この二人は十年後に結婚します

青月クロエ

第1話

 年に一度開催される名門男子寄宿学校との社交パーティーは女子寄宿学校生にとって絶好の婚活の場だ。

 家柄もよく、できれば見目も良い将来有望な若き紳士たちの目に留まるため、令嬢たちはここぞと着飾り、気になる者へ秋波を送ってみせる。露骨な視線じゃ淑女の品位に欠けるからあくまで控えめに。幾分恥じらいを込めて。

 若き紳士の方も気になる若き淑女へ、節度ある態度を持ってして『貴女とお話したい』と誘いかける。


 天井を埋め尽くす照度類、照明の光を反射させる数多のグラスや銀器、背の高いアーチ窓の外から見える夏の星々よりもずっと、恋の始まりに浮足立つ彼ら彼女らの方が輝いている。しかし、青臭いまでの輝きに満ちた会場でただ一人、ナオミだけは違っていた。


 他の令嬢たちは皆、多かれ少なかれ笑顔なのに、ナオミはどこか不機嫌そうだったし、実際あまり機嫌はよろしくない。せっかく男子学生が彼女に声を掛けようとしても、目尻が跳ね上がった青灰の瞳で軽く睨むので尻込みされてしまうのだ。


 そもそも学校行事でなければ社交パーティーなど参加したくなかった。

 他の令嬢たちと違い、ナオミは結婚などせず女一人で自立した生活を目指している。実際、寄宿学校卒業後は家庭教師の養成大学へ進学予定だ。なので、おひとり様状態で結構。それに、ナオミには男子生徒とお喋りするより大事な使がある。不機嫌そうに見えるのは、男性避け以上に使命に気を張っている割合が大きい。


 グラスの果実ジュースで喉を潤しながら、壁際で会場全体をぐるり、見回す。

 女子生徒が一人、会場から消えている。気づくなり、目尻が更に跳ね上がり、唇をきつく引き結ぶ。


 いなくなったのはダイアナという、ナオミの学年で一番美しい少女だ。

 ダイアナは美しいだけに男子生徒から引く手数多で、今回のパーティーでも休みなくおしゃべりやダンスに興じていたような。


 おしゃべりや節度ある軽いふれあいスキンシップまでなら問題ない。

 問題なのは人目につかない場所で隠れて不埒な交遊に及ぶこと。

 毎年一人、二人は必ずその手の行動に出るため寮監督生は生徒たちの行動を監視しなければならない。ナオミも今年の寮監督生としてその使命を全うすべく、目を光らせていたのだが。


「探しにいかなきゃ……、わ?!」


 空のグラスをテーブルに戻した直後、正面からナオミに向かって飛び込む気配に小さく叫ぶ。ナオミより背が高い彼女の柔らかなダークブロンドが顔や髪に触れ、少しくすぐったいの堪えながら問う。


「ど、どうしたの、ダイアナ……?」

「ナオミぃぃ、聴いてちょうだい!!あたくし、く、くく、くやしい!こんな悔しいのははじめてよ!!」


 だから、なにが、と更に問おうとしても、ぎゅうぎゅうときつく抱きすくめられ、息苦しくて言葉が続かない。が、ナオミが訊ねるまでもなく、ダイアナ嬢は怒りに任せて自ら語り出す。


 曰く、一学年下の大変見目麗しい男子生徒と談笑していたダイアナ嬢。

 彼女の方でも彼が随分と気に入り、思い切ってバルコニーまで誘い出したのだが。


「長期休暇の時に別荘にいらして、ってお誘いしたら、なんて答えたと思う?!」

「さあ……?」

「『貴女の髪がもっと薄い金色であれば、喜んでお受けしたのですが。残念です』ですって!!髪の色を理由に断るなんて!失礼にも程があるわ!!」

「……たしかにそれは許せないわね。紳士の風上に、いいえ、人としても最低よ」


 半泣きのダイアナの背を撫でさすりながら、ナオミの目尻はまた更に吊り上がった。

 不埒に近い行動を取ったダイアナにも非がない訳じゃない。が、顔も名前も知らない男子生徒への怒りの方がはるかに勝っていた。


「ナオミ、どこへ行くの?!」

「その人にちょっと抗議してきます。まだバルコニーにいるのでしょ?」


 涙を引っ込め、唖然とするダイアナを置いてナオミは憤然とバルコニーへ向かう。カツカツカツ、と高い靴音を立て、憤怒の表情を隠そうとしないナオミに男女問わず怖れをなす。会場の雰囲気を壊しているようで気が咎めないでもないが、元はと言えば例の男子生徒が悪い。


 バルコニーと会場を仕切る暗褐色のカーテンに手を掛け、わざと乱暴に開いてみせる。奥の白い柵に凭れかかる大きな影、もしやあれがダイアナが言っていた──


「どなたですか?」


 顔は暗くてよく見えない。

 でも、凛とした艶と深みのある低い声は女性を虜にできるだろう。それが余計にナオミの神経を逆撫でた。平常心、平常心……と心中で唱えながら、平静を装って告げる。


「先程、貴方がここでお話していたダイアナ嬢の友人です」


 ああ……、と酷く褪めた語調で一言返ってきた。


「彼女からお話は聴かせていただきました。彼女は貴方がお誘いを断ったことよりも、変えようのない外見を理由にされたことに深く傷ついています。謝罪していただけませんか」


 闇の向こうでは何の反応も返ってこない。

 何とか言ったらどうなの。自分が酷いこと言ったとは微塵も思っていない訳?!


 もっと言及してやるべきか。

 暗闇をきつく睨み据えていると、ぼそりと、それでいてはっきりと聞こえてきた言葉にナオミは耳を疑った。


「……気性は良くてもブルネットでは問題外ですね」

「……は?」


 反射的にハーフアップに結った髪の頭部を軽く押さえる。

 彼の言う通り、たしかにナオミの髪色は黒に近いブルネットだが……。


 問題外?

 問題外ってなんぞ?!

 なに、私まで勝手に判断ジャッジしてるのよ?!


 激しい怒りも最大限まで振り切ると虚無に近い感覚に陥ってくる。

 ダイアナ嬢には申し訳ないが、もう闇の向こうの人物がどうでも良すぎて口を利く気にもなれない。

 最後に一度、盛大なため息をわざと吐き出すと、ナオミは無言でカーテンを静かに閉めた。


 このド失礼極まる男子生徒のことは記憶から消し去った、筈だったのに。



 運命の悪戯か──、この二人は十年後に結婚します。

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この二人は十年後に結婚します 青月クロエ @seigetsu_chloe

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