※※
私は洞窟から出るために死ぬ。
死ぬのは怖い。
だが洞窟に閉じ込められることは、死ぬよりも恐ろしいことなのだ。
洞窟の入り口がこの先も塞がられていることを祈っている。
二度と私のような者が現れないように。
(遺書はここで終わっている)
洞窟の中 ~「藪の中」のオマージュ~ 苦虫うさる @moruboru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます