Ver3.5 理想と現実

「故郷に帰してあげたいんです。ナラを」

「お前……本気か?」

「本気ですよ」


 イヒョンは躊躇わずに言い切った。


「分かってないだろ。エラーコード九十九の危険性が」

「分かってないと思います」

「だったら……」

「でも、彼女は帰りたいって言ってるんです」


 頭が痛い。

 たまにいるんだよなこういう奴。

 長く一緒にいたから勝手に情が湧いて、そいつが思ってもいないことを代弁する。

 巫女じゃねーんだからさ。


「……まぁいいや、そういうことにしとくけど、どっちにしろダメだ。関わるな」

「ナラなら心配ありません。一年も一緒にいて一度も暴れたことはないんですから」

「今だけだ。いずれ暴れだす」

「どうしてそう言えるんですか?」

「私は専門家だぞ。そんな現場ばっか見てんだよ」

「ナラは違います」

「願望だな。完全に」


 イヒョンが言葉に詰まっていると、後ろの階段からクソンが上がってきた。


「終わったよー」


 汗びっしょりだ。

 ムーダンの祈祷は激しいからな、仕方ない。


「ナラは、なんて言ってましたか?」

「うん、ちょっと落ち込んでただけみたい。それだけだったよ」

「そうでしたか」


 イヒョンは安堵した様子だった。


「それじゃ、すみません。ナラのそばにいたいのでこれで……」


 イヒョンはこちらを振り返らずに、急いで階段を下っていった。

 とても止めれるような様子ではなかった。


「ねぇ、クジ。まさか説得できなかったの?」

「説得はしたさ。坊っちゃんが頑固すぎてねぇ」

「どうしてあんなに肩入れしてるのかなぁ」

「情が湧いたんじゃね? ロイヤル出身はそういうの多いよなー。挙げ句に変なこと言いだすし」

「変なこと?」

「そう、あのトラを故郷に帰したいんだと」

「…………」


 クソンの表情は、突然険しくなった。


「クソン?」

「あのね、あのトラ、ナラちゃんと交信してたらさ……」

「うん」

「帰りたいって言ってたんだよ、あの子」

「…………え?」


 イヒョンが言っていたことが当たっていた。

 いや、まさか……ただの偶然だろう

 ただの人間がオートマトンと、動物の魂と意思疎通などありえない。

 

 ―――うん? 待てよ……


「おい、クソン。あのトラ、性別なんだった?」

「え、女の子だよ?」


 イヒョンとの会話がフラッシュバックする。


 ―――でも、彼女は帰りたいって言ってるんです。


「あいつ、本当に読めているのか……?」


 ただの簡単な仕事だと思っていた。

 馬鹿なロイヤルの人間を説得し、魂を浄化する。

 そういう仕事だと思っていた。

 だが事は、そう簡単に―――そんな優しい話では終わらなかった。


 スマートフォンが鳴り出す。

 相手はジゥだ。

 

 そう、この1本の連絡から、話は悲劇へと変わっていくのだ。



「クジ、依頼が来てます。北部にある動物ミュージアムへ至急向かって下さい」





――― Ver3.5 理想と現実 終

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