超次元サレ妻

Phantom Cat

超次元サレ妻

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。「ご予算の範囲内では、ね。しかしそれだけあれば十分でしょう。間違いなく浮気の証拠は固められると思いますよ」


「心強い限りですわ」気丈な女を演出するため、ここは私もあえて口調に喜びのニュアンスを含ませる。「よろしくお願いします、松田さん」


「お任せ下さい。それでは、また進展がありましたらご報告しますね」


「ええ。お待ちしています。それでは」


 通話ボタンをタップ。


「……ふぅ」


 ため息が漏れる。予想していたからショックは少ない……と思っていた。でも、現実に直面してみると、やはりそんな単純に割り切れるものではない。夫……良祐りょうすけさんとは十年も一緒に過ごしてきたのだ。裏切られているとなればそれなりのダメージは免れない。


 電話でよかった。声だけならいくらでも繕える。だけど……顔を見れば、おそらく松田さんなら私の本心を確実に見通すだろう。なにせ一度目の調査ですぐに夫の浮気を見抜いた、腕利きの探偵なのだから。


「……うっ」


 嗚咽がこみ上げる。涙が頬を伝った。号泣しながら私は自分に言い聞かせる。


 泣けるならまだマシだ。両親が交通事故で同時に亡くなった時は泣くことすら出来なかった。泣けるものなら、泣けばいい。


 そして、一刻も早く立ち直るんだ。


---


 それから一週間後。


 松田さんは私の仕事場の実家兼ピアノ教室に直接やってきた。三十代前半とのことだが、至って普通の若いサラリーマンに見える。しかしその顔には、なぜか深刻そうな表情が浮かんでいた。


「大西さん、さっそく本題に入らせてもらいますが……ちょっとこれはどう理解したものか僕にも全く分からなくて……とりあえずこの動画、見てもらえます?」


 言いながら、彼はバッグからノートPCを取り出す。タッチパッドをスイスイと操作して、彼は動画の再生を開始した。


 ラブホテルの入り口から男女が姿を表す。男の方は間違いなく良祐さん。女の方に見覚えはないが、二十代くらいだろうか、可愛らしい顔立ちで豊かなバストの持ち主だった。Bカップの私のコンプレックスが刺激される。


「なるほど。決定的ですね」


 覚悟が出来ていたせいか、もはや心はそれほどかき乱されなかった。


「ええ。そうなんです……けどね」松田さんの表情は堅いままだ。


 カメラは二人を追っていき、良祐さんの車に乗り込んだところまで見届ける。場面が変わり、とあるマンションの玄関前。良祐さんの車から女が降り、手を振っている。車が発進したところで女が背中を向けた……かと思うと……消えた。


「……え?」


 消えた? 玄関に入ったんじゃなくて?


「ちょ、ちょっと松田さん、巻き戻してもらえます?」


「ええ、もちろん。スロー再生してみましょうか」


 無表情で、松田さんはタッチパッドを操作する。


 やはりだ。姿がすうっと薄れたかと思うと、3フレーム程度の間に全く見えなくなっていた。


「……あの、ふざけているわけではありませんよね?」


 思わず私は松田さんを睨み付けた。怯むことなく彼は応える。


「もちろんです。これはCGでも何でもありません。そもそもこんなCGを作る理由がないです。調査失敗の言い訳にしても、これではお粗末すぎるでしょう」


「それじゃ、これは現実に起きたこと……なんですか?」


 鳥肌が立つ。こんなの……とても信じられない。


「そうです、としか僕には言えません」


「この女は、何者ですか?」


「わかりません。そもそもそれを調べるためにこの動画を撮ってたんですよ。なのに、せっかく住居が分かったと思ったら……こんなことに……」


「……」


 深く呼吸し、私は心を落ち着けようと試みる。


 松田さんの言うとおり、彼が私をかつごうとしている可能性は低い。だとすると……これは本当に起こったこと? 良祐さんの浮気相手に、一体何が起きたというの?


