第14話 甚三郎の訪問
明治四十年八月、福羽美静死去との報が届いた。一つの時代が終わるのを感じた金森は、甚三郎に書状をしたためた。浦上に帰ったのは、確かであるが、今となっては、どこに住んでいるのか分からなくなっていたが、昔の住所をたよりに手紙を出した。
甚三郎は、金森一峰からの手紙を受け取った。あの光琳寺の迫害から四十年の歳月が過ぎようとしていた。その手紙には、光琳寺で落ち合い甚三郎に会って是非お詫びをしたいと書かれていた。旅の費用も入っていた。どのようにして金森は、甚三郎の住所を知ることができたのか。おそらく金森が、預入の異宗徒を帰郷させるときに、彼の住所を覚えていたのであろうか。
甚三郎は、金森からの手紙の文面を見据えた。遠い昔のことであるが、忘れたことはなかった。あの説得方の金森から、詫び状を受け取るとは、思ってみたこともなかった。行ってどうなるかは分からない。あるいは、無駄足となるかも知れないが、そこに眠る同郷の切支丹の霊を慰めるためにも行くべきかと思われた。
甚三郎は、このことを誰にも話さず、津和野に出かけた。幸いなことに、この当時、汽車は津和野まで開通していた。甚三郎は、駅から乙女峠への途をたどった。ここもすっかり変わってしまった。あの光琳寺もなくなったという。そこで、金森一峰が待っているというのだ。何人かの村人と出会ったが、当然のことながら、誰も甚三郎を覚えてはいなかった。あそこで切支丹が亡くなったことも忘れ去られているのかと思うと残念な気がした。
長崎から連れてこられたときも、又帰郷するときも、この峠道を歩いたのだと思うと、全てが夢のようであった。甚三郎の前後に、光琳寺で亡くなった切支丹達が歩いているように思われた。
遠くに人影が見え、その人影は、夏の暑さで揺らいでいた。様々なことがあった光琳寺の跡は、大半が水田となり、そこに腰を曲げた白髯の男が立っていた。かなりの高齢ではあったが、目に力があるのがわかった。
甚三郎は、己の名前を名乗り、相手の名前を確かめた。確かに、金森一峰であった。この場所で、説得方と罪人に分かれていた二人が相まみえる日が来ようとは、思いもよらないことであった。
二人は、お互いを食い入るように見た。どちらも年をとり、あれから長い歳月が流れたのを感じた。ここだ。ここにあの光琳寺が立っていたのだ。そして、埋められてはいたが、池の跡も確認できた。あの凍った池に放り込まれて、よく死ななかったものだ。
金森が口を開いた。
「拙者のために、遠路はるばるお越しいただき感謝申し上げる。手紙にも書きましたように、死ぬ前にせめて一度、あなたにお詫びをしたいと考えておりました。もとより、あのようなことをしたこの身が許されるものではありませんが、詫びを聞いていただきたい」
二十年前、ヨハンナ岩永が歩いていたときと同じく、夏の太陽が二人を照らしていた。
「あれは、あなた達切支丹を改心させよとの新政府からの命令であり、同時に藩命でありました。藩士である私が、藩命に逆らえるはずもありません。しかし、そのことで私の罪が軽くなるなどとは毫も考えておりません。
最初は、説諭にて教導せんとしましたが、信仰を覆すのが、如何に困難なことかを改めて思い知らされました。結果を出さむとして、あのような惨い仕置きをすることに到り、三十六名もの死者を出すことに到ったのは、この一身を以てしても償えぬことです。あの時の説得方も私一人を残して皆、亡くなりました。私も八十歳にならんとするこの時を逃せば、一生悔いが残ると愚考してお出で願ったわけです。詫びにもならぬと思われるかも知れませんが……」
甚三郎の前に膝をついて頭を垂れた金森の姿があった。
「あの『旅』からもう四十年がたちます。あのことを知る人は少なくなってきています。苦しい『旅』でした。あなたも、苦しみ続けたのですね。許しましょう。それが耶蘇の教えです」
そう話すと、甚三郎は、遠い昔を思い起こすかのように、空を見上げた。
「許すという言葉に、救われる思いがします。改めて感謝申し上げます」
金森の目には涙が光っていた。蝉の声が騒がしかった
「さ、膝を上げてください。クリスチャンは許すものなのです」
金森は、ゆっくりと立ち上がった。未だ夏の日は、高かった。二人は、無言のまま峠道を下った。甚三郎が、今日の宿を手配していないことを知ると、金森は、孤児院に甚三郎を招待した。竈から煙が上がり、子ども達のざわめく声がした。大勢の子ども達を見て甚三郎はいささか驚いたようであった。
「津和野に孤児院が開かれているとは聞いておりましたが、まさか、あなたがなさっているとは」
「これも罪滅ぼしと考えておるのですが」
金森は、甚三郎を伴い、孤児院を案内した。二十年前に始めたこの孤児院も、子どもの数が多くなり、またその世話をする者も増えていた。田畑も広くなり、牛馬の数も増えていた。全てが順調のように思えた。
石油ランプに火が入り、辺りを明るく照らし出した。金森と甚三郎そして子ども達の影が大きく伸びていた。甚三郎のために、粗末ながら腕をふるった夕餉が用意されていた。甚三郎は暫く考えているようであった。
「以前から、お聞きしたいことがありました」
「なんでしょうか」
「津和野から長崎に帰る前に、仙右衛門さんや惣市さんと共に説得方の千葉、森岡の御両名から饗応を受けましたが、金森様、あなたは何故、同席されなかったのでしょうか」
昔の武士に戻ったかのような顔をして金森は、語った。
「そんなことがありました。あの時は、確かに千葉、森岡から出るようにと言われましたが、私は、あれは御役目であったのだから、饗応する必要はないと答えました。私が拷問をしたのは事実です。それをあなた達に饗応をして、その罪から逃れるために手心を加えてもらおうなどとは、武士の面目に関わります。千葉様からは、頭が硬すぎると言われましたが」
甚三郎の顔つきが変わった。
「それでは、あれは御役目であったので、罪はないとおっしゃるのですか」
「いや、そのようなことは。確かにあれは、御役目でした。御役目ではありましたが、私は、罪深いことをしたと思っています。ですから、法によってではなく、人としての罪を裁かれたいと常々考えているのです」
「それを伺いたかったのです。我々人間は、神から人としてどのように生きたのかを問われ続けているのです」
「先ほど、甚三郎殿は、あの苦しみを『旅』と仰ったようですが」
「我々、津和野を初め日本全国に流された者達は、長崎から各地に散りまた戻ってきた出来事を『旅』と呼んでおります。苦しい旅でした。信仰が試された試練の旅でした」
「しかし、あなたは、最後まで棄教をしなかった。あなたを支えたのは、信仰の力だったのでしょうか」
「信仰の力と言うより、聖マリアのご加護によるものでしょう」
聖マリアという言葉に、触発されたかのように、金森は二十年前に三国屋で開かれたビリヨン神父の講演会で聞いた、あの安太郎が見たという聖マリアの話しをした。さらに、その講演の時に現れた聖マリアの声と姿の話しをした。
驚きの表情が甚三郎の顔に現れた。
「ああ私は、確かにあの時、光琳寺の床下を通って、三尺牢に入れられた安太郎さんに声をかけました。安太郎さんは、青い着物を着て青い布を被った、さんたまりやが物語をしてくれると申しました。その聖マリアが三国屋に顕れたのですか」
甚三郎は、ビリオン神父の話を聞けなかったのを残念に思った。
「私が許す前に、聖マリアのお許しがあったのですね。それは、ようございました」
二人は、夜遅くまで語り合った。金森は、流罪の女から生まれた赤児を養女とし、その助けを借りて孤児院を開いたことを話し、甚三郎は、津和野から郷里に戻ったが、そこには何も残ってはおらず、まったくの無一文から生活を築きなおしたことなどを語った。
