エピソード5 PR活動
〈エピソード5 PR活動〉
勇也とイリアは上八木市の商店街に来ていた。
この町の商店街は寂れてはおらず、時間さえ来ればそれなりに賑わう。
これも近くに大型のショッピング・センターなどがないおかげだろう。
もし、そんなものができれば、蝋燭の火を吹き消すように商店街はシャッター街に早変わりしてしまうはずだ。
この地域に住む人間として、それは困るので勇也も商店街のPRには殊更、力を入れている。
ただ、今は朝の早い時間帯ということもあってか、周囲の人通りは多いとは言えない。
商店街の店も開店し始めたばかりだし、いつもの活気はまだない。
それでも、何人かの通行人はメイド服姿のイリアを見るや、目を見開いて立ち止まっている。
通りに面した形で商売をしている八百屋や魚屋の店主も唖然としていた。
やはり生身の体を持ったイリアは注目の的になるしかないらしいし、勇也もそうでなくては困ると心の中で相好を崩す。
動画撮影で最も重視しなければならないのはインパクトだ。インパクトが欠けていてはどんなに良い内容の動画も見てはもらえない。
そういう意味では、イリアの持つインパクトは極めて大きいと言えるだろう。
もちろん、勇也の動画撮影のテクニックも問われるし、あらゆる部分で手を抜くことができない。
でも、今回は小さいことに捕らわれなくても大丈夫だという確信があった。
それだけ生身のイリアという素材の良さは際立っている。
後はPRの仕方だけだし、それはイリア本人に任せるしかない。
さてと、生身の上八木イリアのお手並みを拝見させてもらうとするかな。
「さあ、皆さん。今日から上八木イリアの新たなバージョンのPR活動が始まりますよー。どしどし視聴しちゃってください」
そう溌溂とナレーションをするイリアを勇也はスマホで撮っていた。視聴回数は平日の朝ということもあってか、驚くような伸びはない。
ただ、勇也のチャンネルを登録している人には通知が届いているはずなので、時間が経てば必ず見てくれるはずだ。
ここは焦るようなところではない。
「まずは一番バッターの八百屋さんです。この八百屋さんはスーパーよりも新鮮で美味しい野菜を仕入れているって評判なんですよ。皆さんも安いからって、すぐにスーパーの野菜に飛びついたら駄目ですよ!」
イリアは歩道にはみ出す形で商品を陳列していた八百屋の前でそうPRする。
それを見ていた八百屋の店主は幽霊でも目撃したかのように青い顔をしていた。店主のキャベツを持つ手も小刻みに震えている。
それは決して過剰な反応ではない。
「あ、あんたは上八木イリアちゃんだよね。こりゃまたそっくりさんがいたもんだ……」
八百屋の店主はゴクリと生唾を飲み込みながら言った。
勇也もこの珍獣でも発見したかのような反応の仕方は正しいと思った。
金髪の外国人のメイドが朝の商店街にいるのを見て平気な顔でいられる奴がいたら、そいつの頭のネジは少しおかしい。
外国人ということを差し引いても、メイド服はやはり異様だ。
ここが日本ではない外国であっても、通行人には狐につままれたような顔をされていたことだろう。
そんなことを思う勇也ではあるが、ここ数日の自分も頭のネジがかなり緩んでいるような状態だった。
自分の家にイリアがいるのが、ごく当たり前のような感覚を持ってしまっていたから。なので、人のことをどうこう言えたものではない。
「私はそっくりさんではなく正真正銘の上八木イリアです。あんまり変なことを言うと、宣伝してあげませんよ?」
イリアは脅し文句を言いつつも茶目っ気たっぷりにウインクして見せた。
それを受け、八百屋の店主も下手な言葉を投げかけるのは自分の店の首を絞めるだけだと悟ったのか、ガクガクと頷く。
その様子は、蛇に睨まれた蛙の状態だ。
「そ、そりゃ悪かった。にしても、本当にイリアちゃんなんだなー。やっぱり、イラストとかとはインパクトが違うぜ」
八百屋の店主は額に浮かんでいた汗を拭うと感嘆したように言った。
これには勇也も不愉快なものを感じて、こめかみの辺りをピクッとさせる。
自分が精魂込めて描いたイラストが軽んじられるのは反発こそしないが、面白くはなかった。
「はい! ですが、ご主人様が描いてくれたイラストも素晴らしものであるのに違いはありません。そちらの方も変わらぬご支持をお願い致します」
イリアも勇也のフォローをするのは忘れない。この辺の気配りが勇也にとっては何気に嬉しかったりするのだ。
自分は美術部にも所属している絵描きだし、絵に対するプライドは少なからず持っている。
絵描きにありがちな偏屈な性格だとは自覚しているが、それでも自分の絵が認められるのが嬉しくないはずがない。
一応、普通の大学に進むつもりだが、将来の仕事は美術関係のものが良いなと思っているし、クリエイターなんて呼ばれ方はされてみたい。
そんなことを心の中で呟く勇也はどんどん視聴回数が伸びていき、コメントなども目まぐるしく増えていくのを見て、これが生身の上八木イリアの力かと慄いた。
「さて、お次は魚屋さんですが、やっぱり、鮮度が違いますよ。特にマグロの赤身はねっとりしていてスーパーの物とは味が違います。冷凍ではない本マグロの味は格別ですねぇ」
イリアはテンションを衰えさせることなく次の店の紹介を始める。
すると、通行人の中にスマホを手にして本人の了解を取ることもせずにイリアの姿を撮影する人たちが現れ出した。
その数はどんどん増えていき、人垣も生まれる。カメラのシャッター音も矢継ぎ早に聞こえてきた。
