修道女マルグリット

@chromosome

第1話 マルグリット 日本へ

 私の名は、マルグリット、二十歳の時、来日して七十九年になりました。神の恩寵により、九十九歳になった今でも、朝の祈りは欠かしたことがありません。

 福島にある修道院の修道女でしたが、寄る年波には勝てず、今は、東京の修道院で余生を送っています。どうやら、日本で、一生を終えることになるようです。

 近頃、しきりに福島のことを思い出すようになりました。なぜなら、東京というところは、確かに便利ですが、あまりにも、忙しく物事が進む印象があり、瞑想するには、やはり、福島のような静かなところが、私には相応しいと思われます。

 日々の楽しみと言えば、若いシスター達が、私を気遣って、様子を見に来てくれたとき、私の日本での経験を語ることです。彼女たちにとって、いやもう少し年を取っているシスターにとっても、戦前の日本のことなど、書物でしか、知ることができないもののようです。

 私自身、若さにまかせ、この日本の北から、最南端まで、歩き回り、大冒険をしたという自負はあります。そのようなことをする必要があったのかと問われれば、我が道は、全てを神の御手にゆだねましたと答えるしかありません。

 私が、日本に関わるようになったのは、昭和七年(一九三二年)四月に福島にあった教会から、女子修道院を開設したいとの要請があり、カナダを本拠とするコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会が、修道女の派遣を決定したことから始まります。

 福島市に派遣されるのは、私を含めて、次の五人の修道女でした。まず、六十八歳になる院長のSt.アルケウス、St.M.デュマス、St.ジャネ・ダサ、St.ボールマン、そして私、Stマルグリット.・ド・アンファンネです。  

 院長のSt.アルケウス様は、その時まで、二つの修道院長を務め、日本での布教を最人生最後の使命と了解していました。 他の修道女については、おいおい触れていきたいと思います。

 修道院の存立意義は、修道と布教です。これは、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル師と同様です。布教には、布教する地の歴史的、経済的、宗教的状況を把握する必要があります。

 現地の言葉を習得し、習慣や価値観も知っておくことが重要です。東洋の日本という国への興味がすこしづつ増してきて、極く一部の大学では、日本語の講座も設けられたようです。

 しかし、キリスト教、特にカトリックには、ザビエル師以来の四百年の布教の歴史があります。当時から、ほそぼそと日本語の辞書は作られていました。

 しかし、それらは、改編されず、私たちは、思えば時代に合わないおかしな日本語を勉強していたことが、来日して初めてわかりました。とにかく、欧米の人間にとって、アルファベット以外の文字で記載された言語というものは、エジプトの象形文字と同様のものだったのです。

 中国の漢字は、中国が大国であったためと表意文字でありながら、文法的には、ヨーロッパ語に類似した性質を持っていたため、ある程度の研究はなされていました。

 私たちは、日本語の勉強をするにも、特に、文字は、はじめは、中国語と似ているのかと考えていたのですが、全く別のものだとわかりました。

 しかし、日本は、キリスト教が根付いていない地ではなく、先人が既に、布教活動をしています。教会、修道院もかなりの数があります。それでも、新たな地に、修道院を開設したいと日本人が、考えてくれたのは、嬉しいことです。

 日本が、布教がしやすい土地かどうかは、なかなか判断の難しいところです。ただ約六十年前に、それまでの風俗を捨てて、西洋化に舵を切ったことは、よく知られている事実でした。ある意味、これは、私達にとっては、生活しやすいことを意味します。アフリカの奥地では、電気、ラジオ、水道を期待するのは無理なことだったでしょう。

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