第2話
「人生ゲームがやりたい!」
部活開始時刻から三十分。突然現れてそんなことを言いだす燈奈に協力するのは、いつも紫苑だ。
「いいじゃん! 確か、ちょうどここに一セットあるし」
「なんでそんなものが部室に置いてあるんだよ。そもそも燈奈は触れないだろ」
青砥は数学の問題集から目線を外すことなく、ツッコミだけを返す。
「燈奈ちゃんの分はあたしが動かすから大丈夫! というか、青砥覚えてないの? 去年先輩が、ボードゲームとかトランプとか大量に置いていったじゃん。未来の後輩たちのためにって」
「ああ、あの人か……絶対不用品を処分したかっただけだろ、それ」
今頃は大学にいるであろう二歳年上の先輩の顔を思い浮かべた。同じ空間を共有するだけで個人行動ばかりの部活で、パーティーゲームを遊ぶわけがない。どう考えたって言い訳に使われただけだ。
「多分その通りだけど、折角だし使わせてもらおうよ。タンスの肥やしになってるのも勿体ないしさ。それより、今日は茜ちゃん遅いね。どうしたんだろ」
「生徒会活動じゃないか?」
大問四が解けなくて、その苛立ちが声にのってしまう。
けれど青砥の不機嫌なんて気にしないマイペース幽霊は、突然距離を詰めて青砥の肩を掴んできた。と言っても、実体がないので青砥には触られた感触はなかったが。
「茜、生徒会に入ってるの?」
「そのはずだ。この前の生徒会の広報誌に名前が載ってたから」
「生徒会か……めんどくさいから、あたしは入るなんて考えたこともなかったな」
「だろうな」
どうしても解き方が分からなくて、仕方なく解答冊子をめくった。見つけた答えは思っていたよりも単純で、こんなことも分からないのかと思うと嫌になる。
「私生徒会だったけど、楽しかったよ?まあ、死んじゃうまでの数か月だけだったけど」
「え、燈奈ちゃんも生徒会だったの⁉ ちょっと意外……」
「あははっ、それ、よく言われたなー」
「頭良い人多そうなイメージあるけどさ、実際どうだった?」
「ほんとに頭良い人ばっかだった」
「燈奈ちゃんは?」
「テストの順位は下から数えて十番以内。なんなら期末は堂々の最下位!」
「やばいじゃん」
「やばいんだよ」
青砥の後ろでポンポンと会話が弾んでいく。低い順位を能天気に話のネタにできる燈奈に、呆れを通り越して少し腹が立ってくる。
「おい、お前ら……」
少し静かにしてくれないか。そう言おうとした時だった。コンコン、と控えめなノック音が耳に届く。
「すみません、遅くなりました」
噂をすれば、というやつだ。
青砥は部屋に入ってきた茜の方に体を向けた。
「おつかれ。さて、紫苑、茜……ついでに燈奈。お前達に話さなきゃいけないことがある」
小さく息を吸って、吐く。
なんだろうという顔をする三人を見回して、口を開いた。
「――天文部は、このままじゃ廃部かもしれない」
ほんの一瞬、水を打ったような静寂が狭い部室に横たわる。時計の音だけが響くような、けれど、時間が止まってしまったような。
「な······なんで⁉」
そんなしじまを破ったのは、紫苑の悲鳴にも似た声だった。
「俺も昼に顧問に聞かされたばかりなんだが、そういう案が出てるらしい。まともに活動していない部にやる部屋は無いんだと。それで……」
続けようとした言葉は、バンっ、という大きな音で遮られた。茜が机に手を叩きつけたのだ。その衝撃で並べられていた人生ゲームの駒が床に転がり落ちて、カツンと軽い音がした。
「案が出ているだけってことは、まだ決定されてはいないんですよね?」
「茜ちゃん……? どうしたの? すごい音したけど、手は大丈夫?」
「部屋と言ったって、ここは備品倉庫を改造した場所です。校内地図は五年以上前から更新されてないし、今でも倉庫扱いになってるはずです。そう主張すればきっと分かってくれる、認めてもらえると思います。ねぇ、部長。私にできることならなんだってやります。先生を説得するのも、生徒会としてこっそり裏から手を回すのだって、なんでも」
心配そうな紫苑の声も届いていないようで、茜は止まらない。動揺、混乱、焦燥。そんな感情が伝わってくるような初めて見る茜の様子に、燈奈が「茜……」と小さく呟いた。
「絶対、この場所を消させたりなんてしない!」
吠えるように叫んだ声が鼓膜を揺らす。俯いたままの表情は見えないけれど、なんだか幼い子供が泣くのを我慢している風にも見えた。
