エピソード11 川の守り神

〈エピソード11 川の守り神〉


 勇也とイリアはとりあえず川に目標を定めて歩いていた。


 二人の傍には茶トラの猫がピッタリと寄り添うようにして歩いている。トコトコト足を動かす姿は何とも愛らしい。


 猫は式神のネコマタで見た目は何の変哲もない普通の猫だが、イリア以上に神気を敏感に感じ取れるらしいのだ。


 また人間の言葉もよく理解できるし、逆に人間の言葉を発することもできる。どういう舌の構造をしているのかは分からないが、肉声で人間の言葉を紡げるのだ。


 その上、発せられる言葉を肉声ではなく思念というもので、直接、人間の頭に響かせることもできる。

 この感覚はまだ慣れていない勇也にとっては、少々、むず痒い。


 とはいえ、人がたくさんいるところなどでは、思念で話しかけてもらえると不審がられずに済むので助かる。


「おいら、和菓子屋さんのお饅頭が食べたいな。特に水月堂のお饅頭は絶品だって聞いてるよ」


 ネコマタは人間の言葉を紡ぐのには慣れているのか、そこらの人間では顔負けしてしまうような活舌の良い声を発して見せる。


 知能の方も人間と同じくらいありそうだし、猫の姿をしているからといって軽視するのは止めた方が良いかもしれない。


 勇也はVTUBEでネコマタを紹介したら、どんな反響がくるかなと冗談染みた考えを巡らせた。


「用事が済んだら、スーパーの饅頭を買ってやるよ。悪いが和菓子屋の饅頭なんて高くて買いきれん」


 それでなくてもイリアのせいで食費が四割増しになっているのだ。これ以上の出費は断じて許すわけにはいかない。金銭に対する締めつけは緩めてはいけないのだ。


「ケチ。やっぱり、ご主人様はソフィアの方が良いよ。ソフィアはお饅頭だけじゃなく、他にも美味しい物をいっぱい食べさせてくれたし」


 ネコマタは人間のような豊かな表情を見せると、拗ねた声で言った。


「生憎と俺は貧乏なんだ。恨むんならお前を俺のところに寄こしたソフィアさんを恨むんだな」


 どうせ使役するのならドラゴンとかの方が格好良くて良かったよ。何が悲しくて和菓子屋の饅頭を強請るような猫を飼わなければならないのか。居候はイリアだけで十分だと言いたい。