「まさか……落とし穴に落ちたとか、じゃないですよね?」


 私が言うと、松田さんは首を横に振った。


「いえ、それなら落ちるところがちゃんと映るはずです。こんな風に透けるように消えたりはしません」


「としたら……この女は、幽霊なの? それとも妖怪?」


「わかりません……が、そういう物の怪の類いとご主人は……行為に及べるものでしょうか?」


「……」


 そんなの私だってわからない。いや……もしかして……


「何かの忍術とかマジック的なものでは?」


「その可能性も無くはないですが……そんなことをする理由が不明です」


「調査に感づいていて、煙に巻くためでは?」


「う。それはあるかも……」松田さんが頭を抱える。「気づかれてない自信はあったんですが……俺もヤキが回ったかな……」


「松田さん、あと残り二回調査できますよね? この女のこと、出来る限り調べてもらえます?」


「ええ。面が割れてる可能性を考慮して、知り合いにもサポートしてもらいます。といってもこれは僕の失態なんで追加料金のお願いはしませんから」


 松田さんは力なく笑った。


---


 五日後。


 仕事場にやってきた松田さんは、少しやつれたようだった。


「申し訳ありません」開口一番、彼は頭を垂れる。「結局、女の正体はわかりませんでした。聞き込みをしても誰も知らないというし……尾行もしてみましたが、いずれも一人になってしばらくすると、やはり同じように姿を消してしまうんです。しかも姿を消す場所も様々で……もう、一体何が起こっているのやら……」


「……」


 複数の場所で姿を消すとなると、トリックの可能性は低いだろう。姿を消すような仕掛けはかなり大がかりになるはず。場所を変えて手軽にできるとは思えない。


「まさか……光学迷彩とか……」


「お、そんな言葉、よくご存じですね」松田さんの目が丸くなった。


「ええ。実は私、SF好きなの。昔は少女マンガにもSF作品が結構あってね。で、母がそういうのが好きで集めてて、家にあったんで私もそれを読んで育ったの。それで私もすっかりSF好きになっちゃってね」


「そうなんですか。だけど……ここまで完璧な光学迷彩は、未だに実用化されてないと思いますね」


「それはそうね」


「いずれにせよ、大西さん」松田さんは眉を寄せる。「これはもはや浮気調査の域を超えてしまっている気がします。この女の背後に一体何があるのか……これ以上首を突っ込んだら危険かもしれません」


「ええ。無理なさらなくて結構です。女の方に慰謝料を請求できないのは残念ですけど、夫の浮気の証拠としてはもう十分ですから。これ以上追加で出費も出来ませんし」


「でも、このままにしておくのもスッキリしないですよね。それで一つご提案があるのですが」


「提案?」


「ご主人は間違いなくこの女と複数回コンタクトを取っています。ということは、ご主人はおそらく女についてなにがしかの情報を持っているわけです。それを引き出せば、女に対しアプローチもできなくはないでしょう」


「けど、そのためには主人に浮気について確かめないと……」


「その通りです。が、浮気の証拠はもう十分でしょう。これを突きつけられたらご主人はぐうの音も出ません。そうして奥さんを有利な立場に導いた上で女について問いただせば、ご主人から情報が得られると思います。ただ……」


