第8話 大団円

 ただ、捜査はあまり真剣には行われなかった。ただ、指紋の照合だけは行われた。彼が行方不明になってから、2カ月、そして、その後に、遺書が送られてきて、そして、板金工場での殺人。

 彼女の捜索願を受理したことで、彼の部屋を捜索し、指紋を採取。そして、崖っぷちに残っていた遺書の指紋とを照合すれば、指紋は一致することになった。

 これによって、あの遺書を書いて飛び込んだかも知れないと思われる人間が橋立であること、そして、工場で殺された作業員を殺した犯人の最有力容疑者が、橋立であるということが判明したのだった。

 ということになると、殺人は、自殺よりも後ということになるので、この自殺というのも、

「狂言自殺」

 の可能性が限りなく高くなったというわけだ。

 これは、もう捜索願どころではない。指紋が一致したということで、指名手配するレベルの問題なのである。

 ただ、今の時点で、指名手配は時期尚早であった。

 動機というものが怪しかったからだ。

 動機ということであるならば、ハッキリとしたものがあるわけではなかった。

 それはあくまでも彼女が言っているだけで、

「その内容までは、ちょっと」

 というのであった。

「どうして教えてくれなかったんだろうね?」

 と聞くと、

「だから、それほど親しいわけではないと言ってるでしょう? お客様としては、お得意様ですけど、人間関係という意味では、客とホステス、それ以上でも、それ以下でもないということなんですよ」

 というのだ。

 そして、もう一つ気になるのが、誘拐事件だった。

 前に一度、狂言誘拐まがいのことがあり、それが結局、

「人騒がせ」

 で終わったはずだったのに、その少ししてから、近所で、また誘拐事件があったというのは、摩訶不思議な気がした。

 ただ、それは捜査員を油断させるためのものであったのか、予行演習のつもりであったのかということを考えると、最初の未遂があまりにも幼稚であったが、二度目の事件もカウントダウンのような幼稚だと思える手を使われて、まんまと、

「相手はバカだ」

 という心理トリックに引っかかってしまったかのように、カウントダウンの最中で誘拐事件を起こされてしまうという、警察にとっては、大きな失策だったといえるだろう。

「今回の事件で、私は気になっているのは、最期の事件なんです」

 という。

「最後の事件で、八島という男がいうのには、一の谷という男が行方不明だと言っていたが、殺された男は、一の谷ではなかった。今指紋を採取していろいろ探しているところだな」

 というところへ、ちょうど指紋の照合結果が出てきた。

 すると、何とあの指紋は、狂言自殺をしたと思われた、そして作業員を殺したかも知れないと思われる橋立だということが判明した。

「じゃあ、一の谷はどうしたのだろう?」

 と考えていると。

「一の谷が犯人ではないか?」

 と思われた。

 さらにいろいろ捜査を行っていく過程において、

「一の谷という男が、例のマンションでの死体の発見者である、奥さんと不倫関係にあったということが判明しました」

 ということであった。

 いろいろと事件の真相に近づいて行っている湯女気がしたのだ。

「一体、どういうことなのだろうか?」

 と思われたが、実は。

「隣の奥さんを、橋立が、脅迫していたということです」

「橋立というと、最初に殺された作業員じゃないのか?」

 ということである。

「それともう一つ分かったのは、橋立は、一の谷も一緒に脅迫していたというんです。ということは、二人が協力して、橋立を殺したということも考えられるんではないでしょうか?」

 という。

 事件は実にこんがらがってきた。

 それも、

「最初の自殺したと思われた人物が一の谷ではないか?」

 ということが判明したとたん、いろいろなことが分かってきたのである。

 まるで、事件の真相が闇に包まれていたものが、何かの拍子に明かりがつき、すべてを照らしているかのようだ。

 だが、あまりにもうまく行きすぎているような気がする。そうなると、ある程度の事件の真相がわかってきても、結局最後は辻褄が合わなくなって、また捜査、あるいは、推理を最初から立てなおさなければならなくなるということになりそうな気がして仕方がなかった。

 要するに、

「完全に犯人のトラップに引っかかってしまったのではないか?」

 という考えである。

 事件の糸が少しでもほぐれると、一気に解決するのが、今までであったが、却って、思い込みが過ぎると、せっかく積み上げてきたものが、崩れていく気がするのだ。

 いわゆる、

「積み木崩し」

 のようではないだろうか?

