狂想ノ曲B
仲のいい、下級生と上級生がいた。
その上級生は、学内でも人気のある最上級生だった。面倒見のよさと華やかな見た目から、密かにファンクラブが存在しているとも聞いたことがある。下級生の方は、……あまり私はよく知らない。騒ぐこともなければ群れることもなく、人を寄せつけないタイプの子だった。ひとりで歩いているのをよく見かけてはいたけれど。
そんな二人が、一体どこで知り合ったのか。休み時間や放課後に二人で居るのを、ほとんどの女学生が見かけていた。そもそも馬が合うとも思えない彼女達が、どうして。……その囁きが女生徒達の間を縫い、広まりゆくまで時間は要さなかった。当人達の耳にもく入っていたことだろう。しかし彼女達の関係性が変わることはなかった。
そして、ある日。
二人は行方不明になった。
──ほかの女生徒達の話もある。
運動神経の良さから王子と呼ばれ慕われていた女生徒と、愛嬌のよさからアイドル的な存在だった女生徒。
何人もの女学生と関係を持っていた女生徒と、要領の良さで教師陣や他生徒から信頼を寄せられていた女生徒。
芸術の手腕に長け、周囲から一目置かれていた女生徒と、学院内で情報通と知られる顔の広い女生徒。
一部でカリスマ的な存在感を放っていた女生徒と、側近のようにして崇拝する信者のような女生徒。
……彼女達のことを、学院内で知らない者はいない。もともと存在感を放っていた彼女達の失踪事件は、この学院にまつわる噂と絡められ、こんな風に広まった。
吸血鬼に攫われたんだ、と。
根も葉もない噂を鵜呑みにするほど、私は子どもではない。しかしこんな事件が日常に起きるかたわらで、ほかに理由となるようなものを見つけられていなかった。もし本当に、吸血鬼が学院内に存在するというのなら、これらのことには説明がついてしまうのだ。だから私は、彼女の否定を素直に飲み込めないでいた。
机の上に置いたファイルの表面は蛍光灯の明かりを吸い込むだけで、不透明の色をしたまま何も言わない。
「……でも」
「その顔。まるで、いないなんて信じられない、という顔をするじゃないか」
「だって……」
「だが、残念だね。最初に言ったように、この学院に吸血鬼なんかいない。……いや、そもそもこの学院なんか、存在しないんだ」
一瞬、理解が及ばなかった。
……彼女は何を言っているのだろう。吸血鬼がいることを信じるより、この学院が存在しないことを信じろという方が無理だ。なぜなら、現に私と彼女がここにいる。制服を着て、挨拶をして、寮で暮らし、規則正しい学生生活を送っている。
「鵜月、……何言ってるの?」
飾り気のない疑問符を呈したが、彼女の調子は崩れなかった。
「どうやら、君は知らないみたいだね。教えてあげるよ、この学院の真実を」
怪訝な表情を向ける私とは裏腹に、にこりと笑みを深ませる彼女。
学院の真実?いや、どう考えても彼女の理屈は破綻している。やはり私を揶揄からかって遊んでいるだけなのか。そんな澱おりを溜める私の心中などお構いもなしに、彼女は軽やかな声色で告げる。
「ここじゃなんだし、せっかくだから場所を変えよう。内緒話をするのに、いいところを知ってるんだ」
どうやら勿体ぶらずに教えてくれる気はあるらしい。
彼女の提案でふと我に返る。委員会の用事が終えたら帰っていいと伊槻先生に言われていた。
「鵜月も帰り?」
「ああ。一緒に帰ろう」
先に言われてしまった。私は頷いて鞄を持ち、鵜月の横に並んで歩く。
保健室の扉を閉め、私達は生徒玄関へと向かっていく。
大きくて丸い月の明るい、凪いだような夜だった。
***
「ここだ」と言って彼女はゆるりと足を止めた。
何の変哲もない中庭。不規則に設置された大理石の彫刻はただ白く月光を照り返すばかりで、私達以外の人影はなく、賑わいを見せる真昼とは違う印象を纏まとっていた。宵闇に閑散としている。時折吹き抜ける夜風がざわざわと梢枝を揺らし、最後には私と、彼女の足音だけが残った。
「ううん」と唸る彼女。見ると伸びをしていた。意図を掴めないでいる私を差し置いて勝手気ままなものだ。
「いやあ、外の夜気の独特な冷たさ、私は好きだな。君は?」
彼女のマイペースはいつものことだと、私は軽く肩で息を吐く。これも慣れと言えるのだろうか。一緒に過ごすうちに、すっかり彼女に染められてしまったな、と思った。