 そこで松田さんは顔をしかめた。


「問題は、ですね……ひょっとしたら、ご主人もその得体の知れない女と仲間の可能性がある、ってことです」


「え……」私は背中にゾクリとするものを感じる。「それって……例えば女が妖怪だったとしたら良祐さんもそうかもしれない、ってこと?」


「そうです。だから、それをするかどうかの判断は奥さんにお任せします」


「……」


 良祐さんが物の怪の類いだなんて……とても信じられない。十年付き添ってきて、おかしなところなんて一度も見たことはなかった。だが……そういう可能性もあるのか……


 でも、このままでいいはずはない。松田さんの言うとおり、何もかも明らかにしないと私自身が先に進めない。


「かまわないわ」とうとう私はうなずいた。「良祐さんも女も正体を暴いてやらないと気が済まない。たとえどんな結果が待っていようとね」


「わかりました。先日の打ち合せでは、ご主人との話し合いは弁護士同席の下で、ということでしたね?」


「ええ」


 そう。事実確認と慰謝料、場合によっては離婚……といった話し合いの際は弁護士がいた方がいい、と松田さんに言われたので、私は彼の知り合いの、龍崎さんという女性弁護士と契約を結んだのだ。


「それ、僕も同席してよろしいですか?」


「ええっ? なぜですか?」


「いえ、やはり得体の知れない相手と会うとなると、奥さんと貴子……いえ龍崎が少し心配で……」


 ああ。龍崎さんと彼は友達以上恋人未満の微妙な関係。彼女を守りたいのね。


「それじゃ、私たちのボディガードを引き受けて下さるの?」


「ええ。自分も一応武術の心得はありますし……ま、物の怪相手に通用するかは分かりませんが」


「それでも十分心強いわ。だけど……そのための追加料金は……」


「要りません」


「ええっ?」


「僕も、どうしてもこの謎を解いてみたい、っていう思いがあるんです。探偵としてのプライド、というか……とにかく僕は、あの女の正体を是非とも見極めてやりたいんですよ」


「……」


 真剣な顔で私を見つめる松田さんの言葉は、私の中に信頼感を湧き上がらせた。


「わかったわ。それじゃ、タイミングを見計らって浮気現場に突入する?」


「ちょ、ちょっとそれは無謀じゃないでしょうか」松田さんは焦り顔になる。「得体の知れない二人と直接対峙するのはさすがに不味いと思います。まずはご主人だけを取り囲む形にした方が、心理的にこちらも優位に立てますからね」


「……そうね。それじゃその方向で、作戦を練りましょうか」


 私が微笑むと、松田さんもうなずいて笑みを返した。


「ええ。そうしましょう」


---


「申し訳ありませんでした!」


 良祐さんは、額をテーブルに打ち付ける勢いでひれ伏すだけだった。


 家の近くのカフェチェーン店。こちら側は龍崎さん、私、松田さんの順番で並び、向かい側にいるのは良祐さん一人だけだ。ホテルから二人が出てくる証拠写真を突きつけられた彼は、一瞬で顔面蒼白になった。そして今に至る。


「あなた、顔を上げて。この人が誰なのか説明してくださらない?」


「ああ、百合子……彼女は僕の幼馴染の白瀬 千恵子だ。僕の初彼女だった子だよ。再会したのは偶然だった……ほんと、会えるなんて思ってなかったんだ。それで話が弾んで……」


「そうだったの。だけどね、あなた、その人は……人間じゃないかもしれない」


「ええっ?!」良祐さんの目が、大きく見開かれる。


「この動画を見てもらえますか?」ノートPCを私たちにも見えるように置き、松田さんは動画を再生した。


「……」みるみる良祐さんの顔が険しくなる。「これは、CGとかではないんですね?」


「もちろんです」と、松田さん。「浮気の証拠にCGなんか使ったら、探偵としての信用にかかわりますからね。ですが……撮影してた自分にもCGとしか思えないんです。この方は、ご主人の目の前でこのような人間離れしたことは起こさなかったんですか?」


「ええ……少なくとも僕の前ではね。ただ……おかしいな、と思うことはありました」


「というのは?」


「彼女は僕と同い年だからもう四十二歳のはずなんです。なのに……どう見ても二十代です。化粧がうまいのか、それとも整形でもしてるのか、と思ったんですが……体の肌の艶も張りも二十代としか思えませんでした。それに……実は僕と彼女が別れたのは、彼女が行方不明になったからなんです」