「フンッ。どうせ、おいらは人間には逆らえない弱っちいネコマタさ!」


 そう不貞腐れたように言うと、ネコマタは猫の姿から宙に浮かぶ光の玉へと変身して見せる。


 それを受け、勇也が護封箱を開けると光の玉となったネコマタはあっという間に箱の中に吸い込まれて消えた。


 この辺は手品の領域だな。


 ちなみに、ネコマタは霊体と肉体を自由に行き来できるので、自分の体をある程度、好きなように変化させることができるらしい。


 だから、存在するためのエネルギーの消費を抑えられるという小さな護封箱の中を出たり入ったりすることが可能なのだ。


「ご主人様、ネコマタさんを虐めたら駄目じゃないですか。式神は大切な戦力ですし、もう少し優しく接してあげないと」


 イリアが窘めるように言ったが、勇也はイリアやネコマタを調子に乗らせないためにも形だけの反発をして見せる。


「そういう気を遣うのはお前だけで十分だ! 実際、お前が来てから心労で胃が痛くなることが多くなったぞ」


 勇也は憮然とした顔で言った。


「ご主人様はそこまで私に気を遣ってくれていたんですか。それは気が付きませんでしたし、不甲斐のないメイドですみません」


 イリアはわざとらしくシュンとした健気な態度をして見せたし、これには勇也も疲れたように肩を落とすしかない。


 やっぱり、自分は女の子の扱いが苦手だ。こんなことじゃ、イリアはともかくクラスメイトの宮雲雫との距離は縮められないだろう。


 一時期は、イリアを使って女の子と仲良くなる予行練習をしてみようとも思ったのだが、得られるものはなさそうだったので、すぐに止めた。


 なので、勇也も自分の春はまだまだ遠いなと思い、慨嘆するように息を吐いた。


 そんなやり取りをしていると二人は上八木市の町を二つに割るようにして流れている上八木川にまでやって来る。


 車の往来こそあるものの幸いなことに辺りに人の姿は見当たらなかった。


 昨日のような怒涛の展開は御免だが、仮に話の流れで神と戦うことになっても周囲の人間を巻き込む危険性は少ないだろう。


 ダーク・エイジのサイトでもソーサリストは秘密裏に動かなければならないという鉄則が記されていた。


 それを怠れば厳しい制裁も待っている。


 勇也は組織の人間ではないが、今はソーサリストと同じ力を持っているし、その鉄則には従った方が身のためだ。


「さてと、川には辿り着いたが、何かがいる気配はないな」


 勇也は鉄道橋の上から川の水面を眺めていたが、魚一匹、跳ねる様子はなかった。この橋に人が集まるのは花火大会の時だけだろう。何とも言えない寂寞さを感じるな。


「そんなことはありませんよ、ご主人様。私はこの川から体がビリビリと痺れるような強い神気が発せられているのを感じています」


 イリアは武者震いでも感じているのか、何かに挑むような目つきをしていた。


 勇也も目を凝らしてはみたものの、やはり何も見えない。なので、思い出したようにポケットへと手を伸ばした。


「なら、この眼鏡をかけてみるか」


 勇也はポケットから取り出した千里の眼鏡をかけ、補聴器も付けてみる。ソフィアの言葉が正しければ、これで神の姿を視認することができるはずだ。


 そう期待してみたものの、勇也は特に変わった反応を見ることができなかったので、様子を窺うようにイリアを横目にする。


「この川に住む神様、私の声が聞こえていますかー。私はこの町の歌って踊れる上ご当地アイドル、上八木イリアですし、隠れていないで出てきてください」


 イリアが誰もいない川に向かってそう間の抜けたような声を張り上げると、すぐに目に見える変化が起きた。


 川の中から群青色の体をした巨大な蛇のような生き物が現れたのだ。否、それはよく見ると蛇ではなく神々しいオーラを纏っている竜だった。


 漫画やゲームでしか拝見したことがないような憧れの竜のロマン溢れる姿は勇也の心を強く打った。


 ネコマタと話していた時は冗談のように思っていたが、まさか、本当に竜と出会えてしまうとは。


 はっきり言って、感激も良いところだ。


 そんな竜の体長は十メートル以上もあり、その迫力は尋常ならざるものがあった。人型のゴーレムや獣型のホムンクルスが可愛く思えてしまうほどの次元違いの迫力だ。


 それを目の当たりにした勇也は金縛りにでもあったように身動きが取れなくなってしまう。いきなり食われないよなと思うと、途端に心の方も情けなくおどおどしてしまった。


「私はこの川を守る水神。上八木市の女神として名高い貴方がこの私に何の用ですかな?」


 水神は獰猛そうな見た目に反して攻撃色のようなものは全く見せず、ゆったりした清らかさを感じさせる口調で言った。


「用ってほどではないんですけど、実は私、生まれたのはごく最近で、この町の、取り分け裏の世界の事情については分からないことも多いんです。だから、より深く色々なことを知るためにも、この町にいる神様たちに挨拶して回ろうと思って」


 イリアは物怖じすることなく明朗な声で自分の立場を説明する。それに好感を持ったのか水神は怖気を誘うような竜の顔でにこやかに応えて見せた。


「それは感心。とはいえ、私も置かれている状況は貴方とほとんど変わらないのですよ。ある日を境に大量の神気が川に流れ込んできて私は神として生まれました。ですが、それは自然な誕生とは程遠いもので、私も困っているのです」


「なるほど」


「元来、神とは少しずつ神気を吸収することで生まれる存在。神として生まれるには何百年、下手したら千年以上の月日が必要なのです。それなのに、この町では僅かな月日で数多くの神が生まれています。困惑しているのは私だけではありますまい」


 水神の哀愁を漂わせるような言葉を聞くイリアは本当に話の内容を理解しているのか疑わしい顔で相槌を打つ。


「私もその神の一人です」


 イリアは回りくどい言い方はせずはっきりと答えた。


「でしょうな。とにかく、私が教えられることはほとんどありませんし、詳しいことを知りたければ、元々、この町に古くからいる自然に誕生した神に尋ねるより他はないと思いますぞ。もっとも、古き神が何処にいるのかは私にも分かりませぬが」


 その古き神が正真正銘の神に違いないと勇也も理解したし、イリアのようなぽっと出の神とは違うと思いたかった。


「分かりました。そういうことなら、とりあえず他の神様を尋ねてみますね。もしかしたら、その中に自然に誕生した神様もいるかもしれませんし、その方ならあなたの言う通り、もっと詳しいことを知っているかもしれません」


「そうであると願いたいものです。では、私はこれで」


 そう穏やかな声色で言って、水神は川の水深を遥かに上回る自らの巨体を水の中に沈めた。水神の体は霊体らしく、水飛沫一つ上がることはない。


 水神の体が完全に見えなくなると、まるで最初から何もいなかったような静謐さだけが辺りに漂う。


 取り残されたような勇也とイリアはしばし呆けていたが、気を引き締め直すと次の神がいる場所へと向かった。


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