「夜も嫌いじゃないよ。でも、昼のほうが好き」
「なぜだい?」
「お昼寝が好きだから」
「ふふっ、確かにキミには月より太陽の方が似合いそうだな」
私は肩を竦めてみせた。急に自分自身に矛先が向くのは、ほんの少し面映おもはゆい。照れ隠しのつもりで「さっきの話の続きは?」と先程の話題を振ると「ああ、そうだったね」と彼女は言った。まさかこの数分のうちに忘れたわけでもあるまい。
私の声で色を正した鵜月は、私の真正面を遮った。通せんぼのつもりだろうか。彼女を置いて逃げるなんて思考は端はたからなかったが、行く手を塞がられると、ほんの少し身構えてしまう。
私を真正面に見据えたままで彼女は言った。
「望月学院の生徒達は、全員ある病に侵されているんだ」
「病?」
「そう。病。それも、ある特殊な病なんだ」
「特殊な?」
「そう」再び鸚鵡返しをすると、鵜月は同調するように頷いた。
「望月学院は、知っての通り全寮制の女学院だ。十六歳から十八歳までの少女達が通う高等学校として機能している」
彼女の言うことは間違っていない。私も彼女も、その女学生のうちの一人だ。
「だがそれは表向きの顔なんだ」
「え?」
「ある特殊な病を持った患者が隔離される施設、といえば早いかな?」
病。隔離。施設。段々と整理されていく思考。私の脳内をなぞるように、彼女は言った。
「とある特殊な病に罹かかった患者を匿かくまうための、隔離病棟なんだよ」
「……」
緩やかな笑みを浮かべたままで言うと、そのまま私の横を通り過ぎていった。釣られるように、彼女の挙動を目で追った。制服の上からでも判る華奢な体躯は、青白い月明かりを味方につけて、繊細に象られるようだった。立ち尽くしたままの私を振り返って、彼女は言う。
「満月の夜になると、とある衝動に襲われる。血を見たい。血が欲しい。血を吸いたい。……その猟奇的な衝動が吸血鬼を連想させることから、その病は『吸血症』と呼ばれている」
「吸血症……」
「突如として、満月の日に発症した少女達は、この隔離病棟に運ばれてくる。たとえ錯乱していようとも、徐々に『吸血症』の危うさを自覚するようになる。私はこんな病を抱えているんだと」
それは、いつものように、彼女の創作なのか。それとも、真実なのか。
判断するには、材料が不足していた。
それに。
彼女の横顔。その語り草。
まるで嘘を吐いているとも思えなかった。
「しかしそれ以外は、何ら変わりのない少女達だ。だから病院ではなく学院として、普遍的な生活に劣らない生活を与えられる」
ただ彼女を見つめる私が、彼女の瞳にどう映っているのか、知る術すべはない。今は彼女の言葉の行く先を掴むのに精一杯だった。
「つまり、寮として個室を与えられ、患者衣の代わりに制服を着せられ、女学生として規則正しい学院生活を送らされているんだよ。私達は」
この女学院が病院だなんて。
例え本当だとしても、未だに理解が追いつかない。いや、認めようとしなかった。授業を受ける教室。挨拶を交わす廊下。午睡に向かう中庭。紛れもない日常が覆されるような、彼女の言葉。……それが、病院というものの隠れ蓑だったなんて、一体誰が信じられるというのだろう。
彼女は続ける。
「自身が吸血症患者だという自覚を持ちながら、女学生として寮生活が始まるんだ。その中で、幾度となく忠言されることがある。『絶対に口にしてはいけません』と個人面談の体裁を持って、生徒一人ひとりに強く教えられる言葉が、ひとつだけ」
……彼女の言うことは、間違っていなかった。
「『それ』は、満月の代わりになって、衝動を起こさせてしまう。だから吸血症の相手に聞いてはならない。私達は、そう何度も言い聞かされてきた」
数ヶ月に一度の個人面談。その最後に、担任の教師が私に、──私達に告げる言葉は、いつも同じものだった。「決して、尋ねてはいけません」。生徒達はみな、お互いが同じ吸血症患者であることは知らされていた。だからこそ、自分を守るために。相手を守るために。
貴女は〈吸血鬼〉なのかと問うことは、絶対にしてはいけない。その戒律に、ただ従った。
「でもね、時々いるんだよ。禁忌を犯してしまう生徒が」