「!」松田さんが息を飲んだ。


「中三の時でした。それ以降、少なくとも僕が大学を卒業するまでは、彼女が見つかったという話は聞いていません。だから……ひょっとしたら彼女は幽霊かもしれないんです。が……中三の時よりは間違いなく彼女は成長しています。幽霊も成長するんですかね?」


「さあ……それはわかりません」と、松田さん。「が、これだけはっきり写真にも動画にも映ってますし、ご主人はこの方と……その……関係を持たれているんですよね? だとしたらこの方は間違いなく肉体を持っているわけですよね。人間かどうかはともかく」


「……そうですね」良祐さんはうなずいてみせた。


「とりあえず、ご主人」龍崎さんだった。「その、千恵子さんという方と連絡を取って呼び出すことはできますか? いずれにせよ、我々は今回の不倫についてその方とも交渉しなければならないわけですし」


「ええ。電話番号はわかるので連絡は取れます」と、良祐さん。


「ああ、今すぐでなくていいです」松田さんが微笑む。「こちらでも千恵子さんについて色々調べてみます。交渉はそれからにしましょう」


「……わかりました」


「さて、それではあなた、今回の不倫のオトシマエについて、話し合いに入りましょうか」


 私がそう言うと、良祐さんはがっくりとうなだれた。


「……はい」


---


 とりあえず、なにがしかの慰謝料は払う、と良祐さんは言ってくれた。自分としては離婚したくないが、このまま婚姻関係を続けるかは私に任せる、とも。正直、今の時点では私も慰謝料の額や離婚の是非は決めかねている。結論を出すのは例の千恵子とかいう女と話し合ってからでいいだろう。


 そして、三日後。


 松田さんの調べがついた、ということで、私たちは再び例のカフェに集まることになった。今度は千恵子とやらも一緒に。


 シックなパンツスーツを身にまとっているが、やはり彼女は二十代にしか見えない。しかも肉眼で見ると胸のボリューム感がハンパない。これに良祐さんはやられたのね……


 彼女は良祐さんが既婚者であることを知っていた上で自ら関係に持ち込んだ、と自白した。あっさりと不倫を認めてくれたが、慰謝料は払えない、とのこと。


「それなら裁判の上強制執行、差し押さえという形になりますが、よろしいですか?」


 龍崎さんが問いかけると、全く無表情で千恵子が応える。


「それで構いません。差し押さえられるものならね」


「勤務先に報告し、社会的制裁を与えることもできますが」


「無職なので無理です」


「……」


 やれやれ。これではのれんに腕押しだ。良祐さんもつくづく厄介な相手と不倫してくれたものだ。


「確かに無職なのは間違いないようですね」松田さんだった。「というより僕が調べた限り、そもそも白瀬 千恵子なる人物の存在が確認できませんでした」


「……どういうこと?」私は松田さんに視線を移す。


「ご主人の故郷まで行って調べましたよ。白瀬 千恵子には十八年前に失踪宣告が出ています。つまり、未だに行方不明で法的には死んだことになっているんです。千恵子さん、なぜあなたは失踪後から今まで名乗り出ていないんですか?」


「……」


 千恵子は黙り込んでしまった。畳み込むように松田さんが続ける。


「さらに言うならね、僕はあなたの姿が消えるところを直接目撃しています。しかも動画にも撮影してますから」


「!」千恵子の眉が、ピクリと動いた。


「ねえ、千恵子さん。あなたは本当に人間なんですか?」


 彼女の目を見据えたまま、松田さんは締めくくった。


「なあ、千恵子」良祐さんがとりなすように彼女に語りかける。「人間じゃないなんて……そんなことないよな? 再会したとき昔話に花が咲いたじゃないか……僕と君しか知らなかったことだって知ってたし……だから、人間だよな?」