 問題は、橋立という男が、一の谷と奥さんを両方同時に脅迫していたことだった。

 橋立としては、お互いに別々に脅迫することで、二人がけん制し合って、相談はしないだろうと思っていたのだが、それが裏目に出たことだった。

 あくまでも、一の谷と奥さんが不倫をしているということを、橋立を殺すことで、闇に葬ることもできると思っていたのと、二人はそれぞれに、相手との関係を清算したいとも思っていた。

 そこで、一の谷と奥さんが協力して殺人を犯せば、あとは相手が邪魔になるという考えである。

 事件を成立させれば、共犯者は邪魔者でしかないからだ。

 そのことを逆に利用したのが、八島だった。

 彼は、一の谷に、仕事上の不正の証拠を握られていた。これが表に出れば、自分の社会的な信用は地に落ちてしまう。

 また、一の谷を殺すことで、奥さんに対しての無言の脅迫にもなると思ったのだ。

 二人の計画は。すべて八島に握られていて、奥さんは計画に従うしかない。

 本当は、今度の事件において、最後に発見されたマンションの死体は、狂言誘拐をした相手であった。

 あの誘拐を企んだのは、一の谷と奥さんだった。

 なぜ、そのようなことになったのかというと、誘拐された息子は、実は、二人の不倫を知っていた。

 知っていて、奥さんに、

「不倫なんか、やめてほしい」

 と言ったのだが、どうやら、奥さんのことを好きだったようだ。

 ただ、二人とすれば、脅迫されている相手である橋立の殺害計画中だったので、二人の関係を見つかるわけにはいかない。

 二人が最初に考えていたのは、橋立と、誘拐した息子とに対しての、

「交換殺人」

 だったのだ。

 橋立に対しては、

「相手は分からないが不倫をしていたのがバレた」

 ということで恨んでいたということ。

 そして、息子に対しては。ストーカーになっていて、そのストーカーを殺したいと思ったことを、後になって、分かるように計画していたのだが、どうにも、辻褄が合わなくなって、交換殺人は暗礁に乗り上げた。

 しかし、二人の計画は進み始めているのだ。ここで中断するわけにはいかない。

 なぜなら、ここでやめてしまうと、もう二度と二人を殺す計画を立てることができないからだ。

 同じ相手に対して、警察を欺くような話をでっち上げることは不可能だったからだ。

 計画は実行しなければいけないが、そのために何が大切か?

 ということになって、

「犯人のでっちあげ」

 であった。

 最終的に、一の谷を殺すことになるのだが、彼が殺されたことを絶対に知られてはいけないということで、

「殺人は、第一の殺人の後に、速やかに実行する」

 というのが計画だったのだ。

 つまりは、一の谷に、犯人になってもらって、自分と奥さんは蚊帳の外にいることにする。

 本当であれば、第三の殺人において、息子が殺されているのを見つけるのが、奥さんだというのは、実に危険であり、さらに、マンションを借りている仲間に一の谷と八島がいるというのは、危険なのだろうが、これくらいのことをして警察を欺かないと、計画はすぐに露呈するというものだった。

 この事件において、橋立という男が自殺をしようとしていたことを、ある程度事件が間違った方向に行きかけた時に明かすことで、一度事件が複雑化させることを計画していたのだが、思ったよりも、事件が間違った方向にも行っていなかったことが、犯人側の計画ミスだったのかも知れない。