小夜の風が吹き抜けていく。彼女の黒い長髪が風に拐さらわれて、その毛先が滑らかに舞った。
「……」
彼女はにっと口端を上げた。私は知らぬ間に、話の先を強請るような眼差しを向けていたのかもしれない。
「愛だ」
「……愛?」
私が呆けた隙に、彼女は私の手を取った。唐突な接触にぴくりと手首が跳ねたが、彼女は構いもせずに引き寄せる。まるで振り払う余地など与えないように、距離を縮めたままで私の瞳をまっすぐに見つめて言った。
「好きな人ができた。この人と、ずっと一緒にいたい。叶うなら、自分のものにしたい。──そういう強い相手への執着心が、強い衝動を抱かせるんだ。ダメだと判っている。こんなことを聞いてはいけない。……でも。聞いたら後悔すると思いながら、自制の効かない心が、口を開かせてしまう。相手に言わせたいと思う。言ってほしいと思う。その葛藤が懊悩を生み、倒錯に繋がっていく」
それは、と言おうとして、間近に迫る双眸に気圧されていることを知った。何かを言いたげな私の表情を見て、鵜月は目を撓ませて言う。
「……そして、言ってしまう。この病が引き起こす、恐ろしい行く先を知っているにもかかわらず」
「恐ろしいことって」私の言葉に、鵜月は心情を憚るように眉尻を下げた。「まさか、知らないのか?」「……何を」「作用だよ」「作用?」同じ言葉をただ返す私に、彼女は再び瞬きを繰り返した。
「
「……そのまさかだよ」
表面に現れていたのだろうか。「知らない生徒がいるとはね」とこめかみに手を当てて、軽く被りを振った。それからもう一度私を見る。今まで見たことのあるどの表情より、思慮深けな眼差しだった。彼女は薄い唇を開く。
「吸血症患者が吸血を行うと、……灰になってしまうんだ」
既に私は、彼女の言葉が嘘ではないと、無意識のうちに認め始めていたのだろう。
灰になってしまう。
その言葉が、胸裡に反響した。
「衝動発作が起きて吸血を行う瞬間。少女は、吸血できる喜びと幸せに満ち溢れる。少女は、求められる喜びと幸せに満ち溢れる。……だが、その次の瞬間には、灰になってしまうんだよ。血を吸われた者。そして、血を吸った者も」
「……そんなこと」
ありえない、と言葉が落ちた。力のない呟きは彼女の耳にも届いたのか。彼女は私の手を軽く引っ張った。つられるように視線を上げる。
「あまりにも荒唐無稽だと思えるのは、私も同じだ。こんなの現実だなんて到底思えない。でも、私は見たことがある。この目で見たんだ。……少女達が、灰になる瞬間を」
一瞬、語尾が震えたような気がした。
彼女の瞳の奥に宿る光は、忸怩や悲嘆すらを押し殺し、哀切を訴えていた。彼女は、その一つひとつを丁寧に紡ぎ出す。「同時じゃない。時差があるんだ」
不意に、手指を引っ張られる感覚があった。私は彼女のリードに付いていくように、ゆっくりと歩き出していた。寮へと続く広い道の両脇には、二人がけのベンチが並んでいる。
「一人の少女が、一人の少女に恋をした。やがて惹かれ合い、禁忌の言葉を口にする。しかし、吸血行為に及ぶ一時ひとときの幸福感は束の間だ。吸われた少女は、段々と灰になっていく。手を伸ばしても救えない。吸血した少女は、その瞬間に後悔を知る。……そして、絶望の七日間が始まっていく」
等間隔で並ぶそのうちの一つの側に、彼女は優しく私を誘いざなった。女生徒達が好んで集う憩いの場。日常で見慣れているもののはずなのに、誰にも必要とされていないベンチが、今はひどく廃れて見えた。
彼女に着席を促され腰を掛ける。自然と、目の前に立つ彼女を仰ぐようになる。
「彼女自身も灰と化していくんだ。『私が愛してしまったことで、あなたを灰にしてしまった』。その後悔に苛まれながら、じわりじわりと」
私はただ黙って、彼女の言葉を仰ぎ見ていた。何も言えなかった。何も言えるはずもなかった。繋いだままの手先に、やんわりと締め付けられる感覚を覚える。彼女が私の手を握り締めたのだ。それが彼女による意図的なものであるかは、判らなかったけれど。
「医師達に事実を葬られ、あとは最期を迎えるだけになった少女達は、決まってこう言う」私は視線だけで、その先を煽る。真摯な眼差しで、彼女は言った。「──『私はようやく、貴女に許されるのね』」
その瞬間、私は自覚もなく、その手を握り返していた。
