エピソード10 挨拶回り

〈エピソード10 挨拶回り〉


 カーテンの隙間から差し込んでくる日の光が眩しいダイニングルームで勇也は朝食のパンと目玉焼きを食べていた。


 それは優雅な朝食というものを体現したような光景。


 まるで、高級ホテルのレストランにいるような心地だ。実際には、見すぼらしいアパートの一室なのに。


 そんなことを思う勇也の傍にはメイド姿のイリアがいて、本物の給仕のように勇也のマグカップに湯気を燻らせるコーヒーを注いでいる。


 入れたてのコーヒーの苦みも絶妙だった。挽き立ての焙煎豆を使っている喫茶店のコーヒーにも負けてはいない。


 また、イリアの作る朝食は簡素なものではあったが、まだ一緒に暮らしていた頃の母親が手をかけて作った朝食に勝るとも劣らない味がした。


 どことなくホロっとさせられるようなスパイス染みた愛情も感じるし、イリアはアイドルだけでなくメイドとしても超一流のようだ。


 こんなメイドなら金持ちの屋敷などで働かせても、さぞ喜ばれるような仕事ぶりを見せてくれることだろう。


 イリアの勤勉さは、そうそう真似できるものじゃないし。


 それだけに、今いるようなボロアパートにイリアを縛り付けておくのは少し後ろめたさを感じた。


「お食事の最中にすみませんが、ちょっと良いですか、ご主人様?」


 イリアはいつものような底抜けの能天気さは見せずに、どこか思い詰めたような暗い顔で声をかけてきた。


 これには勇也も眉を持ち上げたし、イリアも宝石のような瞳に影を落としながら勇也の顔を真っすぐ見据える。


「改まったような顔をしてなんだよ? 言っておくが、金に関しての相談なら受けられないからな」


 勇也はコーヒーを啜る手を止めて怪訝そうな顔をする。


 何となくではなく、絶対に自分にとって歓迎できないような話が始まる予兆を敏感に感じ取っていた。


「ち、違いますよ。私、昨日からずっとなぜ自分が生まれたのかを真剣に考えていたんです。どういう仕組みで神様たちが頻繁に生まれているのかも知りたいと思っていました」


 イリアは自分の正直な気持ちを覆い隠すことなく吐露しているようだった。


「そうか……。まあ、そりゃそうだよな。昨日はあんな危険な目に遇わされたし、他の神たちのことも知りたくなるのは当然か」


 ここで茶化すほど勇也も無粋な人間ではないし、昨日の恐ろしい激闘が頭の中でフラッシュバックする。


 すると、たちまち心胆が寒からしめられたし、イリアの抱く深刻さも如実に伝わってきた。


「仰る通りです。だから、私はこの町に住む神様たちに挨拶回りをしたいんです。そうすれば、もっと自分のことが分かるかもしれませんし」


 イリアの言葉には切実な響きがあった。


 こんな殊勝な態度を見せるイリアは初めてなので、斜に構えがちな勇也も少しだけバツが悪そうに頬を掻く。


 ここは素直な気持ちでイリアの話に耳を傾けるべきだ。


「それは悪くない行動だと思うぞ。自分のことを分からないまま放置しておくのは危険だし、知るべきことは知っておかないと」


 もし、自分がイリアと同じ立場だったら、真っ先にその謎の究明をしようと行動していただろうからな。


 だからこそ、イリアの言葉を面倒くさいなどと言って却下することはできない。


「ですよね、さすがご主人様! いつものことながら正しい状況認識というものができています」


 イリアはテーブルに身を乗り出しながら笑う。その勢い余るような態度に勇也も反射的に身を引いていた。


「お世辞はいい。まあ、俺も昨日の話を聞いてからずっとモヤモヤしていたし、とてもじゃないが、今は金儲けのPR活動に精を出す気にはなれん。だから、お前のやることに付き合ってやるよ」


