エピソード4 非日常の生活

〈エピソード4 非日常の生活〉


 勇也が夏休みに入ってから非日常ともいえる生活が数日続いた。


 その間、常に不安と隣り合わせだったが、とりあえず自分の身に災難のようなものが降りかかることはなかった。


 そこだけは安堵している。


 物語なんかでは女の子との出会いが事件に発展するケースが多々あるからだ。


 例えば、ではあるが、悪人から女の子を助けるという展開であれば、物語なら大いに盛り上がるところだろう。


 が、それがいざ現実になると一介の平凡な高校生である自分には何もできないとしか言いようがない。


 実際に悪人と対峙したりしたら怖くなって逃げ惑うのが関の山だろうし、身を挺して女の子を守るなんて、どう逆立ちしたって無理だ。


 現実とは、兎角、厳しいものなのだ。


 とはいえ、突然、家の中に転がり込んできた女の子であるイリアとの生活にもだんだん慣れてきて、どこかフワフワしていた浮ついた心も元に戻り始めた。


 やはり、慣れというものは恐ろしい。


 どんなに突拍子もない事態に陥っても冷静に頭が回るようになるのだから。そこには若さ故の心の柔軟さもあるのかもしれない。


 でなければ、単にどんなに強い刺激であっても長続きはしないだけか。もし、そうだとしたら何とも味気のない話だ。


 一方、ただの居候のくせに遠慮というものが欠如しているイリア曰く、自分は消失した銅像から生まれたらしい。


 どういうメカニズムで銅像が本物の人間と見間違うような姿に変貌し、自由に動けるようになったのかはイリア自身にも分からないらしいが。


 でも、そこが一番、肝心な部分なのだから、そこが全く分からないとなると、勇也も言い知れぬ不安が込み上げてくる。


 まあ、そういった部分については心を強くして耐えるしかない。それもまた慣れだし、その内、判ることも出て来るだろう。


 待つのも大切なことだし、焦りは禁物だ。焦りはあらゆる失敗の元だし、今回の件のような明らかに自分の理解の範疇を超えていることでは特にそうだ。


 とにかく、勇也としても目の前の少女が本当に上八木イリアその人であると言うのなら、無理に意地を張ってまで同居を拒む理由はない。

 手元に置いておけば使えると打算的に考えてすらいたし。


 勇也も自分では良識のある一般人だと自負しているが、そこは十六歳の多感な年頃の少年なのである。


 いきなり金髪碧眼の美少女が家に住まわせてくれと頼んできたら、断る言葉は持てなかった。


 もちろん、漫画やアニメのような心躍る生活が待っているとまでは、さすがに期待していなかったが。


 でも、ある種のワクワク感は数日経った今でも抑えきれていなかったし、それは勇也にとって経験したことがないような充実さをもたらす感情だった。


「ご主人様、パンと目玉焼きが焼けたから起きてくださいよー。早起きは三文の徳って言いますし、いつまでも寝ていたら駄目ですよー」


 メイド服の上に家庭的なエプロンを身に着けたイリアがベッドで寝ていた勇也の体を何度も揺り動かした。


 意識は寝ぼけ半分であったものの、起きることはできない。なので、薄目のまま抵抗をするように寝返りを打つ。


 すると、イリアがタオルケットを無理やり引き剥がしたので、惰眠を貪っていた勇也はようやく煩わしそうに目をパッチリと開ける。

 それから、ゆっくりと上半身を起こすと纏わりつく眠気を振り払うように大きく伸びをした。


「ふぁー、もう朝か。しかも、良い匂いがするし、毎朝、朝食を作ってもらって悪いな」


 ここ数日、食事を作るのはイリアの係となっていた。


 彼女は居候をさせてもらっている身なので、どんな仕事でも買って出ると気前良く言って見せたのだ。


 だから、勇也の方も遠慮なく食事や掃除、洗濯は全てイリアに任せていた。おかげでこの数日はだいぶ楽ができた。


「いえいえ。ご主人様に尽くすのが私の仕事ですし、気になさらないでください。それに私もちゃっかりと、ご相伴に預からせてもらってますからねー」


 イリアはニヤニヤと下世話に笑った。


 こういう人間味が溢れる表情を見ていると、とても銅像から生まれた存在だとは思えないよなと勇也も心の中で呟く。


 試しにイリアの体を躊躇いがちに触らせてもらったら、普通の人間と変わらない柔らかさと温もりがあったし、生身の人間であることは間違いない。


 ひょっとしたら、イリアにそっくりの外国人が上八木イリアというバーチャルアイドルの振りをしているだけなのではと勘繰った時もあった。


 とはいえ、ここ数日間、一緒に暮らして分かったことだが、目の前の少女はまさしく本物の上八木イリアそのもので、全ての設定を余すことなく踏襲していた。