「茜、一旦落ち着け。俺はそのための解決策について話そうと思っていたんだ」
言い聞かせるように語り掛けると、茜は一度深呼吸をしてそっと机から離れた。左手のミサンガをぎゅっと握って、申し訳なさそうな顔をする。
「……ごめんなさい」
「大丈夫だよ、ちょっとびっくりはしたけど。手は痛くない?」
「はい」
「良かった。それで青砥、解決策って?」
紫苑の言葉に、三人の視線が青砥に集まる。青砥は組んでいた腕を外して、指を一本立てた。
「合宿だ」
「……へ?」
ぽかんという効果音が鳴りそうなくらい間抜けな顔をしている紫苑と、胡乱げに青砥を見る茜と、「がっしゅく……?」と鸚鵡返しに唱える何も分かっていなさそうな燈奈。三者三様の反応が少し面白いと感じながら、説明を続ける。
「要は活動していないと思われているから駄目なんだ。だから合宿で天体観測でもして、適当なレポートでも提出すればいい。会計も動けば説得力も増すだろ。部費はほとんど下りていないから自腹になるけどな」
「なら、どこへ行くか、何泊するかを早く決めないと」
茜はカバンからメモ帳とペンを取り出して、一番上に「合宿予定」と大きく書き、その下に手際よく日程、場所、持ち物などの項目を加えていく。
「一泊二日でいいんじゃないか?」
「問題は場所ですね……とりあえず、星が綺麗に見える所じゃないと」
「そうなると……やっぱ、都心から離れて山とか田舎とかの方になるよね?」
「あ……それだ!」
唐突に柏手を打って大きな声を上げた紫苑に、皆はびくりと肩を揺らした。
「山、田舎だよ! 燈奈ちゃん天才!」
「それがどうしたんだよ」
「叔母さん夫婦が山の麓のド田舎で旅館やってるの。頼めばきっと一泊くらいさせてくれるよ!」
「本当? すごいね、それならいけるよ!」
「でも……大丈夫でしょうか」
沸き立つ紫苑達と対照的な、静かな言葉がぽつりと投げかけられた。
「夏休みは行楽シーズンです。お客さんが多かったら、一室借りるだけでも迷惑になるのでは……」
不安そうな茜に、紫苑はぐっと親指を立ててウインクをしてみせる。燈奈と比べて、どこか不器用なウインクだ。
「大丈夫! 叔母さん、辺鄙な所すぎて閑古鳥が鳴いてるって言ってたから」
「それは大丈夫なのか?」
青砥が冷静につっこみを入れたところで、部活動時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
「ひとまず、今日はここまでだな。これから一週間くらいはテスト期間で部活が無いから、紫苑はその間に宿泊場所の確認をしておいてくれ」
「え……」
結局遊ばれることのなかった人生ゲームを片付けようと後ろを向いた紫苑は、ぎぎぎ、と油の切れたブリキのようなぎこちない動作で恐る恐る振り返った。
「気のせい、かな。今、テストって聞こえたような……」
「来週から期末テストですよ」
「気のせいじゃなかったあー!」
絶望の叫びが狭い部室内に反響して、青砥はそっと耳を塞いだ。
紫苑は部室の扉を開け、そっと溜息を吐いた。
「せめて椅子にくらい座りなよ。体痛めるよ?」
視線の先には、部屋の隅で膝を抱えて蹲る、青砥がいた。俯いて、世界の全部を拒絶するみたいに縮こまっている。その傍らには青い装丁の本が置いてあった。
今日の昼休み、青砥は同級生を殴った。それも、沢山の生徒が通りかかる広場で。
どうやらその生徒は成績について揶揄って――それから、青砥の本を取り上げて勝手に読もうとしたらしい。よくある話だ。よくある話だけれど、その全てが青砥の琴線に触れてしまった。
馬鹿だな、と思う。どっちも馬鹿だ。殴られた方は当然だけど、青砥だって、もっといいやり方はいくらでもあっただろうに。目立つ場所で起こった事件だったから、学校中のほとんどの人が知っている。でも彼が今こんなふうに蹲っていることは、きっと他の誰も知らないのだろう。
いつも大事そうに持っているその本に何が書かれているのか、紫苑は知らない。知ろうとも思わない。誰にだって知られたくないことや話しにくいことはある。それを強引に暴いてしまえば、件の馬鹿な同級生と何も変わらない。だから紫苑は蹲っている青砥にこれ以上の言葉をかけないし、青砥も何も言わないのだ。
――けれど、その空間を乱す者は、いつだって突然に現れる。
「部長……大丈夫ですか?」
「青砥君どうしたの? なんでそんな所にいるの?」
