第6話 基督教布教の歴史

 私を含む五人は、福島に着いてすぐに仮修道院を開設しました。私たちが派遣されたのは、もとより基督の教えを広めることでしたが、私たちは、それ以外の教育、福祉活動にも手を広げました。

 教育の活動としては、クリスチャンの方々から、小学校入学前の子どもたちに、基督教のことも含めて教育をお願いしたいとの話があり、昭和一三年(一九三八年)に「雛菊幼稚園」を開園することができました。

 また、他の地域のことは、詳しくは知りませんが、福島では、精神病院も足りず、精神を病んだ方へのケアは極めて不十分でした。症状の重い患者を家の中に閉じ込めて置いているのです。それを、座敷牢と言うのだと知りました。ピネルが、精神病患者を鎖から解き放ってから一四〇年になりますが、まだ日本では、そこまでは至っていないようでした。

 私達は、精神を病んだ方に清潔なベッドと粗末ですが、栄養のある食事を提供したいと広済会という施設を立ち上げました。私達の中には、精神病の治療について知識を持つ者はいませんでしたが、精神科医に協力をいただき、最初は数人を住まわせることができました。

 私達は、福島で、色々な事業を行いましたが、福島に、何もなかったわけではありませんでした。明治維新というのは、日本の政治体制の変革だけではなく、日本人の心性の大変革をもたらしたようです。

 それまで、日本人は、海外への渡航を禁じられており、狭い国土の中で、それなりの文化を享受してきましたが、海外の新しい商品、書物や文化に触れて、世界に恥じない生き方を決意した人々も多かったようです。

 慈善、福祉というものにも目を向ける人が、出てきましたが、福島では、瓜生岩子という会津の女性が有名です。彼女は、仏教徒で六〇年前の日本の内戦(明治維新)のさなかに、敵味方の別なく負傷者を救い、医療の手を差し伸べるなど日本のナイチンゲールのような働きをしたと伝えられています。  

 さらに、彼女は、福島に孤児院を創設しただけでなく、貧窮者への救済施設をもうけ、台湾にまで、その援助の手を差し伸べたということです。

 私たちは、教育活動については、当初、未成年者を対象としていましたが、学校を卒業した方から、何か勉強することはできないかと求められました。

 具体的には、成人女性を対象として、家庭で役立つものを教えてほしいとの要望でした。家庭で役にたつものと考えていると、ある修道女は、料理が、別なシスターは裁縫ならと、自分が得意なものを上げました。

 別に、難しく考える必要はなかったのです。各自が、幼い頃から身につけたことを教えれば、それほど苦労はせずに対応できるのではないか。そう申し出ると、喜んでいただき、最終的に、ピアノ、声楽、刺繍、料理などを教えることになりました。いわゆる成人学校を開いたのです。

 だが、その成人学校を運営する中で、考えさせられたことがありました。成人学校に来る日本人女性は、まずクリスチャンであり、裕福な家の出の方でした。既婚者は殆どおらず、私と殆ど年齢の変わらない方もいらっしゃいました。

 日本人のクリスチャン、特に女性は、ミッション系の女学校の卒業者が、殆どで、彼女たちは、結婚して、主婦となり、家事を切り盛りしていましたが、難しかったのは、祖先に対する礼の尽くし方でした。

 夫の家もクリスチャンであれば、さほどの問題は起きなかったでしょうが、そうでないと、彼岸やお盆には、墓参りが欠かせませんでした。当時の、日本の教会の立場は、死者を拝むなかれ、神を拝めというものでしたので、これを躓きの石として、信仰から遠ざかった方も多かったのです。

 さらに、日本人のクリスチャンという立場が、大きく変化したのは、私たち修道女が来日してから、何年もたたない頃でした。

 日本人とキリスト教の関わりには、先ほど述べたように長い歴史がありますが、明治維新までは、旧体制派が、切支丹禁止を打ち出していたため、二百年以上は、教えが広まらない状態が続いていました。

 明治の世になり、武士という身分が消滅したときに、一部の武士に大きな転機が訪れました。廃仏毀釈令で、旧来の仏教が否定され、新しい世には、新しい教えが必要であるとの認識から、基督教を信仰する動きが出てきたのです。

 それには、さらに西欧文明の取り入れに、乗り遅れまいとする意識も働いていたようです。ところが、日本が、驚くほどの速さで西欧文明を吸収し、世界の一等国として、欧米列強と対峙すると、基督教に頼らずとも、日本の内なるもの、すなわち、皇室への崇拝や、神仏信心でも充分ではないかとの考えが生まれ出たようです。

 それが、日本人のキリスト教への対峙の仕方、ひいては、クリスチャンへの向き方も変わったと思える瞬間でした。

 戦争が近づくにつれ、キリスト教は、危険なものと見做されるようになり、日本の基督教会は、国策としての戦争への協力を誓わされました。このような状況で、キリスト者として生きることができるのかどうか、院長様はじめ、私たちは、悩みましたが、密かにクリスチャンとして生きる日本人のことを考えると、彼らを置いて日本を離れることはできないとの結論に達したのです。





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