生と死と
第1話 死後の世界
大地が脆く崩れて、墜ちていく。
一瞬の浮遊感。
そうして、落ちていく。
心が、堕ちていく。
もはや周りの景色も、明暗の違いも、なに一つとしてわからない。
けれど、風圧でもみくちゃにされながら落ちている。ただそれだけが、なぜか異様に意識される。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、意識がはっきりと覚醒した。そして怒濤のようにして頭を駆け巡るのは、自分がどのような状態にあるかということ。
言葉にすれば。なにも見えず、聞こえず、言えず、感触がない状態で、ただただ、落ちているということだけが認識させられている。
おかしい。
自分はどうしてしまったのか。
一つ、わかることがあるとすれば、なにもわからず落ちているという危機的状態であること。
いつか、地面に叩きつけられ、命を落としてしまうかもしれないということ。
その瞬間、何かに体が包まれたような感触を感じた。
言うなれば、水の中に浸かっている状態。
それを肯定するように、口から空気が漏れ出て、それを埋めるように水が口の中に流れ込んでくる。
けど、息は、していない。
自分は息などしていなかった。
だから、水の中でも息が苦しくなることはない。
いくら口の中に水が入ろうと、肺の中を水が満たそうと、死なないのだ。
その事実に、ほっと安心したのも束の間、自分が沈んでいくことがわかった。
水の奥底、深く。
自分は、どうなるのだろう。
思考が冷静さを取り戻したせいか、背筋に冷たいものが伝ってくる。
それは、根源的な恐怖だ。
息をしなくてもいいのだから、死ぬことはない? けれど、もしかしたら圧死してしまうかもしれない。
いや、そもそも、自分は生きているのか?
自分は死んだはずなのだ。
なぜ死んだのかは覚えていないが、ここが死後の世界だということはなぜかはっきりと理解できた。
それでは、今ここにいるのはあの世ということなのだろうか。
つまり、三途の川の中を……沈んでいっている?
いや、そんなことはない……はずだ。
結局、自分が理解できたのは、空から落ちてきて川か何かに飛び込んで沈んでいっているという、ただそれだけ。
ここが現実なのかあの世なのか、はたまたただの夢なのか?
けれど、自分は死んでいるのだと理解している。
ならば、現実ではなく本当にあの世?
もしくは、そんな風な設定の夢?
それとも、それ以外の何か?
トポ
あっ、そう思った瞬間、再び落ちていく。
沈んでいたのが、落ちていく。
水の世界から大気の世界に放り投げだされた。
その瞬間、『これは夢だ、そうに違いない』と自分はついに思考放棄をした。
──びゅおぉぉぉっっ
風の音が耳朶に響く。
先ほどまではなかった、音が聞こえる。
それが、よりいっそう落ちているということを認識させ、恐怖を助長させる。
見えないことも、それに拍車をかけているかもしれない。
結局のところ、自分はどんな状態で、どうしてこんな状況に置かれているのか、わからないのだ。
周りの景色が見えたらわかるのかと問われたら、言葉に詰まるが、見えないよりはましだ。ましなはずだ。
それに、瞼を開けているのに見えない、というのはなんとも気持ち悪い。
自分は、背中に風を感じていることから上を向いているのは間違いない。
ならば、見えたとしたら、その光景は青空だろうか?
それとも、先ほど水の世界から放り投げ出されたのだから、水が上空を覆っているのだろうか。
それを想像すると、途端に笑い声が込み上げてくる。
どんなファンタジー世界だと、一人でノリツッコミをしてしまった。
あぁ、笑える。
それなら、あれか?
大気圏外から水の膜を通って惑星に落ちている、みたいな有様ということだろうか?
考えれば考えるほど、腹の底から笑いがこみあげてきてしまう。
だが、声は出なかった。
その前に、水の中に落ちたから。
口に大量の塩水と鼻に潮の臭いがくる。
それでも、息が詰まることはなかった。
反射で水を吐き出したくなったが、それを世界は許してくれない。
再び、水の奥底へ。訂正、塩水の世界の奥底へと沈んでいくかと思ったら。
頭を誰かに掴まれた。
いや、それはただの気のせいかもしれなかった。いや、どちらなn
──あぁっ
──あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!?
──い、たい、いたい、いいい、いたいいいいいいいいいいいいいい
──イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
──あぁ、痛い
脳をかき混ぜられているような痛み。
ぐちゃ、ぐちゃ、と音が聞こえてきそうなほど。
記憶も人格も全てが作り変えられていくことが理解できた。できてしまった。
しかし、そんなことに長いあいだ意識を割いていられるほど、痛みは弱くなかった。
むしろ時がたつにつれ、痛みはよりいっそう強くなっていく。
殺してくれと願った。
この痛みから逃れたいただ一心で、死を望んだ。自分が死んでいることやくだらない想像など、痛みの前には一瞬にして吹き飛ばされる。
だが、その痛みも次第に弱まり、なくなっていく。
どれほどの時間が経っただろうか?
痛みによって引き延ばされた体感では、とても長いように感じるが、実際にところはわからない。
「カハッ」
声が、出た。
恐る恐る目を開けば、光が見えた。あまりの眩しさに、呻き声が漏れる。ただ、その光は求めていたものだ。
再びゆっくりと目を見開けば、どこまでも広がっていそうな草原があった。そこは、緑一色。
「ここは……」
答えはない。自然の真っ只中に一人放り出された。
「天国?」
違うとはわかっていても、思いついたのはそれだけだった。
ゆっくりと、辺りを見渡す。
視線はゆっくりと右手の光源、太陽へと向かう。
空に輝く太陽は、草原のはるか彼方にある山の上にあるように見える。反対には白い満月がある。その下には同じように山が聳えていた。
前者は緑に覆われた山、後者は雪の降り積もったエベレストかと言いたくなるような山。
草原以外にあるのは、ただそれだけだった。
ならばと、導くような意識を持たせる月へ、歩みを進めた。
そこに、全ての答えがある。
そう思えたから。
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