「……ふぅ」目を伏せ、千恵子が小さくため息をつく。「なるほど……そこまで知られているとは……」


 そこで彼女はかすかに笑った。


「ええ。正確に言えば私は白瀬 千恵子という人間ではない。だけど、千恵子の記憶を継ぐものではある。私はあなたたちの言う余剰次元空間に存在する知性体。そして、この体はその射影プロジェクションに過ぎない。三次元の物体にできる二次元の影のようなものよ」


「!」


 私を含め、千恵子以外の全員の表情が凍り付いた。


「そう。影だから、プロジェクションを切ればもちろん消えてしまう。こんな風にね」


 言うなり、千恵子の体がすうっと薄れ、やがて見えなくなる。


「しまった、バックレられた!」松田さんが歯噛みした、その瞬間。


 再び千恵子の体が現れた。


「大丈夫よ。私は逃げも隠れもしない。だけど私はこの世界では幽霊みたいなものだからね。だから不倫をしたのは悪いとは思うけど、その代償を払うことはできない」


「千恵子……」良祐さんだった。「いったい、どうしてこんなことに……」


「事故だったのよ」と、千恵子(?)。「本当にたまたま、ワームホールが私たちの世界とこの世界をつないでしまって、私がこの世界に出現したその場所に、千恵子がいた。私たちの世界のエネルギーはTeV領域。そんな存在と接触してしまった彼女は、一瞬で蒸発したわ。エネルギースケールがこの世界とは違い過ぎたの。だけど、情報というものは決して消えるわけじゃない。だから私は千恵子の記憶をサルベージし、そのまま受け継いだ。それ以来、千恵子は私の中で生き続けていたの。だけどね、どうしてもこの世界に干渉しなければならないことになって……とは言え、私がそのままこの世界に来てしまったら、また同じ悲劇が繰り返されるかもしれない。そこで私は私をこの世界にプロジェクションすることにした。そして、そのフォルムとして千恵子の姿を選んだの。それが今あなた方が見ている私」


「……」


 千恵子(?)以外の誰もが言葉を失っているようだった。それを全く意に介していないように彼女は続ける。


「プロジェクションだから、投影角度を変えれば射影の形も変わる。それはこの世界の、映像を二次元平面に射影するプロジェクターも同じよね。そして、時間軸方向に角度を変えて投影すれば……年齢も自由自在に変えられる」


「!」


 いきなり千恵子(?)がセーラー服姿に変わった。明らかに顔立ちも幼くなっている。かと思うとアラフォーの年齢に相応の外見になり……また二十代くらいに戻る。


「これが今の私のデフォルト。この年代の自分がお気に入りなの。千恵子の記憶が受け継がれている私は、偶然良祐に出会った時……思わず涙がこぼれた。随分年は取ってたけど、一目でわかった。大好きだった人……本当はもっと一緒にいたかった……」


「僕だってそうだよ!」良祐さんはすっかり涙声になっていた。「なのに千恵子が行方不明になって、どんなに辛くて悲しかったことか……」


「良祐……ごめんね。気づいたら私はこの世の存在ではなくなっていた。だけど、またあなたに会えて……本当に嬉しかったの。その気持ちが抑えきれなくて……奥さんに申し訳ないことしてしまった……」


「千恵子……!」


 それ以上、良祐さんは何も言えないようだった。グスッ、と両脇から洟をすする音がステレオで聞こえる。見ると、松田さんも龍崎さんも涙をボロボロとこぼしていた。


 いや、正直、私も少しだけホロッと来ていたのだ。が、ほだされるわけにはいかない。どんな事情があろうと、相手が人間じゃなかろうと、不倫は不倫だ。オトシマエは付けてもらわないと。


「千恵子さん。あなたの事情も気持ちもよく分かりました。ですが、あなたが不倫を働いたのは事実です。これは不法行為であり、私にはあなたに何らかの形で賠償を求める権利があります」


「それについては申し訳なく思っています」千恵子(?)は素直に頭を下げた。「ですが、私は財産と呼ばれるものを何も所有しておりません。ですので賠償することもできません」