「……、雛森?」
前触れのない反応に、珍しく彼女は少しだけ驚いていた。「あ」と私は声を上げる。それから、「いや」何かを言おうとして、口を噤んだ。彼女は私に向けたままの視線を逸らそうとしなかった。対象的に、私は彼女と視線を合わせようとはしなかった。
言えなかった。彼女が離れていくんじゃないかなんて。そんな錯覚に陥って、咄嗟に手を握ってしまったなんて。
「……そんなの、寂しすぎるよ」
私は彼女の話を聞きながら淀よどませていた感情を音に乗せた。紛らわしたい気持ちもあったが、本音を吐露することで、少しだけ気分を楽にしたかった。
ばつが悪そうに視線を逸らしたままの私を見て、彼女は言った。
「だから、この病院には一つの噂が流布されている。教師たちが意図的に流しているんだ。〈吸血鬼が潜んでいる〉だなんて言っておけば、そんな悲劇を避けられるだろうと」
もしかしたら、フォローのつもりだったのかもしれない。声色は、さっきよりも少しだけ柔らかかった。
「どうして」
「毒を持って毒を制す、というやつかな」彼女が零した小さな笑い声に、私の心は安堵を覚えた。久しく、こんな他愛もないやり取りを交わしていない気がした。
「そんな噂が流れていたら、お互いを警戒するだろう?あの子が吸血鬼なんじゃないか、という警戒心があれば必要以上に近づくこともない。実際、噂が取り巻いている女生徒は有名でありこそすれ、みんな近寄り難かったはずだ」
……確かにそうだった。吸血鬼かもしれないと言われている女生徒は、学院内で目立つ女生徒。そもそも高嶺の花のような存在であるうえに、危険が孕んでいるかもしれないと思えば、藪をつついて蛇を出すような真似はしない。
「だが、医師達──失礼。教師達は、思春期の少女達を侮りすぎだ」彼女は私の隣に腰掛けながら言った。
「抑止力どころか、反発衝動を生じさせてしまう場合も少なくない。吸血症患者にとって、その問いは死に至らしめる凶器。そして、自分を殺す刃になる。……それはつまり、どういうことだと思う?」
座って、同じ目線になった彼女は私に問うた。判らず、ふるふると首を横に振る。
「愛する人との心中、という選択肢になるんだよ」泣きそうにしている子を宥め賺すかすような、困った色が乗った優しい声音で、彼女は言った。
「心中という決意に必要なのは、勇気じゃない。束の間の衝動と、ほんの少しの傾倒だ」
「──」
私は俯いた。まるで年上に諭されている最中、聞き分けの悪い子どもがするみたいに。
彼女の表情は見えない。だが、いつものように薄ら笑みを浮かべているか、あるいは困り顔でも向けてくれているだろうか。でも確かめようがなかった。顔を上げることができなかった。今、彼女と目を合わせたら、泣いてしまいそうな気がした。
彼女の言うことは、きっと正しい。
だから、間違っていると思った。
まっすぐ、人を好きになる。それだけのことが、私達には難しいのだ。
「さあ」と彼女が言った。「長くなったね。そろそろ本題に戻ろうか」
「……本題?」今のが本題じゃなかったのかという含みは、どうやら彼女に伝わったらしい。ごしごしと指先で目尻を擦って顔を上げた。
「何の話だっけ」
あっけらかんとした口調で言いのけたつもりだったが、彼女に通用しているか判らなかった。感動や憤怒の涙は人に見せられても、不意打ちの感懐を顕わにすることには、些か抵抗があった。彼女に対しては特にそうだ。揶揄や悪戯の対象として見られることに反発心めいた感情を覚えて、屈するまいと思ってしまう。自身が見せる抵抗が彼女にとっては逆効果だと判っていても。いや。敵わない相手だからこそ、本音を隠そうとしてしまうのかもしれなかった。
「聞きたいことがあったんだろう?私に」
すっかり思考を拐われてしまっていたが、確信にも似た推論を彼女に抱いていたことを思い出す。だがその話は、吸血鬼なんていないという彼女の話で塗り替えられたはずだった。
「それは……」
「今の話を聞いて怖くなったかい?安心するといい。私から君に、例の質問をすることはない」
……どうして、そう断言できるのか。いや、どうしてそう断言するのかが、引っかかった。「気づかないかい?」と彼女は私の思考を先回りして言った。
「……私が、君を好きだからだよ」
