崇拝ノ雨

「ねえ、迷子めいこ。ゲームしましょう」

「ゲーム?……急に、どうしたんですか?」

「いいじゃない。だってこの夕立でしょう?止むまで、わたくし達は帰れないもの。ずっと何もしないでいるのも退屈だし」


 そう言うと振り返って、彼女は私をまっすぐに見た。


 最上級生、蛇原へびはらアヲイ。そのカリスマ性で幾人もの女生徒に慕われている最上級生だ。純粋な敬愛を払われているというより、もはや信仰の対象に近い。彼女の思考を知り、追従したがる女生徒に囲まれながら歩いている姿は、学内では有名だった。かくいう私も、そのうちの一人だ。


 彼女は態わざとらしく眦まなじりを細めた。その奥に冷たく光る瞳。私のことを何でも見透かしているような視線に、少したじろいでしまう。


「そうですが。それにしたって、何をするんですか?」

「王様ゲーム」

「王様ゲーム?って、二人でするものでしたっけ」

「ええ。そうよ。二人でするもの。二人だけでする王様ゲーム。ご存じないかしら。じゃんけんで勝負をして、勝った方が王様。負けたほうが奴隷。何でもひとつ、負けたほうは勝ったほうの言うことを聞くのよ」

「……それって」

「いいでしょう?ほらほら、早く。用意はいい?」

「……はい」


 どうせ私が勝つことは無いだろうと展開の先を読んで、承諾することにした。はなから反対するつもりはなかったが彼女のことだ。相手の心理を読んで勝負に勝つことなど朝飯前。私の思考について殊更、判らないことはないだろう。


「じゃーんけーん、ぽん! あら、負けちゃった」

「……」


 彼女が負けるなんて思っていなかったので、やや拍子抜けして自分の出したグーを見る。


「じゃあ、私が奴隷で、迷子が王様ね。さあほら、なんでも命令していいのよ?」


 早速彼女は命令を強請ねだった。誘うような微笑み。直視できず、私は思わず視線を逸してしまう。……だって、彼女こそが私の主だ。そんな彼女に命令を下すなんて、分不相応にも程がある。


「何でもって……。下手なことが言えないので、……正直、困ります」

「ええそうね。戸惑っているのが伝わってくるわ。困った迷子もかわいいのよね」

「揶揄からかわないでください」


 それが見たくて、わざと負けたとでもいうのだろうか。

 命令を言い淀む私の顔を覗き込んで、彼女は続ける。その顔には、いつものように嘲笑的な笑みが浮かんでいた。


「ねえ、無いの?わたくしにしてほしいこと。……無いわけ、ないわよねえ。いつも考えているんでしょう?例えば、褒めてほしいとか、頭を撫でてほしいとか、キスをしてほしいとか」

「なっ!そんなこと」


 瞬時に、顔の火照りを感じた。

 図星だったからだ。


「あら。してほしくなかったの?別に隠さなくたっていいのよ。わたくしには迷子のこと、何でもお見通しなんだから」

「それは、……そうですが」と私は観念した。

「アヲイ様に隠し事なんか、ありませんし」

「ええ。隠したって無駄なの。だから言ってごらんなさい?私に、何をどうしてほしいの?」

「私は、アヲイ様に──…」


 ふと脳裏によぎったのは、この学院に蔓延はびこる、吸血鬼の話だった。

 常日頃の様子から、彼女が例の〈吸血鬼〉ではないか、と陰で囁く生徒達も少なくない。毅然とした態度で常に二、三人を連れ歩き、校内を闊歩する姿を見れば、そう思っても無理はないだろうと思う。果たしてそれが事実なのかどうか、私に知る術は無いけれど。


 噂によれば、吸血鬼は対象の女生徒を攫さらってしまうという。攫われた女生徒は、その身を吸血鬼に捧げなくてはならない。

 仮に、彼女が〈吸血鬼〉という話が本当だったなら。この身を捧げてもいいと、心から思っている。


「……アヲイ様に、一生お伴ともいたします」

「あら。それは命令ではなくってよ。迷子」

 見当違いな回答を発した私がおもしろかったのか、くすくすと笑い声を上げた。


「……けれど。一緒にいてほしいのは、わたくしもおんなじよ。わたくしも迷子が傍にいてくれないと、何もできないもの」

「そんな、ことは……」

「いいえ、迷子。入学式の日、校内で迷っていた貴女をわたくしが拾ったのは、ただの気紛れなんかじゃなくてよ。貴女を救ってあげたい。わたくしが、どうにかしてあげないといけない。そんな気持ちにさせられたのは、初めてのことだった。運命を感じたの」

「……運命、ですか」


 聞きなじみのない単語だった。正直、必然や運命論というものは信じていない。

 だが。

 彼女にそう言われるなら、それでもいいと思った。


「ええ、運命。貴女とわたくしが今、こうして同じ時間を過ごしているのも、あるべくしてあることなのよ」

「……そう、ですね。では、私は運命に、感謝しなくてはいけませんね」 

 彼女の言葉こそが、いつだって私にとって真実だった。


「安心なさい、迷子。わたくしは貴女を選び、貴女はわたくしに選ばれた。貴女があのとき迷っていたのは、必然だった。誰にも邪魔できない運命がわたくしたちの間にある、ということなのよ」


 そう言って彼女は手を伸ばし、私を抱き寄せた。切り揃えられた髪から漂う仄ほのかなジャスミンのような香りは、私の心に安寧をもたらした。彼女の胸に埋うずもれたまま、頭の上から降り注ぐ声を聴く。


「それで。ご命令は?」

「……。もう少し、このままでいてください」

「あらあら。迷子ったら、甘えん坊さんなのね」

「……いじわるしないでください」

「命令はひとつまでと言ったはずよ。残念ね」

「……」


 もし私が、ただ運命を待つ女生徒の一人でなかったとしたら、このまま貴女に運命を、捧げていたのに。


「ねえ、迷子。貴女が〈吸血鬼〉なら」

「……え?」

「貴女が〈吸血鬼〉なら、私を選んでくれていた?」

 彼女は、私の髪を梳きながらそう言った。

 ふと顔を上げると、彼女の瞳が私を見下ろしていた。

 慈愛に満ちた、冷たい眸め。そんなの、聞かれるまでもないことだった。


「はい。アヲイ様」

「……嬉しい。私もよ」

「……っ」


 その言葉に、心臓が跳ねた。

 同時に、湧き上がる、欲念。


 貴女のことだから、きっと心にもないことは言わない。

 それがどうしようもなく、苦しかった。

 言ってはいけない。言ってしまったら。


 貴女がくれた温もりも、肯定も、信愛も、すべて手放すことになる。

 だけど、でも。この愛執は、きっと貴女を想う気持ちと同義だ。


 貴女を自分のものにできるなら。

 貴女の言う通り、誰にも邪魔できない運命が私達の間にあるというなら。

 私は手段を選ばない。


「アヲイ様」

「なあに?」


?」


 それを聞いた彼女は目を見開き、それから常のように、やわらかな微笑を浮かべた。


「……迷子。貴女って子は、本当に。……いえ、何でもないわ。特別だものね。……迷子の運命になれるだなんて、わたくしは幸せ者だわ」


 私の頬に、一筋の涙が伝う。

 溢れ出すこの感情に、遅れて理解が辿り着く。


 ……ああ。

 アヲイ様。貴女に縋る私をどうか、お許しください。

 貴女と運命を伴ともにできるというなら、私は。


 例えこの身が朽ちていこうと、この上ない喜びを感じるのです。

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