翌日、津和野から甚三郎が、去って行った。もう二度と会うことはないだろうと金森は思った。少しだが、心の荷が軽くなった。
金森は、当時としてはかなり高齢の部類に入る八十歳に手が届こうとしていたが、かくしゃくとしていた。身の回りのことは、娘のまりと子ども達が世話をしてくれていた。娘のまりは、院長代理として貫禄がついてきた。
聖太郎と名付けられたまりの子どもも、大きくなった。動物好きで、牛や馬の世話が得意である。この孫も、ここにおれば大丈夫だろうと金森は思った。
亡くなった三六名の殉教者のために、ビリヨン神父は追福碑を立てたが、日々の碑の世話は、孤児院の子ども達の仕事だった。子ども達は碑の回りをきれいにして、野原で採った花を捧げた。その様子を眺めるのが、金森の楽しみだった。
翌る年の春は、寒かった。遠くの山々の雪が消えず、人々は田植えをいつ始めたらよいのかと首をひねっていた。初夏になっても、暑い日はごくわずかで、苗の生長が遅かった。人々は、不作、飢饉という言葉を使うようになっていた。トウモロコシや豆の出来も悪く、牛に与える餌が不足するようになった。
牛乳の出が悪くなったが、牛乳を異人館に運ぶのを止める訳にはいかなかった。石蕗の馬車として知られるようになった一頭立ての馬車は、行きには牛乳を、帰りには日用品を積んで帰ってくるのだった。
ある日の夕方、馬車が帰ってくるのが眺められた。それを見ていた金森は、馬の動きがおかしいことに気がついた。御者の具合でも悪いのだろうかと見ている内に、何に驚いたのか、突然馬は、前足をあげていななき、突進し始めた。その先には、幼い子ども達が一団となって遊んでいた。このままでは、子ども達が馬蹄にかかると思った金森は、家を飛び出した。畑で仕事をしていた連中も、騒ぎに気がついた。だが、誰も暴れ馬にどうしてよいか、分からなかった。
金森は、突き進んだ。この歳まで生きることができれば、悔いはない。金森は、馬の轡を捕まえようとしたが、手が届かなかった。できることは、突進してくる馬と子ども達の間に分け入ることだった。両手を拡げて、馬の前に立ちはだかった。馬の身体が、金森に覆い被さり、馬車は半分横転しながら、ようやく止まった。
ようやく意識を取り戻した金森の耳に、娘まりと手伝いの者の声が聞こえてきた。
「今年のこの収穫では、この孤児院はやっていけません。折角殖えた牛を売らなければなるかも」
「いや、それでは牛乳が出来なくなります」
娘のまりが、手伝いの者と額を寄せ合っていた。
金森が、そんな彼等に声をかけた。
「なに、米がなければ麦、麦がなければ豆を、また芋や野の草も食べられよう。ここにおる者は、皆家族ぞ。一つになってしのぐことのできない災難など、あるはずがない」
金森は、信じていた。あらん限りの努力をした後に、最後に人知の及ばない力が働くことがあることを。凶作を軽んずるわけではないが、恐れるだけが、人としてのあり方ではないのだと。
「あ、気がつかれましたか」
「いやあ、危ないところでした。幸い、子ども達に怪我はありませんでした」
それを聞いて、金森は安堵した。金森の怪我も、たいしたものではなかった。
だが、これ以来、金森は、身体の衰えを感じるようになった。日課としていた追福碑へのお参りの途中、全身の力が抜けるのを感じると、お迎えが近いことを悟り、ようやく院にたどり着いた。金森の動きにいつになく、力がないことを感じたまりは、父に声をかけた。
その年、実りの秋であるはずが、収穫は乏しく人心は動揺していた。毎年聞こえる蜩の声も今年は、聞こえなかった。今、金森一峰は死の床にあった。思えば、不思議な人生であった。盤石と思われた幕府とともに津和野藩までもがなくなってしまった。武士としての生き方を全うするつもりでいたが、武士そのものも又、なくなってしまった。不惑の年に、あの事件に荷担させられ、従心の年齢を超えても未だ存命しようとは、思いもよらぬ事であった。
