寵愛ノ時
彼女と再び出逢ったのは、人気ひとけのない放課後の中庭でした。突然の再会でしたから、お昼休みはありがとうございました、とか、助かりました、とか、とにかく感謝の気持ちを伝えるために精一杯でした。そんな私の様子がおかしかったのか、彼女は「ふふ」と軽く笑いました。
「どういたしまして。そこまで感謝されたら、逆に恐縮しちゃうな。……でも、だからこそなのかもしれないね。きみを愛しく思う彼女たちの気持ちがわかる気がする」
それはどこまでも優しく響くような声でした。
「……きみ、さっきの子だよね。そういえば名前を聞いていなかった。ぼくは……」
「
「あっ。はは、なんだ、知られていたか」
悠先輩は照れたように眉を下げて笑いました。
「はい。一年生の間でも、先輩の話はよく耳にしますから」
「それは照れるな。まあ、いい噂であるなら、ぼくは気にしないよ……それで、きみの名前は」
「あっ、すみません。先輩の話ばっかり」
私は慌てて口元を両手で抑えましたが、先輩は「いいんだ」と微笑んでくれました。
「私、
「紗代か。可愛い名前だね。うん、よろしく。紗代」
そう言うと悠先輩は、私の頭を優しく撫でました。
その手はあたたかくて、柔らかくて。
とっても、しあわせな気持ちになりました。
***
初めての出会いは、その日のお昼休みでした。中庭で、調理部の先輩と二人でお昼を食べていたときのことです。私たちがおしゃべりをしていると、一人の先輩が通りかかって、先輩同士でおしゃべりを始めました。最初はただ仲良く話をしているだけだと思ったんですが、何故だかどんどんエスカレートしていって、激しい口論に発展していったんです。
どうしようと思った瞬間でした。向こうから、短髪のかっこいい人が近付いてきて、間に入ってくれたんです。
「こらこら、きみたち。彼女が困っているじゃないか。取り合うのは構わないが、大切な人を困らせるのはいただけないな」
その言葉で、二人ともはっとしたようでした。
でも、紗代には判りました。先輩方の言い争いが収まったのは、誰かに注意されたからではなくて。悠先輩の登場によってもたらされたものだと。
彼女は、この学院では有名でした。入学して間もない私達一年生の間でも「王子様」として、よく噂になっていたからです。彼女は紗代と視線を合わせるように屈むと、悪戯いたずらっぽい笑顔でこう囁きました。
「本当なら、ぼくが攫さらっていってあげてもいいんだけれどね」
そのとき心臓が、ぽん、と高く跳ねた音を。
紗代は、今でも覚えています。
***
「……、紗代?どうしたんだ、ぼーっとして」
「あ……。すみません。確か先輩と初めて会ったときも、こんなふうに撫でられたなって、思い出していました」
あの日以降、紗代を挟んで言い争う先輩達の間に、悠先輩が入って場を収めてくれることが増えました。そして、ある時。「行こう。誰かに見つかってしまう前に」そう言って紗代を連れ出してくれる悠先輩の姿は、まるで助けに来てくれた王子様のように見えました。
それから人目をかい潜るように、私達は逢うようになりました。
中庭の裏。木陰になった芝生の上で、悠先輩の膝に頭を乗せて、紗代はうとうととしていました。きれいな顔。目が合った彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま、紗代の頭を優しく撫でています。
「そんな前のこと、覚えてるのかい?……まあ、ぼくも忘れたわけじゃないけれど」
悠先輩は、眉を下げて笑いました。
「……まったく。ぼくといるのに、他の人のことを考えているんじゃないかって思ったよ」
その言葉に、紗代は目を丸くしました。それって。
「ヤキモチ、……ですか?」
「いいかい、お姫様」と悠先輩は言いました。
「きみはトラブルメーカーだ。可愛らしいあまりに、きみを大切に想う女生徒は大勢いる。……だから、あまり心配させてはいけないよ。……ぼくだけのものにしたくなってしまうから」
紗代は、それを聴いて。
胸の奥がきゅう、となりました。
「紗代は、悠先輩となら、いいです」
「……紗代?」
さわさわ、と木々が風に揺れる音が、心地よくて。
紗代の頭は、ちょっとだけふわふわと、夢心地のようで。
だから、聞いたことのある噂が、口から滑り出てしまったんだと思います。
「もしも先輩が吸血鬼でも。紗代は、悠先輩に連れ去られたいです」
それを聞いた悠先輩の瞳が、大きく見開かれました。
「っ……」
「悠先輩?」
悠先輩の顔が一瞬曇ったように見えました。けれど、すぐに悠先輩は緩やかな笑みを浮かべました。
「それは、ぼくも同じだよ。なあ紗代」
「はい」
「ぼくに聞いてくれないか。あの言葉を」
「……、いいんですか?」
「ああ」
その顔は、どこまでも穏やかでした。
紗代は、唇を開いて、そっとその言葉を口にします。
「……悠先輩。貴女は〈吸血鬼〉なんですか?」
「ああ、そうだ。紗代。……きみが望むなら、ぼくはきみを、どこまでも攫っていってあげよう」
近寄る悠先輩の顔に、自然と目蓋まぶたが降りていきます。
彼女は私に、そっと口づけをしてくれました。
それはまるで、おとぎの国の王子様の、誓いのキスのようでした。
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