 それも、きっと犯人側が最初に計画していた、

「交換殺人」

 が狂ってしまったからだろう。

 これは、事件の中に八島が入ってきたことで狂ってしまった。

 八島という男が、中途半端に頭がキレることで、

「交換殺人なんて、推理小説じゃないんだから、成功するわけはない」

 と言い出したからだ。

「交換殺人というのは、絶対に犯行が終わった後で、会ってはいけない関係で、昔よくあった、顔のない死体のトリックのように、自分が死んだことにするために、死んだ者として、自分が生き続けなければいけないのと同じなんだ。さらに、交換殺人というのは、どんなに親しい中であっても、最初に犯罪を起こした方が、圧倒的に不利になるんだよ。なぜかって? それは、次に自分が危険を犯してまで、殺人をする必要がなくなるからさ。相手が何を言ってきても、自分は完璧なアリバイがあって安心なので、何なら、お前が犯人だって言ってやろうか? 君が交換殺人を言い張っても、警察が信じてくれるかな? それよりも、君の立場は大丈夫かい? 君が殺してほしいと思っている相手は、まだ生きているんだよ? と言われるだろうね?」

 と言われると、どうしようもない。

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 と一の谷がいうと、

「俺の計画通りにすればいいんだ」

 と言って、かねてよりの計画、というよりも、二人が何か怪しいと思って見ていたあたりから、八島の中にあった計画を二人に打ち明ける。

 ここまでくると、一の谷も奥さんも、引き下がることもできず、完全に八島の奴隷だった。

 だが、何と言っても、人が計画途中の犯罪を自分の計画に組み込むことになるのだから、つぎはぎだらけの事件になっているのは分かり切ったことだ。

 そのために、計画がずさんになってしまったようで、計画の中で、

「まるで能面のような感情が入り込んでいないような事件だ」

 という思いがあったり、

「狂言が使われていることで、どこか抜けているような気がする」

 という、カオスのようになった状況において、完全にまばらになった事件となってしまったのである。

 さらに言えば、もう一つ事件を複雑にさせたのが、吐血についてだった。

 実は、血液型が同じだったので、ハッキリとはしなかったが、あの血の中には、もう一人の吐血が混じっていた。そのことは、松島刑事から、事件のあらましの話を聞いていた鑑識官が、彼特有の勘だったのだろうが、

「この血液、混ざっているのではないか?」

 という疑問を持って調べたから分かったのだ。

 実際にはそこまで疑いがなければ、見ることはないというので、実際に調べてみると、

「血液は、もう一人あった」

 ということを、松島刑事に話してみると、

「なるほど、これで辻褄が合う」

 というのだ。

 つまり、その血は、一の谷の血も混じっているという。ここで、毒にやられて死んだ人間は、一度蘇生したのかも知れないとも言い出した。

 最初はそこまで毒が回っていなかったのが分からなかったのは、血が混じっていたからで、これは犯人にとって、好都合なことだったのかも知れない。

 どうしてそう考えたのかというと、死亡推定時刻がハッキリしているのに、おかしなところがあったからだ。

 だから、一度蘇生したと考えると、辻褄は合うのだが、そこで問題になるのが、

「吐血の量」

 だったのだ。

 最初は犯人にとって、事件を複雑怪奇にさせるにはよかったのかも知れないが、

「一つバレてしまうと、そこから、どんどんバレていってしまい、せっかくのミスリードがうまくいかなくなってしまう」

 ということになるのであろう。

 そう思うと、この事件において、警察側も、犯人側も、ある意味でポンコツだったといえるかも知れないが、それ以上に、事件を必要以上に複雑怪奇にさせようとしてやりすぎたことが、却って、

「一つのことが判明すれば、巻き着いた糸をほぐすのは、意外と簡単なことなのかも知れない」

 と考えられることであった。

 結局事件は、一の谷を殺してしまったという自責の念と、八島にこれから、

「一生食い尽くされることになるのではないか?」

 ということを考えると、

「奥さんの自首」

 という形で決着がついた。

 そして、すべては、一の谷の死体が発見されたことで、表に出ることになったのだが、交換殺人であったり、狂言誘拐、狂言自殺など、結局、どこまでが一の谷の計画で、どこからが、八島の計画だったのか、捜査が進んでも、そこだけは分からないままだったのだった……。


                 (  完  )

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能と狂言のカオス 森本 晃次 @kakku

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