第13話 孤児院開設

 その後、金森は、娘の助けを借りて、孤児院を開いた。娘のまりは、成人し嫁いでいたが、生まれた子は知恵遅れだった。嫁ぎ先から、このような子は、この家の血筋ではないと言われ、娘は実家に戻っていた。娘のまりと同じようなことで、婚家を追われた娘達が何人かいたことを金森は、思い出した。今更、子どもだけを引き取って、娘を嫁ぎ先に戻すこともできまい。そう金森は、思った。

 明治の御代になったとはいえ、農民の貧しさは変わらず、間引きや棄て児も多かった。まして、障害のある子を育てる余裕はなかった。親のない子どもが、飢えの余り農作物を盗み、それが見つかって罰せられているところも見た記憶があった。この子らも、哀れといえば哀れだ。そうだ、親のない子や手足の不自由な子どもを引き取って、育ててみよう。

 何のためにそのようなことをするのか、金森にも分からなかった。ただ、あの三国屋での出来事が影響したのは明らかだった。あの日以来、人はなぜ生きるのか、義しい生き方とは何なのかを考える日が続いた。明治時代となって誰もが、立身出世を目指していた。同郷の士の多くは、上京し高位高官にのぼり、我が世の春を謳っていた。忘れられようとしているあの出来事に生涯をかけて取り組もうと金森は考えた。儂の才覚では、これが丁度よいのだと金森は、何度もくり返した。

 幸い、金森の考えに賛同する人々がいた。山口教会の信者達であった。信者達は、三国屋での出来事や慰霊碑建立に尽力した金森の行動を見ていた。金森が、罪を償おうと悩んでいることも知っていた。

 金森が、孤児院を開こうとしたのは、教会でも、孤児院を開設しようとの話しが出ていたときであった。そこで、孤児院を開くことは、とりあえず金森にまかせ、運営面で物心両面の援助をしようとの話し合いがもたれた。金森がクリスチャンであるかどうかは、問題とはならなかった。それは、金森個人の問題であり、いずれは時間が解決すると思われた。だが、そのような話し合いがもたれていることなど、金森には思いもよらなかった。

 山口教会から、孤児院について話していただきたいとの申し出があった。金森は、はて、どのような用であろうかと些か怪訝に思いながら、初めて教会の門をくぐった。誰も居ない会堂の正面には、磔刑の耶蘇が据えられている。厳かというよりも無惨なという感情が先に立ち、これを切支丹達は拝んでいるのか、どうにも解せぬと金森は思った。

 信者に案内されて神父宅を訪れると、そこには、信者達と神父が待っていた。金森は、乞われるまま、孤児院開設の理由、場所、規模等について説明したが、教会に援助を頼むことは全く考えていなかった。ところが思いもかけず、教会から孤児院開設にあたって援助をしたいとの話しがあった。ここにいる人達は、自分が過去になしたことを知らないので、そのような申し出がなされるのだろうか。

 金森の過去については、皆が知っていた。知っていて、金森の志を高く買おうというのだった。金森は、あつく感謝した。帰り際、神父が、金森に「私たちは、あなたの苦しみ、悩みを我が事とします」と言ってくれた。儂は求めておらんが、耶蘇の教えが近づいてくることに、金森は、深い因縁を感じた。どうやら儂は、これから逃れられないようだとふと思った。

 その後、金森は、家と敷地を売り払い、郊外に新たに田畑一町歩を求めた。そこに、寝るところと食事をするところを設けた和洋折衷の洋館を建てた。名前は、路傍に咲いている石蕗(つわぶき)の花にちなんで、石蕗孤児院と名付けた。

 信者達からの応援を受け、男一名、女一名の手伝いの者も集まって十名の孤児を世話する石蕗孤児院が開かれた。運営資金は篤志家の寄付にたより、また田畑を耕作して日々の糧を得た。

また、孤児院の近くには、人の手が入っていない原野があったので、それを開墾して畑や牧草地とした。切り倒した木の根が到る所に見られた。根株に、綱をかけ馬で引かせたが、びくともしない。金森は男二人と力を合わせ、ようやく根株を引き抜いた。

 「いい汗をかいた。まだまだ若い者には、負けぬな」

「父上、若い人の真似はしないでください」

まりが、心配をして開墾の様子を見に来た。

 浦上から移送された信徒の中に、異国人は、栄養価が高い牛の乳を飲むということを津和野の村人に教えた者がいた。金森は、村人から、搾乳に到るまでの方法を教えられ、石蕗孤児院の牛乳として売り出した。医師も滋養を取るために、牛乳の飲用を勧めていたこともあり、その販売は好評を博した。