「あなた、服もアクセサリーも身に着けてるでしょ? それは財産じゃないの?」


「それらもプロジェクションです。私の体内にあるプロジェクターからある程度離れたら消えてしまいます」


「……」


 そういうことか。ったく、使えない。


「だけど、別に何か財産的なものでなくてもいいんじゃないかしら? 例えば……」


 その瞬間。


 とてつもないアイデアが私の脳裏に閃いた。


「……私もプロジェクションにしてくれる、とかね」


「ええっ!」その場の全員が驚きの声を上げる。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか?」困惑した顔で、龍崎さん。


「いえ、ここにいる千恵子さんも元々は普通の人間だったわけでしょ? で、その記憶がそのまま受け継がれて、プロジェクションになってる。そうなったら多分年は取らないし年齢も好きなように設定できる。私もそういう存在になりたいの。永遠の若さは女の夢ですもの。それに、SFの主人公みたいでかっこいいでしょ?」


「それ、人間をやめる、ってことになりますよ」松田さんだった。


「かまわないわ。人間じゃなくなっても私は私だから。ね、千恵子さん、そうでしょ? あなたは千恵子だから、良祐さんが好きだった。だから不倫した。違う?」


「それは……そうですが……」


「だったら、私もあなたと同じようにしてほしい。それをもって賠償とさせていただくわ。どう?」


「もしあなたが私と同じような存在となったとしたら、あなたには重大な使命が課せられます。その遂行のために私はここにいるのですから」


「それって、どんなこと?」


「それは……」


---


 かくして、私は人間でなくなった。


 とは言え、あまり自覚はない。普段は人間として過ごしているし、ピアノ教師の仕事も相変わらず続けている。


 しかし、不老不死になっただけでなく、私にはスーパーウーマンと呼ばれるべき能力が備わった。マッハで空を飛べるし、姿を消して行動できるし、パンチ力は一撃でビルを粉砕するほどだ。もちろん普段はこれらの能力にリミッターをかけて普通の人間並みにしているが、最近はこの能力を活かして松田さんの仕事のお手伝いをしてたりもする。


 結局、良祐さんとは再構築を選んだ。事情も事情だし、彼にも十分情状酌量の余地があった、と思えたからだ。そして、彼との夜の生活は前にも増して充実している。


 まず、今の私のバストはGカップだ。豊胸手術したわけではない。とは言えある意味整形なのだが、要するに射影の対象を平坦なユークリッド空間ではなく歪んだリーマン空間にしただけなのだ。凹面鏡に映る自分の姿が太って見えるのと同じ理屈だ。さらに、同じ原理で私は自分の顔も外見も自由自在に変えられる。別人になることもできるのだ。


 だから、もう良祐さんが浮気することはないだろう。私自身が彼の浮気相手になれるのだから。


 もちろんこれらの能力は全て、私に課せられたミッションを遂行するために与えられたのだ。そのミッションとは……


 千恵子の行方不明事故がきっかけとなったのか、二十五年前から頻繁にワームホールが生成されるようになり、それが原因と思われる自然災害が起こり始めた。それを出来るだけ食い止めることなのだ。

 これまではスーパーウーマン1号の千恵子(?)だけがその任に当たっていたが、だんだん一人では対応が困難になってきた。そこに私が名乗りを上げたのだ。渡りに船、と言ってもよかった。


 もちろん私も、不老不死の肉体という、お金に代えられないほどの賠償を得たのだから、それくらいのことは引き受けなければ、と思っている。だからスーパーウーマン2号として日々活躍している。


 おっと、今日も来た。1号から緊急出動要請スクランブル・オーダー。南東方向、距離 レンジ3000にワームホール災害デザスターの兆しあり。


「あなた、ちょっと行って来るわ」


「ああ、気を付けてね」


 夫の言葉を背に、玄関のドアを閉める。


 次の瞬間。


 私は1万メートル上空にいた。針路ヘディング、163。


 そのまま私は音速を突破する。

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