 まさに自分の理想を全て盛り込んだような上八木イリアがそこにはいたのだ。ただのそっくりさんがイリアのコスプレをしているだけとはどうしても思えない。


 それなら、しばらく様子を見てみよう、その内に何かのボロを出すかもしれないと勇也も冷静に判断したのである。

 その判断が正しいかどうかは、もう少し時間をかけないと分からないだろう。


「そうだったな。お前は無一文だし、食費は俺が出してるんだっけ。なら、その分は働いて見せるのは当然か」


 食費が増えたのは勇也にとっても悩みの種だった。


 イリアの手料理は文句なしに美味しいが、その前までは食費を削るようにカップラーメン生活を続けていただけに食費の高騰は死活問題だった。


 代わりに別の部分を切り詰めなければと、勇也も腹帯を締めてかかる。


「その通りです。少ない生活費を切り詰めて、毎日、暮らしているご主人様に多大な負担をかけていることは承知しています。だから、できることなら何でもやりますよ」


 イリアはハキハキと威勢の良い声で言った。


「そうか。なら、家計の負担になることはなるべく控えてくれよ。ウチの財政はカツカツなんだから、あんまり高いティーパックは買ってくれるな」


 イリアは食料の買い出しにも行ってくれているが、コーヒーや紅茶のティーパックなんかは一番、値段が高くて良いものを買ってくる。


 そのおかげで、美味しい飲み物に不自由はしないのだが家計へのダメージはでかい。


 イリアの高級志向には困ったものだ。


「気を付けます。でも、そういうことなら、ちょっと面倒くさいですけど家計簿でも付けましょうか。そうすれば、どこに無駄な支出があるか分かります」


 主婦臭いことを言って、イリアはクスッと笑う。


 その可愛らしい反応に勇也も不覚だとは思いつつもドキッとしてしまう。


 やはり、イリアの可愛らしさは飛び抜けている。例え、本物の上八木イリアでなかったとしても、この可愛らしさはまやかしではない。


 そう思った勇也は、手玉に取られてなるものかと自分に言い聞かせながらキリッとした顔をする。


「それは構わないが、俺はお前に自分の家の財政を牛耳らせたりはしないからな。そこはしっかりと憶えておけよ」


「分かってますよ。己の分というものはちゃんと弁えますし、その上で、ご主人様の期待にも応えて見せます!」


「なら良い。そこまでの高い意識があるのなら、俺も安心してお前に家のことを任せることができる」


「はい! ご主人様の信頼は決して裏切りません」


 大きく胸を張ったイリアを見て、勇也はどこまでも調子の良い奴だなと呆れる。

 でも、それくらいでなければ、本物の上八木イリアとは言えないだろう。


「その言葉は信じさせてもらうぞ。ま、何はともあれ、お前の家事には助かってるよ。誰かと暮らすのも案外、悪くないもんだ」


 役に立たなければ、イリアみたいな厚かましい女の子は衝動に任せて家から叩き出していかもしれない。


 が、今のところはその必要はなさそうだし、家に置いてやっている恩はあるのだから、せいぜいこき使ってやらなければ。


「そう言ってくれると嬉しいです。やっぱり、何事も一人より二人ですね。これから先も力を合わせて頑張って生活していきましょう!」


 そう言って、イリアは拳を天井に向かって振り上げる。それを勇也は何という神経の図太さだと思いながらジト目で見た。


「いつまで居座る気なんだ、お前は……」


「いつまでも、ですよ! この家に限らず、ご主人様が行くところなら地の果てまでついていきますし、私から離れられるなんて思わないことですね!」


 まるで、ストーカーのようなことを宣うイリアの瞳に星屑のような光が煌めいた。それを見て、勇也も自分の心が怖気立つのを感じる。


 自分はとんでもない厄介人と居を共にすることを許してしてしまったのではないかと。


 まあ、時すでに遅しだし、多少の恐れは克服して見せるしかないだろう。


「それは止めてくれ。いつまでも、お前が俺の人生に張り付いていたら結婚してくれるような女の子が寄ってこなくなる」


「なら、独身を貫けば良いだけの話です。結婚が人生の全てではありませんよ。昨今の世の中では特に」


「何で赤の他人のお前に、そこまで決められなきゃならないんだよ。ただの居候のくせに図々しいにもほどがあるぞ」


「それは言いっこなしですよー」


 イリアは泣きつくような声で言ったし、勇也もそんなイリアを睥睨しながら腕を組む。


「お前が自分本位のことばっかり言うから俺だって頭にきているんだろうが。少しは自重しろ」


 これが男だったら拳骨をくれてやっているぞ、と憤ったが、イリアは勇也の内心を余所に嫌らしさを感じさせるようにニタリと笑う。


「分かりましたよ。まあ、私だってひょっとしたら、いつかは自分一人で生きていきたくなることもあるかもしれません。自立というものは大切ですし」