だが、孤児院を開いたことは間違いではなかった。妻が生きていれば喜んだであろう。初め十人の子ども達を抱え、どうなるかと危ぶんだが、人の情けにすがり、ここまで何とかやってきた。
窓の外は、本来であれば稲穂が垂れて実りの秋であるはずが、冷たい風を受けて、ひょろひょろと立ち枯れていた。だが、子ども達の声は、いつものように元気であった。あの子たちに腹一杯飯を食わせねば、まだまだ死に切れん。
金森、危篤の報を聞いて、たくさんの人が集まってきた。ビリヨン神父や娘のまり、そして孫の聖太郎がそばに居た。金森は、ビリヨン神父に罪を告白した。
「浦上の人達は、あの迫害を『旅』と言い表しました。思えば、私の一生もそれに同行した旅でした。もうすぐ、この旅も終わるでしょう。私は、三十六名の人達を死なせました。あの人達にお詫びしたいが、あの人達は天国におられるのでしょう。私は、地獄に行くから、お会いできないのが心残りです」
ビリヨン神父が金森を安心させるかのように、
「あなたの罪は、あの三国屋で奇跡が起きたときに許されたのです。その後、あなたは、誰もが省みなかった孤児や知恵遅れの子ども達を引き取り育て上げました。それと併せて、甚三郎さんにも会って許しをいただきました。あなたは、出来るだけのことはしたのです」
「そう仰っていただけると有難い」
苦しい息の下で金森は、話し続けた
「神父様、最後の時が近づいたようです。あの三国屋のことで、お話したいことがあります。私は、神父様が説教なされている時、不思議な女人の声を聞きました。その女人が、私は十分に苦しんだと言ってくれたのです。それが、安太郎さんが、言っていた「聖マリア」の声だったのでしょうか」
神父は、何と返事をすべきかと迷った。確かに、あの時、突然、風が吹き、うす暗くなった小屋の天井に青い影が映し出されたのは神父も見ていた。疑う必要はなかった。やはり、あの時、奇跡は起きていたのだった。
「金森様、あなたが聞いたという女人の声は、「聖マリア」の声です。悔い改める者には、恩寵が与えられます。大切な話しをしていただいて、ありがとうございます。あなたの話しを聞いて良かった」
ビリヨン神父の話に救われた思いで、金森は、最後の願いを口にした。
「あれが、聖マリアの慈しみ深き声であるとの神父様の言葉に感謝申し上げます。この孤児院を開いて以来、私は耶蘇の教えについて自分なりに考えてきました。イエスの道とは、我が身を投げ出して、人々の罪を購うことであるとすれば、それは全ての衆生が救われぬ限り、己も救われぬとの願をかけた菩薩の道でありましょう。それは、我が道でもあります。
神父様は、あれほどの大罪を犯したこの身が許されたと仰せられたが、私は罰を受けておりません。この金森は、いささか時代遅れですが、武士であります。主君のために一命を投げ出す頑固一徹な武士として命を全うしたいのです。
是より後は、神を主君として仕えとうござる。罪は引き受けました。他の説得方の罪も私が引き受けましょう。福羽美静の罪も又、引き受けましょう。私は、神の前で裁きを受け、その罪に服して後、許されとうございます。どうか、金森一峰の生き様、死に様を見取っていただきたい。
心残りは、娘と孫と子ども達のことですが、ここでなら皆様のお世話になって、生きていくことができるでしょう。思い残すことは、ござらん」
そう言うと、金森は目を閉じた。ビリヨン神父は、津和野藩の最後の武士が死に往く様を眺めた。金森は眠りについた。そして目覚めることはなかった。
津和野 最後の武士 @chromosome
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます