忘れ去られた泉

第22話 水面




 ピピピピピピ


 小鳥の鳴き声が森に響く。


 語りかけるようなその声は、少しずつ近づいてくる。やがて目の前に鳥が姿を現した。


 パタパタと、茶色と緑の中間の色合いをした鳥が頭上を飛んで、降り立った。俺の目の前で、対岸である。ツンツンとつつくように水面を叩いている、ようにしか見えない。あれでも水を飲んでいるのだろうが、やはりどのようにしても水面を叩いているようにしか見えない。


 ゆっくりと立ちあがろうとして、少しふらつく。


 なぜか知らないが、俺の両足は泉にどっぷり浸かっているのだ。なんか冷たいと言う感覚すらないし、なんなら動くまで気づかなかったぐらい長い間。


 どれくらい長い間なのかは、気絶してたから知らん。あぁ、“流転する運命”の力でわかったり……したわ。死後三日後って、わかっちゃったよ。


 “流転する運命”には、時計機能があった!


 少し間違えると通販サイトの売り文句にしか見えない不思議。


 ふざけていないで真面目に考えよう。そう、ここはどこで、私は誰なのか!


 ……虚しきことはなはだし。


 ゆっくりと、足を向ける先は池。


 浸かっていた川、の先にある池だ。とは言っても、6歩で着くような距離である。


 なぜここにいるのかよくわからないが、なぜかその池に強い既視感、もしくは避けてはならぬと言われているような強迫観念、そう言ったものを感じた。


 ほとりに膝をついて、池の中を覗き込む。池はあまりに透明で、自分の顔が写っていた。その写った顔の下に少し茶色の土を見出せる程度で、結局のところ澄んだ水の池だということしかわかりはしない。


 揺れる水面みなもに指を滑らしてみれば、ゆっくりと小さな、小さな漣が生まれる。


 気づけば、その指に釣られて水底に魚がするりと泳いでくる。指を水面から離すと、魚はぷい、と反転して泉の奥へと去ってしまった。


 泉の奥、それは明らかに他の場所より深くなっている場所で、もはや穴と言えるようなものである。ほとりからではその深さは測れず、立ってみてもそれは変わらないし、水底がとても深いということがより一層、視覚的に強調されただけの結果に終わった。


 当てもなく、岸に沿って歩いていく。


 ゆっくりと、池を、森を眺めながら。


 一つ、気がついたことがあるとすれば、この池が源泉であろうということだ。泉からは、水が流れ出ていくのが見えるだけで、どこからか水が流れてきているようには見受けられない。水は、あの泉の奥から来ているのだろう、あの水底すら見ることのできない穴の奥から。


 果たして、穴の奥にどのような光景が広がっているのか……。個人的にはとても興味を引き立てられる話題である。鍾乳洞みたいなのがあったり、謎の水生生物が生息していたりする光景が脳裏に浮かぶ。もしかしたらその水生生物とやらの中には異世界特有の龍みたいなやつがいるかもしれないし、もしかしたら言葉では言い表せないような異形がいるかもしれない。どちらにせよ、見えないものにはロマンというやつが詰まっている。


 今目の前で『ポコポコ』と音を立てて泡が弾けているのも、よりいっそう想像を掻き立ててくれる。


 ん?


 ……泡?


 泡なんて、さっき立ってたか?


 これは、もしやなのか!?


 太古に滅びたとされる伝説の生物(ネッシーみたいなん)が! 今ここに!?


 興奮と期待に胸を膨らませながら、泡の立つ水面を、文字通り目を皿のようにして見つめる。


 さぁ、早く来い!


 心の準備はもうできている!


 全人類の悲願に応えて、いでよ!


 ネッシー!!(違う


 全俺の期待を胸にして、見つめた水面の先に、ついに──ザアッッッッ、と音を立てて、そいつは姿を現した。


 妙齢の女だった。


 だがそれよりも、女のいるところが、あまりにも目を惹く。なにせ、女が座っていたのはホタテみたいな貝、その口の中。まるで、自らが真珠だとでもアピールしているような、そんな振る舞いである。はっきり言って、女の容姿以前に貝の方が気になる。しかもこの貝、女が中にいるということからわかる通り、とてもでかい。とてもという表現より、むっちゃの方が適しているかもしれない。そんぐらいでかい。まじで、『太古から生きてないとこんな大きくならないんじゃね?』ってぐらいだ。しかも、だ。その貝には傷らしい傷が一切見当たらない。淡いピンクの貝殻には艶があり、その口の中も、貝と聞いてイメージするような悍ましさはなく、むしろとても綺麗で、清潔とすら感じるものだ。なんだ、この非現実的すぎる貝は。アニメか? アニメから出てきたのか? そう言いたくなる姿である。


 貝へのツッコミネタに途切れが生じてきた途端、今度は女の方へと意識が向かう。


 俺はようやくそこで女の姿形を認識する。


 こっちもバケモンであった。


 こいつ本当に人間かってぐらいの美形。なんというか、見るからに世の女が欲しがる要素を詰め込んだような容姿である。


 髪はサラサラで、パッと見た感じ傷ひとつないし、肌も艶とハリがたっぷり。化粧品の宣伝に出たら即買い間違いなしのような美貌。目鼻立ちの均整が取れすぎ。左右対称で、『これで整形してないなんてウソやろ』と言ったやつだ。視線をすすすと下ろしていけば……絶壁やったわ。ん、天は二物を与えずというのは事実だったようだ。だからと言って、べつに手足の長さや体の凹凸はどこをとっても美しいと言いたくなるもので、つまり、完成された美術品のようなものなのだ。


 ずっと見ていられる、そんな姿形であるわけだ。自らを真珠に喩えても誰からも文句は言われないだろう。


 とは言え、顔立ちがとか体つきが云々よりやっぱ貝の方に目が行くけど。いや、予想の斜め方向すぎんのよ。こんなのが出てくるって普通思わないじゃん。美女さんだって許してくれるよ。たぶん。


 思考はついに突然の登場をした貝と女の容姿から、なぜここにいるのかというところへ移りかけた、がそれより先に女が口を開いた。


「お主、お姉さまの使いじゃな」


 あまり透き通った声、そしてそれは全てを包み込むようでもあった。


 だがそれよりなんて言った? お姉様の、使い……?


 なんじゃらほい。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る