エピソード6 不審な人物

〈エピソード6 不審な人物〉


 勇也とイリアはこの町の文化財に指定されている神社に向かって歩いていた。目的は神社のPRだ。


 最近は神社も不景気で、積極的にPRをしていかないと建物の維持とかもままならないらしいのだ。


 何とも世知辛い話である。


 でも、そういう世の中の時ほど重宝されるのが自分のようなネットに携わる人間なので文句は言えない。


 だからこそ、不況な世の中に苦しんでいる人たちも逆境をバネにして、頑張ってもらいたいと思っている。


 ちなみに、上八木市は何でも霊的に優れた土地だと言われているらしく、霊脈があるという場所には神社や寺が建っていることが多い。


 そのせいか他の町よりも明らかに神社や寺の数が頭一つ抜けて多いし、町自体も宗教色が濃いイメージがある。


 その上、最近では得体の知れない幾つもの宗教団体が我先にと支部施設を建設しているという話は勇也も耳にしていたし、それには不穏なものを感じていた。


「次は神社のPRですか。おみくじとか興味ありますし、商店街とは違った刺激を感じられそうで、楽しみですー」


 イリアはボーカロイドを使って歌わせていた曲を鼻歌交じりに奏でる。この分だと歌ったり踊らせたりすることも十分、可能そうだ。


 イリアの歌唱力と踊りのセンスは近い内に計測しなければならないだろうな。


「あんまり調子に乗るなよ。人間、羽目を外しすぎると、必ずどこかでポカをやらかすもんなんだ」


 特にネットの世界では致命的なポカが生まれやすいのだ。そのポカで人生を棒に振った人間も少なくない。

 自分もネットでは痛い目に遇ったことがあるので、そういうことは骨身に染みている。


「随分と生真面目な顔をして言いますね。もしかして、それはご主人様の経験則から出てきた言葉ですか?」


 イリアは揚げ足を取るように言って、ニヤッと笑った。


 それを受け、勇也も済ましたポーカーフェイスができずに、ムッとしてしまう。もし、これが武弘だったら軽くかわして見せるような言葉を口にできただろうに。


 幾ら偉そうなことを言っていても、自分はまだまだ嘴が黄色い。


「まあ、そんなところだ。俺なんてテレビでちょっとペンより重い物を持ちたくないって言ったら、かなり強烈なバッシングを受けたんだぞ」


 土木作業員の苦労を思い知れ、とか見当違いなことも言われたな。


 あの手の理不尽に満ちた批難には腹立たしくもなるが、そこは相手にしないようにするのが吉だ。


「それはご愁傷様です。でも、心の狭い人もいるもんですねー。芸術家とかクリエイターにおかしな言動は付きものなのに」


 それは遠回しに自分のことをおかしな奴だと言っているのか、と勇也はイリアの物言いに噛みつきたくなった。


「良くも悪くも、ネットに関連した世界には色んな類の人間がひしめいているってことさ。ネットでの活動を生業にしたければ、そこには理解を示さなきゃならん」


 勇也は模範解答のような言葉を口にしたが、それでも、感情面では納得していないことはたくさんある。


 まあ、ネットの世界には氷炭相容れないことは山のようにあるし、その一つ一つを気にしていたら心身が持たない。


 結局、どこかで心の矛を収めるしかないのだ。


「いつになく説得力の感じられるお言葉ですし、私もご主人様の忠告はしっかりと肝に命じておきましょう」


 そう言い切ったイリアだが、本当に理解しているのか分からないようなのほほんとした笑みを浮かべていた。


「それが賢明だ。でも、今のところはお前に対する批判的な意見はほとんど出てきてないな。イラストだった時と変わらず、みんなから愛されているみたいだ」


 イリアに対する愛情だけは十分すぎるほど感じ取ることができた。


 生身のイリアのお披露目としては悪くない手応えだ。


 この人気が末永く続けば勇也の懐も安泰だ。


「それは光栄です。PR活動を始めたばかりの私を、そんなにも愛してくれるなんて、何だか頭が下がる思いです」


 イリアは薔薇のような可憐な唇を綻ばせるとクスリと笑いながら言葉を続ける。


「この世の中もまだまだ捨てたもんじゃないですね」


「俺もそう思うよ。あらゆる感情が渦巻くネットの世界で、みんなから手放しで愛されるっていうのは本当に難しいことなんだ」


「分かる気がします。どんなに誠実に振舞っていても、それがネット上なら悪意のような感情を集めてしまうのは避けられないことですから」


「そういうことだな。でも、それに負けるわけにはいかないぞ。お前が本物の上八木イリアなら尚のことだ」


 勇也は穏やかな口調で言いながらも、心の中では自分の弱い部分に喝を入れていた。


 今の自分に必要なのは、心の研鑽だということを熟知していたからだ。


 どのような分野にも光と影があるし、人間の負の側面も受けれていかなければ、PR活動での成功も望めない。

 