気が付けば、イリアの周りにはたくさんの人が集まり、みんなスマホを片手にイリアの姿を撮影していた。
勇也もライブ配信を始めてから十分たらずで視聴回数が万単位にまで上り詰め、コメント数が千件を超えたのを見て震え出しそうになる。
予想を超えた反響だった。
「イリアちゃん、今日は新鮮なアジを仕入れることができたんだ。刺身にしてすぐに食べられるようにしてあげるから待っててくれ」
八百屋の店主よりは順応の良い魚屋の店主がノリの良い声で言った。
「お刺身にして食べられるアジというのは期待が持てますねー。私、アジって聞くと、煮付けやフライを思い浮かべてしまうんですが」
イリアの言葉を聞いて、勇也は生まれてからまだ一週間も経っていないと言い張るお前がアジの煮付けやフライを食べたことがあるのかと突っ込みたくなった。
おそらく、設定を忠実に再現できるようにある程度の知識は最初から備わっているのだろう。そう考えると全て辻褄が合う。
もちろん、イリアの言っていることが真実であればの話だが。
「本当に新鮮なアジは刺身で食べるのが一番、旨いんだよ。みんな分かってないみたいだが、イリアちゃんならきっと俺の意見に賛同してくれるはずさ」
魚屋の店主は手際良く包丁で青光りする鱗のアジをさばいていく。その様子を勇也も欠かすことなくアップで撮影する。
今やっているのはこの町のPRなので、イリアの可愛い姿だけを映せば良いというものではない。映すべきところはしっかりと映さなければ、PRとしては成り立たないのだ。
視聴者も馬鹿ではない。
もちろん、その程度のことは一年以上もこの町のPR活動に精を出してきた勇也なら当然のように心得ている。
ただ、生身のイリアがいる今はさすがにいつもとは勝手が違った。
「魚屋さんらしい含蓄のある言葉ですねー。これは益々、期待が高まっちゃいますし、私も舌が踊り出しそうです」
そう言って、舌舐りをするイリアの前にアジの刺身が皿ごと置かれる。それを箸で食べるイリアはご満悦な表情を浮かべて見せた。
勇也もその様子をここぞとばかりに拡大して撮影する。
イリアのカメラ映りはアイドルを自称するだけあって、かなり良かったし、無理して買った性能の良いスマホで映し出される彼女の横顔は実に栄えていた。
一方、視聴回数の方は既に十万回を超えていて、コメントの方も驚きや様子見のものだったのが、次第に熱狂的な支持を訴えるものに変わりつつあった。
☆★☆
二十八歳の会社員の男性が「すげー、生身の上八木イリアって可愛すぎるだろ!」と感嘆する。
十九歳の男子大学生が「ここまで完璧なコスプレってできるもんなのか?」と大学の食堂で朝のコーヒーを飲みながらスマホ片手に動画を見る。
秋葉原の町をこよなく愛するオタクの男性が「同感、この外人さん、クォリティーが半端じゃないっす」と垂涎する。
高校中退の虐められニートの少年が「ペンより重い物を持ちたくない勇也のイラストなんか目じゃねぇ」と勇也の名声に嫉妬するようにきつめの言葉を吐く。
小学生の少年が「イリアちゃん、萌えー」とマセたことを口ずさむ。
ファミレスで働いているアルバイターの男性が「つーか、イリアちゃん、俺の町にも来てくれないかなー」と熱を帯びた期待をする。
アイドルの追っかけフリーターの男性が「コンサートとか開いたら、武道館が満杯になるって。無理だとは思うけど、開いてくれないかなー、コンサート」と揚々と要望する。
メイド喫茶で店長を務めている男性が「ウチのメイド喫茶で働いてくれたら商売繁盛は間違いなしだな。イリアなら確実に看板を張れる」と本気でイリアをスカウトしたい気持ちになる。
いつもは普通の女子中学生でたまにコスプレイヤーに変身する少女が「私も今日はイリアちゃんのコスプレをしようかな。あの元気は分けてもらいたいし」と動画を見て触発される。
☆★☆
みんな好き勝手なことを言うようにコメントをしているが、その熱の籠り方は今までの勇也が作成したPR動画とは一線を画すものだった。
本物の上八木イリアというものを体現するということが、どれほど視聴者の心を射止めるのか思い知らされる結果になった。
そこに一抹の不安と寂しさを感じた勇也だったが、視聴回数が増えてくれるのならファンたちの多少の暴走は目を瞑ろうと思った。
自分のイラストがお役御免になってしまうのは困るが、そこは二次元好きのオタクたちが跳梁跋扈する日本である。
アニメチックなイラストの需要が消えることはないだろう。
むしろ、生身のイリアとの相乗効果でイリアのイラスト入りのグッズの売れ行きも今まで以上に良くなるかもしれない。
そうなれば、また収入が増えるし、今のところは良いこと尽くめだ。
そんなこんなで、商店街のPR活動を済ませた頃には、まるで歩行者天国のように大勢の人が商店街に集まっていた。
これでは勇也も思うようにイリアに近づけない。
動画を一旦、止めた勇也はカメラ撮影に気前良く応じているイリアを見て、そろそろ別の場所に移ろうと思う。
地元のテレビ局のような連中も出張ってきたのでここらが潮時だと思ったのだ。テレビ局の手によってイリアが悪戯にクローズアップされると面倒なことになる。
何せ、イリアは身分証明も何もない女の子なのだ。
しかも、見かけは外国人。
その正体を突き止めてやろうとマスコミが動けば面倒を通り越して厄介だ。
そう思った勇也はイリアに声をかけて、撤収を指示した。
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