第10話 終戦

 昭和二十年八月十五日、その日の昼食は、いつもの十二時ではなく、十一時三十分でした。見張りの兵と厨房の女性達が、ホールに集まり、正午になった時、日本の国家が流れ、誰かが話す声が聞こえました。その話し手の声が、甲高く、日本語には、かなり慣れていた私ですが、その放送を聞いても何を話しているのか、わかりませんでした。

放送が終わると、見張りの兵は、じっと下を向き、女性達は、泣いていました。何が起きたのか。これは、ただ事ではない。日本に何かが、起きたとすると、戦争を継続することにした、あるいは、敗戦を認めたのどちらかでしょう。

戻ってきた兵が、深刻な顔をして何かを考えているようでした。「何か、良くないことでも起きたのか」と私たちは、房の中で互いの顔を見合わせました。

そうして、三時間がたったころ、私たち修道女と捕虜の代表者が、呼び出されました。

「本日正午、日本は連合国に無条件降伏しました。我々は、上の

指示に従ってあなた方を解放します。だが、むやみに外には出ないでください。不測の事態が起きるかもしれません」

その所長の言葉を通訳しながら、私は、ついに、戦争が終わったのだ思いました。

いつものように房に戻ろうとすると、見張りの兵が、

「房に戻る必要はない。私も、もう見張りの兵ではなくなった。その房に入るのは、むしろ、私かもしれない」

と言ったのです。

その言葉を聞いて、私は、初めて戦争が終わったことを実感しました。

彼は、今日の出来事を教えてくれました。正午にラジオの周りに集まると、天皇陛下が、日本が無条件降伏に同意したと話されたとのことです。聞いたところでは、史上初めてラジオで国民に話しかけたということです。私は、日本人が、天皇の命令に逆らい、最後まで抵抗を続けるのではないかとも思っていましたが、これも又、不思議なことでしたが、そのようなことは、ここ福島では起こりませんでした。 

 私たちは、恨みを忘れ、今こそ、弱き者たちへ手をさしのべる時だと思いました。ただ、手を差し伸べようとしても、食べるものがありません。衣服も家も医療も極端に不足していました。

 しかし、恨みとは、何でしょうか。日本軍、日本人に対して、戦時中の処遇に恨みを抱いたことは、ありません。独逸、イタリアと組んで、世界中で戦争をしたという事実はありますが、日本が、特定の民族を虐殺したとまでは言えないと思っています。

 私が、聞いたのは、インドシナ半島で、イギリス人の捕虜が、死の行進を強いられ、多数の犠牲者が出たということです。これにも、日本軍としての事情があったのだということは、後日、知ることができました。

 私には、連合国が、勝者の立場から敗者を裁くという行為が、どうしても納得できませんでした。それは、裁判ではなく、復讐です。

 私達が、敗戦のさなかの日本で感じたとまどいを、今ここで、述べている余裕はありません。しかし、広島と長崎に、つながることについては、何度でも話をしたいと思います。

 

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