 ソフィアの言葉を全面的に信じるのであれば、ダーク・エイジの組織も勇也たちに対しては当分は大人しくしていてくれるだろう。


 ただ、ダーク・エイジのホームページを閲覧したところ、この町には他にも危険かつ過激な行動を辞さない組織が幾つもあるらしい。


 あまり目立ちすぎると、そいつらの興味を引いてしまうかもしれないし、そうなればもっと厄介なことに巻き込まれるかもしれない。


 それだけに慎重な立ち回りが求められている気がした。


「ありがとうございます。何だかんだ言って、私のことをちゃんと考えてくれていることには感謝しかないです」


「感謝などいらんよ。俺は自分の中の疑問を解消するために、お前の行動の後押しをしてやっているだけだからな」


 好奇心に負けただけの勇也は百パーセントの善意なんて、そうそうあるもんじゃないと心の中で毒づいた。


「では、少し心苦しくはありますが、私の自分探しに付き合ってください。そうすれば、ご主人様にも必ず得るものはありますよ」


 イリアは勇也に自分の取ろうとしている行動を肯定されて欣然とした表情を見せた。


 焚きつけるようなことを言ってしまった勇也もやれやれと苦笑する。イリアのノリの良さは、もはや天然だな。


 このある種の純粋さは心が汚れていると自覚している自分には眩しくて仕方がない。


「だと良いんだけどな。それでどうするつもりなんだ? 神様たちに挨拶をしたいって言っても、そいつらが何処にいるのかなんて分からないだろ」


 神は目に見えないが、ソフィアから渡された千里の眼鏡を使えばその姿を確認することができるかもしれない。


 とはいえ、上八木市の町は相当広いし、当てもなく歩いたところで神たちを見つけられるとは到底思えない。


 それに関して、何か良い打開策があるなら聞こうじゃないか。


「その辺の心配は無用です。私は自分以外の神気もある程度なら感じ取れますから、それを辿れば神様のいるところにまで行けると思います。ちなみに、明らかに大きな神気を放っているのは、この町では約七人です」


「七人という数字が多いのか少ないのかは、俺には判断が付けかねるな。ま、それも挨拶回りをしている内に自ずと見えてくるだろう」


 ごく普通の人間の勇也に神気を感じ取る力は微塵もない。


 ただ、ソフィアから渡されたグローブを装着すればグローブの水晶が自動的に神気に反応してくれるらしい。


 もっとも、距離が遠くなればなるほど水晶の反応は鈍っていくと言うのだが。


 ちなみに、グローブの水晶は神気とは異なる力であるマナという力にも反応する。人間の体内に流れる自然なマナを消費して魔術を行使するらしい。


 イリアが昨日言っていた自分とは性質の異なる力というのはマナのことを指すのだろう。


 マナは日本語で言うと魔力に該当するものらしく神気とは水と油のように反発しあう性質も持っていると言う。


 あと、魔法は魔術よりも高位の力とされている。


 魔法の域に達した力を使うのは人間では無理らしく、神や悪魔のような存在だけが魔法を扱うことができると言う。

 だから、神であるイリアが行使するのは基本的に魔術ではなく魔法だということになる。


 まあ、昨日の今日では難しいことはよく分からない。


 なので、これからもソーサリストのことについては地道に勉強し、実践していくしかないだろう。


 その薫陶こそが自分の平和な生活を守ることにも繋がるのだから。


「でも、危険はないのか? 神だってピンからキリまでいるだろうし、中には悪い奴もいそうだが」


 勇也は鬼胎を抱くように尋ねる。


 付け焼刃の力しかない今の自分では、イリアの同類である神の相手はとても務められないだろう。


 その辺はイリアと実力差のあり過ぎる戦いをしたサングラスの男たちと同じだし、あの男たちも今頃、触らぬ神に祟りなしという言葉を痛感しているはずだ。


「心配しなくても大丈夫ですよ」


 イリアは確固たる自信を覗かせながら言葉を続ける。


「私の神気はこの町では一、二位を争うほど大きいですし、相手がどんな神様であろうとも、そうそう遅れは取りません。何より、ご主人様は昨日の私の戦いぶりを忘れたんですか?」


「忘れるわけがないだろ。昨日のお前の戦いぶりは目に焼き付いているぞ。特にお前の物騒な横顔は記憶から消そうと思っても消えやしない」


「それは困りましたね。ま、そういうトラウマみたいなものは、きっと時が解決してくれることでしょう」


「そう願いたいもんだし、いざ戦いになっても問題はないということは分かったよ」


 勇也は気の利いた反論が思い付かなかったので、仏頂面で言った。


「理解が早くて助かります。とにかく、大きい神気を放っている神様は一人を除いてほとんど移動していませんから、会うのは難しくないはずです」


 そんなことまで分かるのか、と勇也もイリアの力に侮り難さを感じる。


 と、同時に神の動きが把握できるのなら、こちらに危害を加えてくるような危険な神がいても対処は難しくないなと思った。


「それなら、朝食を食べ終わったら、さっそく、そいつらのいる場所に行ってみよう。俺もお前以外の神様とやらには興味があるし、善は急げだ」


 勇也は内心ではヒヤリとしたものを感じていたが、ビクビクしているところを見せるのも男としてはみっともないので表面上は悠々と応じる。


 少なくとも、昨日のような情けない狼狽ぶりはもう見せはしない。その時が来たら、例え力不足であっても、イリアと共に命を懸けて戦うつもりだし。


 その覚悟がないのなら、危険が伴っていて、どうなるのか分からない神様への挨拶回りも断固として反対すべきだ。


「そうしてくれると嬉しいです。とにかく、神様同士、仲良くできると良いんですが、そういうのは案ずるより産むが易しってやつですね」


 イリアも我が意を得たりといった感じでにんまりと笑った。


 こうして勇也とイリアは強い神気を放っている場所に赴き、この町にいる神たちに挨拶回りをして歩くことになった。

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