第2話 日本到着
日本に航るのに様々な準備を整える必要がありましたが、清貧を誓っている私達には、小さなトランクだけで充分でした。
過去数百年間、欧米からは、布教のために、数多くの修道士や修道女が世界中に散っていきました。私達も、肉親と別れることは辛いことですが、神に仕えることを誓約した身として、別れの挨拶をして、十月の初めに、私達は、モントリオール港から横浜港行のエンプレス・オブ・アジア号に、乗船しました。
客船は、北太平洋を一直線に航行し、十月一九日に横浜港に到着しました。通常は、八日程度の航海と聞いていましたが出港時より、空には、雲がたちこめ、波は高く、時には、船が大きく傾くなど生きた心地がしないなか、二倍近くの十三日間もかかって、ようやく着岸したのです。
しかし、日本が近づくにつれ、あれほど悪かった天気も回復し、頭上に素晴らしい火山が望めます。あれが、噂に聞く富士山かと改めて、日本の風景の美しさに心を奪われたものです。
横浜港に到着するまで、私達は、何度も、殆ど裸の日本人が、不思議なオールで、小さな船を漕ぎながら、魚を獲っている光景を目にしました。
日本が、西洋化してもう五十年以上がたつと聞いていたのに、まだ日本の人々は、半裸の状態で暮らしているのかと想像すると、これからの布教に不安が生じたことを白状しなければなりません。
横浜港での入国審査も何事もなく、私達は、日本の土を踏みました。港には、教会の関係者が、待ち受けており、私達は、歓迎を受け、横浜から東京までの汽車に乗りました。
港や鉄道では、予想していた以上に、日本は、近代化が進んでいるようで、私達は、先ほど見た光景と比べて、戸惑いを覚えたのも確かです。
子どもらしい夢のようですが、憧れの日本で、私が、見たかったのは、侍でした。大きなサーベルを腰に差し、侮辱を受ければ、相手を殺し、自分も自殺すると言う戦士の一族がいるという話に、幼い頃の私は、夢中になりました。
汽車が東京駅に着いて、私は、あたりを見渡しました。残念ながら、刀を差した侍はいませんでしたが、きれいな着物を着た女性たちが、思い過ごしかもしれませんが、私たち一行のことを噂しているようでした。
しかし、用意されたタクシーに乗り、帝国ホテルに到着しても、道行く人は、誰も私達の姿に興味を示しません。ここは、東京の中心にあると聞いたので、外国人を見慣れていたのかもしれません。ホテルでは、カナダ大使館の大使夫妻から歓待を受け、翌日、上野駅から目的地を目指しました。
そう言えば、昨日、横浜から乗った鉄道の客車が小さく、おもちゃの国に来たような印象を受けましたが、日本人は、小柄なため、それに合わせたのかと思ったことが思い出されます。
列車に揺られること六時間、人家がまばらになり、少し寂しさを感じた頃、福島に着きました。福島は、日本の北部にあるせいか、東京よりかなり寒いという印象を抱きました。しかし、地図で見ると、カナダは、日本よりもっと北に位置していました。
翌日早朝、仮宿舎の窓からは、見事な紅葉が見えて、既に秋一色でした。カナダの秋も美しさでは、引けをとらないと思っていましたが、日本の秋は、それ以上でした。
さて、福島に赴任してからですが、とにかく、私は派遣された五人の中で最も若かったせいか、一番早く日本語も覚え、日本の習慣にも慣れました。ただ、私は修道女になったばかりで、何もわからなかったというのが、偽らざる気持ちです。
福島は、絹の産出で名高く、活気に満ちているという話を事前に聞いていましたが、不況に喘いでいました。なぜなら、昭和四年(一九二九年)におきた米国発の世界恐慌が、日本を直撃し生糸の需要が激減していたからです。
さらに、翌年の冷害による凶作も追い打ちをかけ、また昭和八年(一九三三年)には、三陸地方を津波が襲い、その翌年は、大凶作にみまわれるなど東北地方の農村部は疲弊の極に達したのです。
来日の翌年には、大きな地震がありました。日本に来て初めて地震というものを体験したとき、今思えば、ごく小さなものでしたが、思わず部屋から外に出てしまいました。
とにかく、地面が揺れるということは、カナダにはなく、生まれてから初めての経験で、黙示録の予言が始まったのではないかと思えるほどでした。
しかし、昭和八年三月三日の午前二時に起きた地震は、それまでに感じたことがないほど強い揺れで、かなり不安な気持ちになったことは確かです。
翌日の新聞号外で、岩手県の太平洋沖が震源で「津波」という巨大な波が沿岸部を遅い、何千人という人々が亡くなったことを知りました。
私達は、そんな状態の東北に飛び込んだのですから、あるいは迷惑でもあったかもしれません。逆に言えば、そのように生きるのが厳しい状況であったからこそ、基督教を弘める意義があったのかもしれません。
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