待ちあわせ

蒼汰朗

移り香

今この瞬間に鯨が吠える

地球の裏側を回り、瑠璃るりの波を作り、

光の無い溟海めいかい廓寥かくりょうを唄う

人とすれ違う時の風ではなく

ただ只管ひたすらに生命の美麗びれいな所作を感ぜさせ

深淵しんえん海嶺かいれいで無価値な邂逅かいこうを待つような

トラックの遺すガソリン臭さをもう一度


今この瞬間に、

落陽にひしゃぐ振鈴

遠景えんけい海潮音かいちょうおん

帚星とれる君の声


靡き、嵐気らんきを絶やす風鈴のぜつ

ビー玉の発する玲瓏れいろうたる響き

手足をみ切る井戸水の余韻




今この瞬間に幽霊が笑う

誰もが手を握り、幼さの鎧を纏い、

羞恥湧くまで未来へ憧憬を抱く

人と分かち合う時の風ではなく

自ら孤絶を求め壊れ傷つけるような

下位互換の声量で喚き散らす非道ひどい夢

祖母が微睡みながら話す安心感に

あの追懐をいざなう声をもう一度


今この瞬間に、

翠雨すいうはしゃぐ染井吉野

渇望に壊死する眼底

濤声とうせいと辿り着く蒼茫




徒桜が舞い、雨間あまあいぶ足跡が連なる

幾千年に紛れ憂い、喪われる片時雨

月灯りが反照する畦道を、静謐とけば

綺羅星がく夜に、かんざしが一つ落ちていた

虚心にこぼれる戯言たわごと、自嘲して衣嚢いのうに隠す

嫣然えんぜんと佇む月暈つきがさの仄暗さに、童心を奮う

玉響たまゆらに訪れた黎明れいめいに咲く晦冥かいめい、啾々と朝靄を潜る

貴女あなたに、迷い子の私が、伝えたくて歩幅を狭めた




今この瞬間に廃寺が朽ちる

微風そよかぜ遡行そこうを示し、惜陰せきいんを紡ぎ、

遥かにきらめく彷徨ほうこうを重ねる

二藍に交じり合う懐郷の耽美たんびを破り

誤謬ごびゅうから救われた幸福を仕舞しま

果てしなく凄愴せいそうな笑みにこう思う

少艾しょうがいの醸す頬が紅く淡い夜に

あの最後の言の葉をもう一度




今この瞬間に、

往昔おうせきに咲く向日葵

風花をにじる天の川

晩夏に揺蕩たゆたう漁灯




何故だろう

此処はもう懐かしくない

図書室のかおりが馳せた

君が通り過ぎる

歩幅が小さい

振り返った

微笑んで──そっと今消えた



 

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待ちあわせ 蒼汰朗 @str1014

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