それは、あまりに唐突で、まっすぐだった。彼女の言った言葉を咀嚼し、理解し始めてから、心拍数がゆっくりと上昇していく。
「……私も」
「……君も?」
「うん」と私は頷く。その結論に、感情が追いついた。名状していないだけで、私が彼女に抱いている感情も同じものだと自覚するだけだったから。
「私も、鵜月のことが好き」
隣に座る彼女は、私の手を軽く握ったままで微笑んだ。
「……嬉しいな」
嬉しい。それを聞いて、私も嬉しくなった。とくんとくんと、心臓が高鳴っていた。
「雛森」「なに?」「お願いがあるんだ」「お願い?」彼女は、握ったまま私の手に軽く力を込めて揺する。
同時刻、いつもなら感じているはず空腹も、彼女の話に呼び起こされた寂寥せきりょうや、彼女の言葉に溢れ出した歓喜でいっぱいになってしまって、今は気にならなかった。春を知らせるような夜風も生ぬるく、どこまでも心地がいい。そうはならないと判っていても、この時間に永遠に続けばいいと思ってしまう。
「あの言葉を、君が私に聞かないと。約束してほしいんだ」
彼女の瞳の奥に、光が揺れる。
私は、こく、と小さく頷いた。
彼女のために。私のために。そして私達の未来ために。
私は沈黙を選び続けることを誓った。選ばない自信が、私自身の中にあった。彼女から〈吸血鬼〉の話を聞いたうえで、なおさら禁句を口にしようなどとは思えなかった。
「よかった」と彼女は言った。
「それなら、私から言おう。君が〈吸血鬼〉なのか?」
──どくん。
「…………え?」
唐突な問いに、心臓が強く脈打つ。
──どくん。
「どうして………」
──どくんどくんどくん。
心臓が、強く、強く、強く、鼓動し始める。
「鵜月」
どうして、と言おうとした一拍に視界がぼやけて、音にならない。
彼女は。
笑っていた。
「嘘を吐いてごめんね。でも、君が私を思う気持ちが本物かどうか知りたかったんだ」
嘘?
彼女が紡いだ音の意味を理解するのに、時間がかかった。
「でも、これで知ることができた。君は、本当に私のことを好きでいてくれたんだね。だから私達の身を案じて、言わないことを約束してくれた」
まばたきをするたびに輪郭から焦点がずれて、視界が定まらない。ぐらぐらと揺れる。衝動が内臓を押しのけて、今にも叫びだしてしまいそうだった。
「……雛森」
彼女と、目が合った。
警鐘を鳴らす脳に反して、勝手に身体が動き始める。
血が欲しい。血が見たい。血を吸いたい。
ああ。彼女の身体に流れる、透き通る赤い血が、欲しい。
私は。
知らない間に、彼女を押し倒していた。
彼女の細い肩を掴む。思った以上の力が籠もって、制服に私の爪が食い込む。荒い息を抑えながら、その首筋に歯を立てようとしている。僅かに残る理性がそれ以上を止めようとして、「鵜月」と、嗚咽混じりの声が漏れ出た。端から見れば、異常に欲情しているようにも、見えるのかもしれない。私が自分を客観的に見られているうちに、どうか、止めてほしい、と思った。
……でも、判っている。
それは叶わない願いだ。
きっと、彼女は知らないふりをする。
「嬉しいよ。君から私を求めてくれるなんて」
だって、彼女が誘い込んだのだ。
彼女の白い柔肌を、私の口許に引き寄せる。ほのかに甘くて、やさしい香り。
「ようやくこれで、私は君のものだ」
滑らかな首筋に、噛み付いた。
「君も、私のものになる」
牙が肉を突き破る。鉄分と生臭い匂いが鼻腔を突く。
いやに食欲を刺激する。官能的で、蠱惑的な、紅。
本能に任せて、強く、強く、吸い付いた。
たとえ、一時ひとときの幸せだとしても。
いずれ、灰になってしまうとしても。
貴女を求めることができるなら。
──私は貴女と、朽ちていきたい。
彼女の瞳。そこに映る自分自身の姿を見て、運命に突き放されたことを知る。
鵜月彼方は、灰になる。私の身体も、灰になる。
その絶望の淵で、少女達の倫理を、心を、情動を、理解する。
ほかでもない貴女が、私のために苦しんでくれることが。
今はそれが、たまらなく嬉しかった。
そして、同時に悲しくなった。
ごめんなさい。
貴女と生きていけない私を、どうか許して。
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