背後から聞こえた声に、まずいなと思った。
茜は多分、問題ない。こちらが踏み込ませたくないものをきちんと察して、躱してくれるから。だが、問題は。
「ねえねえ、青砥君。大丈夫?」
こっちの幽霊の方だ。燈奈は悪い子じゃないが、純粋で単純な燈奈は地雷すれすれを歩くところがある。
青砥がこのままでいいとは思っていないし、紫苑だって本当は大丈夫かと問いたい。だけど、それはできないから。せめて燈奈をどこかに移動させるくらいは、してあげたい。
「あのさ、燈奈ちゃん……」
「青砥君。私、ずっと気になっていたの。その本に何が書かれているのか」
だって彼女の純粋さは、青砥や紫苑には眩しくて、痛すぎるから。
「燈奈ちゃ……っ!」
止めようと手を伸ばしても、自分とは違う白いセーラーの女の子には触れない。
その言葉を聞いて、青砥は守るようにぎゅっと本を握った。
「そんな必死にならなくても、私はそれに触れないから大丈夫だよ。でも、教えてほしい。君が何を抱えているのか」
燈奈の発した一言は、紫苑には越えられない一線だった。
互いに踏み込まない。抱えているものに触れようとしない。だから安心して同じ場所にいられる。それがこの天文部の不文律。ここは、見えない傷を隠した共犯者たちの集まりだった。
「もうやめて、それ以上は駄目」
「ここでやらなかったらきっと、青砥君はずっと進めないままだよ」
「でも……っ!」
何か言い返そうとして、できなかった。心の片隅で、その通りだと思ってしまったから。
「紫苑先輩」
静かな声がする。凪いだ湖の水面のような、凛とした声。
「今ここに、先輩方の言う幽霊がいるんですよね。それで、部長の本の中身を知ろうとしている、と」
話しながら、茜は入口の方から青砥達の方へ歩み寄って来る。
「私はそんな幽霊知りません。見えないし、信じてもいません。――でも先輩達を見ている感じ、きっと馬鹿みたいにまっすぐで、とても頑固な人なんでしょう?」
青い上履きが一歩進むたびに、きっちり整えられたショートカットの毛先が揺れた。
「そんなの、反対するほうが面倒です。私達が何言ったって聞き入れてなんてくれません。だから諦めて乗っかるしかないんですよ」
そう言って、蹲ったままの青砥の前にそっとしゃがみこむ。
「私は貴方に前を向けなんて言えません。それでも、話してもらえませんか」
茜の呼びかけにずっと固まっていた青砥の指先がピクリと動いて、紫苑は小さく息を飲んだ。
「――兄さんみたいに、なりたかった」
絞り出すような声はか細くて掠れていて、耳を澄まさないとよく聞き取れない。零れた微かな言葉達が、乾いた室内に落ちて転がっていく。
「兄さんは優秀だから、ずっと比べられてばっかだった。父さんは俺を見てくれないし、母さんは平等に扱おうとしてくれるけど、どうしたって子供は分かるんだ。俺にはスポーツも出来ないし音楽の才能だって無いから、でも、でも勉強だけは頑張れば追いつけるかなって、それだけなんだ。それだけで、ずっと馬鹿みたいに勉強ばかりしてきたんだ。それなのに、どうやったって俺の順位は五十位にも届かない」
テストの結果は、学年上位五十名だけが広場に掲載される。青砥の点数が低いわけじゃない。でも、上の下から抜け出せない。誰も、青砥の名前を見ない。
「何かある度に、全部この日記に書いてきた。嫌な事、辛い事、苦しい事、ゴミ箱みたいに全部。ゴミ箱だけど、俺の全部の感情なんだよ……」
それを乱暴に暴かれようとした。だから抵抗した、それだけだった。
震えた手から日記が滑り落ち、最初の頁が開かれる。白かっただろう頁は呪詛みたいに黒いインクで塗りつぶされていて、よく見るとそれは一つ一つの文字だった。日記に隠した青砥の本音だ。
『兄さんだけ』
『なんでできないんだ』
『認めて』
見ている方が泣きたくなるくらい、切実な想いの欠片。
「部長」
そっと青砥が顔を上げた。
思い出す。期末考査の順位掲載。いつも通り青砥の名前は無くて、そして、一年生のトップにあった名前は。
「……茜」
きゃらきゃらと楽しそうな友人達に囲まれて曖昧に微笑んでいた少女の、酷く冷めた瞳。それが喉の奥に刺さって抜けなくて、吐き出すように、口にした。
「俺は、お前が嫌いだ」
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