第2話 金本紗江

 昨日は老人から娘の葵が妊娠したと聞いて家に帰ったところ、妻から泣きながら妊娠が本当なんだと告げられた。妻は私が知るはずもないと思って話したが、私は妻から話を聞く1時間前に娘の妊娠を知っていたからなのか、それほど動揺はしなかった。妻は落ち着いている修一に対して少し怪訝そうな顔をしていたが、娘の妊娠という大事に混乱してそれどころではなかった。

 娘の妊娠は、妻が部屋の掃除をしているときにゴミ箱に捨てられている妊娠検査薬の空き箱を見つけ、問い詰めたところ発覚したとのことだ。ただ、娘も動揺していて、相手が誰なのかとか肝心な話は昨日は出来なかったらしい。


 老人の言ったことが2度まで現実になった。1度目は寿司屋のカップル、2度目は娘の妊娠。本当にあの老人は未来の私なのかもしれない、絶対にありえないことだけれど、2度も証明されたからにはいささか信じる気持ちに近づいてる自分がいた。今日の昼に女性から話しかけられるのも本当だろうと思っていた。


 昼食を取った後にいつものように喫茶店に行く。この喫茶店のテラス席は喫煙が可能とのこともあり、普段の昼時は近く席は埋まっているのだが、この日に限っては客は修一だけだった。席に着きコーヒーを注文して煙草に火をつけると、年齢は30歳前後と思われる、スタイルの良い落ち着いたグリーンのパンツスーツを着た女性が修一の席の隣に座ってきた。修一は一番端の席に座ったので、他に空いている席はたくさんあるのだが、女性が座ったのは修一の席の隣だ。この女性が老人の言っていた人ではないかと思えた。女性はコーヒーを注文して、ハンドバックから煙草を取り出した。新品の封のされた煙草だ。


「すみませんが、たばこを1本いただけますか。」


女性は封のされた煙草を開けることもなく修一に聞いてきた。修一は老人の言っていた女性だと確信して老人に言われた通りの返答をした。


「3本差し上げます。」


「なぜ、3本なのですか。」


「過去・現在・未来です。」


そう答えると、今までは隣の席で軽く顔を向けて話しかけていたのに、椅子を座り直し体の大半を修一に向けてくる。そこでこの女性の顔をしっかり見ることができた。モデルのように目鼻立ちが整っており、少し栗毛で軽くパーマがかかったセミロングの髪をしていた。首元には小さめのダイヤのイヤリングをしていて、色白な肌に際立っている。女性は修一がそう答えると軽く微笑み立ち上がった。注文したコーヒーには口もつけていない。女性はレジで精算をし、駅の方に歩いて行ってしまった。修一は女性が見えなくなるまで目で追っていた。


 今日は金曜日だが、普段通り残業もなく定時退社だ。修一の職場はS市駅から徒歩5分の距離にある。金曜日だけ在来線ではなく、新幹線を利用するようにしていた。S市からM市までは、在来線で1時間、新幹線で30分になる。特に早く帰る必要はないが、在来線の1時間は疲れるので、自分への訳の分からないご褒美と考えていた。金額的にも在来線の定期があるため、特急券の購入だけで済むので1,000円位だ。毎日では大変だが、週1回、月に4~5回では財布にも負担はかからない。

 駅の券売機で特急券のみ購入し、駅の改札から新幹線のホームに向かう。金曜日の夕方のため、駅は少し混んでいた。14号車付近まで歩き、新幹線に乗車する。新幹線に入ると乗車率は7割くらいか。ギリギリのタイミングで2列席の窓際に座ることが出来た。新幹線が出発し、5分くらいたった後に隣に人が座っていた。携帯を見ていて隣に座ってきたのが女性だとわかるくらいだった。


「三上さん。」


隣の乗客から突然声をかけられ驚いた。席の隣を見ると昼の喫茶店で出会ったグリーンのパンツスーツの女性だ。


「あ、あの時の。なぜあなたがここに。」


「三上さん、私は金本紗江と申します。突然ですが、あなたにお伝えしたいことがあります。突然申し訳ありませんが、東京までご一緒していただいてもよろしいでしょうか。」


急に非常識なことをこの女性は言ってきた。後10分で新幹線はM市駅に着く。だが、この女性、紗江との会話はあの例の老人と関わっている。あの老人に言われた通りの行動をして今の状況だ。普通に考えれば断るのだが、流れに乗った方が良いとも思う。


「断ったらどうなるのですか。」


「3列後ろのD席と2列前のC席の男性を見てください」


紗江がそういうと2列前の男が立ち上がり気味になり修一に顔も向け会釈をした。角刈りの眼鏡をかけた大柄の男だ。次に立ち上がり後ろを振り向いたときに3列後ろのD席の男と目が合った。この男は白髪で目つきが異様に鋭く前の男同様大柄だ。


「あの男性2人は私の同僚です。断られたら、少し手荒になってしまいます。それか、私が今ここで大声を出して、あなたに体を触られたと騒いでもいいです。」


そう金本紗江が答えたとき、修一は断る手段はないのだと思った。


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