 余った牛乳を役立たせるために、バターやチーズも作ることとした。それらの製法もまた長崎の信徒の応援を受けた。初めてできたチーズに、金森は、

「仏典に言う、蘇や醍醐とは、最も美味なるものとされているが、このような味であったのか。いや、この臭いがたまらん」

と言って、皆を笑わせた。

 又、金森は、孤児達が仕事をする時に不自由をしないようにと読み書きを教えることとした。小学校は、各地に開校されていたが、孤児院からは、あまりに遠く通学が難しかったため、院内に分教場を開いた。金森が教えるのは、藩校養老館以来のことだった。算術や裁縫は、娘のまりが教えた。

 午後になると、子ども達は田畑や動物の世話をまかされた。女の子には、機織りを教え、十五歳で自立させた。自立が難しい者は、院で田畑の仕事に従事させた。

 或る時、孤児院の子ども達が村人の家から金を盗むという事件が起きた。その現場を見かけた若い衆が、子ども達を追いかけて孤児院まで押しかけてきた。

「こら、盗人。今、金を盗んだだろう。お前だ」

三人の子ども達が、おどおどと食堂の壁際に立っていた。怒声を聞いた金森は、扉を開いた。金森は、子ども達に問い糾した。

「今、こちらの方がお前達が金を盗んだと言っているが、それは真か」

子ども達は、じっと黙っていた。

「黙っていても、こいつらが盗んだことに間違いはない。俺が、その顔を見たんだからな」

子ども達が目を伏せた。その顔を見て、金森が言った。

「日ごろより、盗みはいけないと躾をしておりますが、申し訳ないことをしました。盗まれた金は、いかほどでしょうか」

金森は、その金を弁償した。

「弁償して貰っても、金を盗んだことに変わりはない。巡査に突き出そうか」

「申し訳御座らん。この子達には、後で良く言って聞かせますので」

金森の必死の詫びで、村の若者は帰っていった。

 子ども達は、重い罰をうけるものと覚悟した。が、金森が思いがけない事を言った。

「常日頃、お前達に、嘘を付かぬ事、盗みをせぬ事、人を欺してはいけない事などを教えてきたつもりであったが、私の教育が足りなかったようだ。年端もいかないお前達の罪は、私の罪でもある。それ故、私自身に断食の罰を科そう」

 一日の労働をしながら食事をしないでいると夕方には、空腹が募ってきた。それでも二日目までは耐えた。三日目となると、目が回り立っていられなくなった。これが飢え責めか。金森は、己が所業の恐ろしさを感じた。よく、あの異宗徒達は、この責めに耐えた事よ。子ども達が心配をして寄ってきた。中には、泣いている者もいた。

「院長先生、済みませんでした。これから二度と盗みはしません。だから断食は、もう止めてください」

「分かってくれればそれで良い。だが、この断食には、もう一つ儂が引き受けなければならない罰としての意味があるのだ」

金森は、その後、一日間断食を続け倒れた。娘や子ども達の介抱により、意識を取り戻したのは、それから二日後であった。

 金森は、院長として懸命に努めた。当時、各地に孤児院ができつつあった。数年前の明治二十年には、石井十次により岡山孤児院が設立されていた。時代の趨勢であろうか。金森は、恵まれない者に日が当たる時が訪れたのを感じた。己が為していることは、無駄ではなかったのだと思われた。

 金森は、盆と暮れの年二回、孤児院の状況を報告するために山口教会へ出かけた。土産は、神父が喜ぶチーズだった。なぜか、暮れになると、教会から子ども達のために贈り物があった。子ども達の年齢や好みまで考えて選ばれたその贈り物は、孤児院の子ども達にとっても嬉しいものであった。聞けば、耶蘇の降誕祭をクリスマスといい、その前夜に切支丹は贈り物をする習わしがあることを金森は知らされた。耶蘇教でも仏教と同じく、灌仏会を行うのかと思うと、不思議な気がした。山口教会からの援助は、その後も絶えることなく続けられたが、切支丹の優しさは、耶蘇の教えに由来するのかと思うと、悪くはないと思えるのであった。

 だが、金森の脳裏から消えることのなかったのは、耶蘇宗徒への仕置きのことであった。己が、今為していることで、我が罪が償えるとは思えなかった。それが、老境に到った金森の苦しみだった。

 そして、もう一つの心残りは、あの三国屋の出来事だった。金森の苦しみを、我が苦しみとした女人の声の慈しみ深かったこと、又あの青い影の清らかだったことは、未だ金森の耳目を去っていなかった。あの女人が、もし耶蘇教に言う聖マリアなれば、その教えに殉じなければなるまいと金森は思った。

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