 それは間違いのないことだ。


 でも、イリアと一緒ならどんな苦境が待ち構えていても立ち向かえる。如何なる悪意に晒されても負けたりはしない。


 この時の勇也はそう自得していた。


「まあ、視聴者たちから愛されるのは良いことですが、肝心のご主人様からの愛は足りていないように感じられますねぇ。家事はほとんど肩代わりしているのに感謝の念が少ないです」


 イリアは当て擦るように言ったが、勇也はフンッと気色ばむような顔で鼻を鳴らす。


「俺はお前を家に住まわせてやってるだろ。それが一番の愛情表現だ。じゃなきゃ、お前みたいな怪しい奴は警察に突き出してるぞ」


「そうでした。ご主人様はやはり寛大なお方です。これでお金に対するケチ臭いところがなければ、もっと愛情を感じられるんですが……」


 イリアはメイド服のポケットからハンカチを取り出すと、それを目元に当ててオーバーな泣き真似をして見せた。

 この芸の細かさも生身のイリア故か。


 もし、アイドルが駄目になったら、その時はお茶の間を沸かす芸人にでもなれば良い。

 きっと人気者になれるはずだ。


「ほっとけ。とにかく、お前がどうやって生まれたのかは突き止めておく必要がある気がするな。それが分からなきゃ、現れたのが突然なら、消えるのも突然、なんてことになりかねない」


 一生、イリアと一緒に暮らせると思えるほど勇也も楽天的ではなかった。


 どんな生活にもいつか終わりは来る。その時になって泣きを見ないためにはやるべきことはやっておかなければ。


 でないと、後悔、先に立たずという諺が現実のものになるだけだ。


「私も自分が消えるのは嫌です。ご主人様は気付いてないかもしれませんが私だって、自分のことについては色々と考えてるんですよ」


 イリアはしおらしい反応を見せる。それを目にし、勇也も少しだけ胸が締めつけられるのを感じてしまった。


 イリアはかなり変わった性格をしているが、メンタル面は人間とそう大差はないのかもしれない。

 なら、あまりキツイことを言うと繊細かもしれない心を傷つけてしまうかも。


 やっぱり、女の子はある程度、優しさを持って接しないといけないな。


「そうか。なら、安易な楽観はせずに色々と考えていく必要があるな。お前と少しでも長く生活していくためにも」


「はい。ま、私はちょっとやそっとのことでは、ご主人様の傍を離れたりはしませんけどね。私とご主人様は一心同体です」


「それもまた困るというか……」


 勇也はイリアとの生活の先に何が待っているのか思案しながら憂いのある顔で溜息を吐く。


 その瞬間、背筋に夏の暑さには似つかわしくない寒気が走る。それから、気配を感じ取る暇もなく近くから声が上がった。


「ちょっと、すみません」


 勇也とイリアのやり取りに割り込むようにして声をかけてきたのは、夏場だというのに暑苦しいフード付きのローブを羽織ったかなり怪しい男性だった。


 最初はアニメ贔屓をしている人間が何かのコスプレをしているのかと思ったが、どうも違うようだ。


 男性は彫りの深い顔をしていて、年齢は勇也の目では推し量りにくいが大体、五十歳くらい。更に、明らかに日本人ではない容姿をしていた。


 海外からの観光客と考えても、あまりにも変わった風体だし、どこの国の人間なんだと詰問したくなる。


「何でしょうか?」


 勇也は胡乱な目をしながら受け答える。相手が突然、現れた外国人ということもあり若干の緊張感が体を支配していた。


「中央広場に行く道を教えてもらいたいのですが……」


 男性は意外にも腰の低い控えめな態度で勇也に道を尋ねてきた。


 勇也は全く違和感のない日本語を耳にして、少し感心していた。日本語をしっかりと喋れる外国人は貴重だと思ったのだ。


 勇也としても外国人が日本を好きになってくれるのは普通に喜んでいる。そこは斜めから構えたりはしない。


「それなら、この道をまっすぐ進んで突き当りを右に行けば、中央広場に辿りつけますよ」


 ここからなら迷うような道順ではない。


「ありがとうございます。……ひょっとして、隣のお嬢さんはイリア・アルサントリスさんではないですか?」


 徐にフードを取ると男性はなぜか嬉しそうな顔をしながらイリアに視線を移した。


「はい。私は歌って踊れるご当地アイドル、イリア・アルサントリスです。でも、晴れてこの町の名誉市民になったので、上八木イリアと呼んでください」


 そうイリアが快活に言うと、男性はどこか寂寥感のある顔をする。


「そうでしたか。やはり、あなたはどんな姿の時でも輝いていらっしゃる。ですが、アルサントリスの名前はもう捨ててしまわれたのですか?」


 男性の不思議な色合いを見せる目が少しだけ光彩陸離といった感じの輝きを放った。


「そんなことはありません。でも、上八木イリアと呼ばれた方がこの町に馴染みが深く感じられて嬉しいんです」


 イリアは満面の笑みを浮かべながらそう言いきった。これには男性も神妙な顔をした後、ふっと何かを了としたように微笑する。


「なるほど。どうやら、あなたはその名前と共にかけがえのないものを手に入れたようですね。実に喜ばしい」


「はあ」


「それでは、上八木イリアさん。私はあいにくと用事があるので急がねばなりませんが、あなたとはまたどこかで会えることを期待していますよ」


 男性は流暢な日本語で言うと、柔和な笑みを浮かべながら軽く頭を下げた。


「はい!」


 イリアは相手がどれだけ胡散臭く見えようと、元気良く返事をする。人見知りを全くしないところがアイドルの貫禄かもしれない。


「良い返事ですし、本当に今のあなたは輝いていますね……。では、私はこれで」


 そう言うと、男性は太陽の光を避けるようにフードを目深に被り直しながら、ゆったりとした足取りで二人の前から去っていく。


 その後姿は何となく旅愁のようなものが漂っている。なので、観光客というよりは旅人に見えた。


「この町も外国人が多くなったよな。特に得体の知れない宗教関係の人たちが」


 勇也は男性の姿が陽炎に溶けて見えなくなると複雑さを感じているような顔をしながらぽつりと零した。


「そうなんですか?」


 イリアは勇也の言葉の意味するところを掴みかねているように問いかける。

 

 この辺りの知識はまだ備わってないようだし、家に帰ったら少しずつ啓蒙していこう。


「ああ。日本には外国が発祥の宗教団体が幾つもあるんだが、そいつらが最近になってこの町にこぞって支部施設を置き始めたんだよ。この町に支部を置いたって何か利点があるわけでもないのにな」


 勇也は遠い目をしながら、ザリガニやメダカなどが捕まえられた水田を潰して建設された白くて立派な建物を思い起こす。


 外側を殊更、奇麗に見せている建物は生理的に好きになれない。


 そこには町との調和は考えられていない気がするし、どうにも奇妙な印象が先立ってしまっているのだ。


 もっとも、宗教というのはどこかしら奇妙なところがあるものだが、ああいう施設を建てられるだけの力があるとなると笑ってはいられない。


 宗教団体が起こした過去の事件が頭を過る。ついでに自分の苦い過去も。


「国際化が進んで良いじゃないですか。外国人が自然に受け入れられるようになれば、私ももっとこの町の人たちと打ち解けられます」


 イリアは含むようなところは全く見せずに言ったし、こういう楽観ができるところは素直に羨ましい。


「お前の言う通りにいけば良いんだけどな。でも、そうはいかないのが人間の住む町ってやつだし、近い内に問題は必ず表面化するさ。いや、もうしているか……」


 勇也はイリアが現れたことで、この町の宗教団体にどこか剣呑な感情を抱くようになってきたことを自覚する。


 もし、イリアが本当に銅像から生まれたというのなら、他にもイリアと似たような存在はいるのではないかと。


 そこまで考えて、勇也は我ながら馬鹿げたことを考えているなとかぶりを振ったが、やはり、ありえない可能性ではないと思い、少し肝が冷えた。


「そこの二人、ちょっと話を聞きたいんだが良いか?」


 今度はスーツ姿の大柄な男が、勇也とイリアのいる方に大股でのしのしと歩いて来る。

 男の厳めしい顔を見て、勇也はかなりのプレッシャーを感じた。


「あなたは?」


 勇也はこういう威圧感たっぷりの男は好きになれないタイプの人間だなと思う。自分の父親も酒やギャンブルにのめり込むまでは、このタイプの男だったし。


 その上、自分は父親との折り合いが悪く、恫喝するような言葉を聞くのも日常茶飯事だった。


 だからこそ、勇也も父親のような男には屈しないという一種の誓いのようなものも立てていたのだが。


「俺は上八木警察署で警部を務めている本郷光国だ。確か君は市長から表彰されたこともある柊勇也君だったな。顔と名前だけはかろうじて覚えていたよ」


「その通りですが、警察の方ですか?」


 勇也は内心では何も悪いことはしていないのにビクビクしていたが、その原因を作っているイリアは馬鹿みたいににんまりと笑っている。

 これには肘で小突いてやりたくなった。


「ああ。この町で殺人事件が起きたことは君も知っているだろ。俺はその捜査のために聞き込みをしている」


 光国は胸ポケットから警察手帳を取り出すと、権威を嵩にするように勇也に見せつけた。


 事実、警察手帳を見せられると、プレッシャーが三割増しになる。悪いことは何もしていないのに心が勝手におどおどしてしまう。


「はあ……」


 勇也は連日報道されていたニュースの話を思い出していた。何でも事件の被害者は人間業ではないような殺され方をしていたとか。


 それが何だと言ってしまえば身も蓋もなくなるが、それでもイリアの登場で少しだけ考え方にバイアスがかかる。


 この町には俺みたいな一般人に隠された何かがあるのか、と。


「二人とも誰か怪しい人物がいたら、警察に連絡してくれ。頼む」


 光国は警察手帳をしまうと実直な感じで言った。


「分かりました」


 勇也はさっき道を尋ねてきた男性なんていかにも怪しい雰囲気を醸していたと思ったが、光国には言わないことにした。

 自分のせいであの男性に何か迷惑がかかったりしたら寝覚めが悪いと思ったのだ。


 外国人だから怪しいという決めつけは払拭しなければならない。例えどんなに妙ちくりんな服装をしていてもだ。


 でないと、イリアに対してもちょっとしたきっかけで、奥歯にものが挟まったような態度を取ってしまいかねない。


 それではお互いの信頼関係は、脆くも崩れ去ることになるだろう。


 そういう人間の偏見が招くような険悪さは、今のところ何もかもが順調に進んでいる自分とイリアの生活にはあってはならない。


 なので、もっと心を柔軟にしないとなと思う。


 そんなことを考えていると、光国は軽い会釈をして来た道を引き返すように勇也とイリアから離れて行く。


 その後姿を見ながら勇也は心の奥底が蠕動するような胸騒ぎを感じた。


                ☆★☆


「こんにちは、ヴァンルフトです。ユウヤ君がアップしたPR動画は拝見させてもらいました。やっぱり、生身のイリアちゃんは最高ですね」


 ヴァンルフトさんもやはり今日のイリアの動画は見ていたか。

 

 VTUBEでの話題性も抜群だったから、どこかから聞きつけてきてもおかしくはない。


「僕もバーチャルアイドルの方のイリアちゃんを作り上げる時は、ユウヤ君に色々とアドバイスをしましたが、まさか、そのイリアちゃんと瓜二つの人間が実在したとは!」


 ヴァンルフトさんのアドバイスは大変、参考になった。彼はイリアの影の生みの親と言っても差支えはないかもしれない。


 なので、生身のイリアのことはもっと前に教えておいた方が良かったかも、と勇也は思った。


「何だか夢でも見ているような気分ですし、PR動画がどういう方向に進化していくのか、楽しみにしています」


 ヴァンルフトさんの期待には応えなければならないだろう。


 上八木イリアというキャラクターを生み出せたのは色んな人たちの協力があったからだ。


 だからこそ、その人たちの期待を裏切っては駄目だ。


「あ、そうそう。英国のブリダンティア学院には行ってきましたよ。やっぱり、僕の学校とは何もかも違いますね。伝統と格式の高さを感じました」


 そう言えば、夏休みが始まる前にそんな話をしていたな。イリアの登場で、すっかり記憶から抜け落ちていたが。


「ユウヤ君も一度は英国に限らず欧州の国に足を運んでみたらどうですか? 日本にはない刺激をふんだんに感じ取れますよ」


 外国に旅行に行くというのは中々にハードルが高い。そもそも、自分は上八木市の外に出ることすら稀だから。


 まあ、今は外国人のイリアもいることだし、思い切って海外に旅行に行ってみるというのもアリかもしれないな。


 一人での旅行は怖くても、二人での旅行なら大丈夫そうだ。

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