 イリアはより良い未来を見据えているような面持ちで言葉を続ける。


「可能性は薄いとは思いますけど、もし、一人で生きたいという気持ちになった時が来たら素直にご主人様を開放してあげましょう!」


「呪縛霊みたいな奴だな、お前は」


 勇也はイリア鬼の首でも取ったような笑みを見て、そのあまりの奔放さにげんなりしたような顔をした。


「でも、私の性格を作ったのはご主人様ですよ。問題があるとしたら、それはご主人様のキャラクター造りの仕方です」


「そこを突かれると返す言葉がないが……」


「でしょ? ま、私は自分の性格を気に入っていますし、ご主人様に不満など持ってはいませんけどね」


 イリアはけろりとした顔で言った。


 まあ、自分のことが嫌いな上八木イリアなんて偽物も良いところだからな。


 自分自身も含めて、誰のことも分け隔てなく全力で好きになれるのが本物の上八木イリアなわけだし。


 そう考えると、今のイリアは本物の上八木イリアとして合格点をあげられるような女の子なのかもしれない。


 それを認めるのはかなり癪だが。


「そっか。なら、この話題はひとまず置いておいて、そろそろPR活動の再開について話すか。お前、自分の役割はちゃんと分かっているんだろうな?」


 夏休みに入ったらすぐにでもPR活動に力を入れてやろうと思っていたのにイリアの登場のせいで数日を無駄にしてしまった。


 このロスは今日からの頑張りで取り返すしかない。


「もちろんです、ご主人様。私は本物の上八木イリアですよ。3Dの画像なんかに負けてはいられません。生身の体を持った女神の力、みんなに思い知らせてやりますよ」


 イリアは並々ならぬ意気込みを見せながらガッツポーズを取った。これには勇也も小難しいことは忘れて苦笑する。


 目の前にいるイリアがその真価を発揮できるかどうかは今日、分かる。


 PR活動の中で何の役にも立てなければ、冷たいようだが遠くない日に家から出て行ってもらうしかない。


 言葉は悪いが、家事しかできない無駄飯食らいをいつまでも居候させておけるほどの余裕は勇也にはないのだ。


 幾ら可愛くても、家族でもない人間を理由なく家に置いておくことはやはりできない。

 それが一般常識というものだ。


 むろん、イリアが自分を本物の上八木イリアだとちゃんと証明することができれば話は違ってくるが。


「その意気だ。お前の頑張り次第で、俺の人生も大きく変わるかもしれないし、期待はさせてもらう。でも、本当に大勢の人間の前に顔を晒す心の準備はできているんだろうな?」


 カメラの前に立ったら震えて喋れない、なんてことは言うなよ。


 本物の上八木イリアは土壇場のような状況にも強いという設定なんだから、撮影くらい軽くこなしてもらわないと。


「はい!」


 イリアは曇りのない無病さを感じさせるような顔で返事をした。


「くどいようだが、止めるなら今の内だぞ。ネットで顔を晒せば反響は大きくなるが、その分、あれこれ嫌なことも言われるようになるし」


 勇也も世間に自分の顔を知られているのは、ちゃんと承知している。


 だからこそ、カメラに映る時は不用意な発言をしないように気を付けているし、男ではあるが愛想も欠かさない。


「大丈夫です。テレビに出ているような本物のアイドルになったつもりで頑張らせていただきます」


 イリアは不敵な笑みを見せながら言ったし、これには勇也も心強い気持ちで頷く。


「そうか。なら、もう余計な心配はしないし、思う存分、自分がやりたいように、この町のPRをしてくれ」


「分かりました。私も絶対に手は抜きませんし、ご主人様もできるだけ可愛く私を映してくださいね」


「もちろんだ。金がかかっていることだし、俺だって全力でお前の魅力を引き出すような撮影をしてやるさ」


「それは頼もしいお言葉です!」


 イリアは花火が打ち上げられた時のようなテンションの高い声で言ったし、それを聞いた勇也も覚悟が決まったような顔をする。


 なるようになる、という言葉もあるし、今はイリアの女の子としてのスペックと自分の動画撮影の手腕を信じよう。


「……よし。そうと決まれば、朝飯を食ったらすぐに町に繰り出すからな。3D画像を入れ込む必要はないし、思い切ってライブ配信をやらせてもらうぞ」


 勇也もイリアのやる気に触発されて、感情を高ぶらせる。こういう時は大抵、良い動画が取れるものなのだ。


 どんなものであれ、モチベーションというものは大切だ。


「承知しました!」


 イリアも元気が有り余っているような顔で弾けたように笑った。

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