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@yutokuntea

第1話 老人との出会い

 三上修一は食品メーカーに勤める勤続20年の平凡なサラリーマンだ。以前は本社の忙しい部署で毎日残業のある生活をしてきたが、昨年地方に異動になり、業務量の少ない部署で仕事をすることになったため、定時に出退社する生活を送っていた。

 

 修一の職場はS市にあり、住んでいるM市から在来線で約1時間の距離だ。毎朝決まった時間の電車で通勤している。不思議なもので、毎日同じ時間の電車に乗ると、号車も知らずに決まり、毎日同じ人を見るようになる。修一の乗る電車は先頭から3車両目と決まっていた。

 

 この日の朝もいつもの電車に乗るため、電車が到着するのをホームで待っていた。周りの顔ぶれもここ最近変わりはなかったが、今朝は初めて見る老人が修一の前に並んでいた。老人は高級そうなグレーのスーツに紺色の帽子を被っている。その時は朝の通勤時間帯にこんな洋装の人は珍しいな、くらいしか思わなかったが、昼食後にいつも行く喫茶店でも朝の老人を見かけた。修一は煙草を吸うため、喫煙可能なテラスでコーヒーを飲む。その老人はテラスに座っていた。喫煙者が多いテラスだが、その老人は煙草を吸っていない。その日は偶然もあるものだとしか思っていなかった。


 しかし、この老人と、朝の電車や昼食後の喫茶店でも見かける日が1週間続いた。修一は失礼かとも思ったが、思い切って老人に話しかけてみることにした。

「最近、朝の電車やこの喫茶店でお会いしますが、偶然が重なりますね。」

老人は修一の隣の席でコーヒーを飲んでいた。修一の問いかけに少し間をおいて、答える。


「偶然ではありませんよ。」


「・・・」


修一は老人の返した言葉に最初理解ができなかった。


「偶然ではないとおっしゃいましたか。どのような意味ですか。」


「言葉通りです。偶然ではありません。」


少し変わった人なのかもしれない。あまり関わり合いになるのは憚れるかもしれないが、修一は続けた。


「偶然ではないとは、わざとというか、あなたはあえて朝の電車もこの喫茶店も私に会いに来ていると言うのですか。何のためにこんなことをするのですか。申し訳ないが気分が良くないので止めてもらえますか。」


老人は修一がそう言い終わると立ち上がり、レジに向かい際、申し訳なさそうに言った。


「気分を害したのならお詫びします。ただ、あなたにお話があります。時間を作っていただくことはできますか。」

やはり少しおかしい人なのだ。


「おかしなことを言うのはは止めてください。私はあなたのことを何も知らない。知らない人にそんなことを言われても、はいそうですかと聞くわけにはいきません。」


「そうですか。ただ、あなたは聞かなくてはならない。ではまたお会いしましょう。」

老人はそう言い残し精算を済ませどこかに行ってしまった。


 前回老人と会ってから1週間は、朝の電車も昼食後の喫茶店でも会うことがなかった。老人に止めてくれと言ったので、聞き入れてくれたのかとその時は思った。

 いつもの時間に退社をし、いつもの電車でM市に着いた。この日は一杯飲んでいきたい気分で、駅の側にある寿司屋に入り少し飲んでいくことにした。寿司屋のカウンター席に座り、ビールと酒のつまみを注文したときに、修一の隣に客が座ってきた。何気なしに隣の客を見ると、その客は例の老人だった。


「何ですか。偶然ですか。」

修一は少し大きな声で老人に向かって言った。


「三上さん。急に申し訳ありません。少し話を聞いてください。」


「えっ。なぜ私の名前をご存じなのですか。」


「話を聞いていただけますか。

修一はなぜ自分の名前を知っているのか気になり、少し時間をおいて、答えた。


「わかりました。話を聞きましょう。」


「ありがとうございます。それではまず乾杯から。

老人もビールを注文したようで、修一とグラスを重ねた。


「まず、信じられないかもしれませんが、私は30年後のあなたです。私は未来からあなたに会いに来ました。」


「はー?あなたは気は確かですか。未来からなど人は来ることはできませんし、いい加減なことを言うなら、話を聞きませんよ。」


「そうですよね。信じてもらえませんよね。ですので、今からここで起こることをあなたにお話しします。それで信じてもらえませんか。」


「馬鹿なことを言っていますね。先ほども言いました通り、いい加減なことを言うのなら」 老人は修一の言葉を遮り、話し出した。


「後ろの席にカップルがいますよね。これからすぐにあのカップルを目掛けてあの入り口から女性が飛び込んできます。そして大声で怒鳴りだします。『何を考えているんだ。浮気をするのは何度目だ』とね。そして、数十枚の一万円札を男に向けて投げつけます。」


老人が話し終えると、修一たちの座っているカウンターの後ろのドアから若い女性が入ってきて、老人の指さしたカップルの席に向かって行った。カップルの男性の方が立ち上がり、入ってきた女性に何か説明している。最初はあまり声が聞こえなかったが、だんだん大きな声になっていった。


「あなたの浮気は何度目なの。これで終わりよ。」


そう言って、数十枚の一万円札を男の顔めがけて投げつけて、そのままドアから出て行ってしまった。カウンターには修一と老人だけだったが、カップルのテーブル席の近くには何組か他の客もいて、従業員も2~3名いた。みんな突然なことに驚き、そのカップルに目が釘付けになっていた。男は1万円札を拾ってカバンにしまい、前に座っている女性を促しそそくさと精算を済ませ二人で店を出て行ってしまった。


「これで信じてくれましたか。」


「なぜ、分かったのですか。」


「昔のことですが、かなり印象的なことで覚えています。だけど、他のことは何もわかりません。何せ30年前のことですから。それでは、本題になりますが、明日の昼食後のいつもの喫茶店で、あなたはある女性に会います。今から私が言うことを覚えていただき、その通りの返答をしてください。」


修一は先ほどのカップルのやり取りに驚愕してしまい、老人の言っていることがすんなり頭に入ってこないで少し放心状態だった。老人は続ける。


「女性は三上さんに向かい、『煙草をいただけますか』と話しかけてきます。そうしたら『3本差し上げます』と答えてください。女性は続けて『なぜ3本ですか』と聞いてきます。あなたは『過去・現在・未来です。』と答えてください。いいですか、3本差し上げる、過去・現在・未来です。分かりましたか。」


「どうして、そんな返答をしなければならないのですか。意味を教えてください。」


「それは今はお話しできません。後々お話しします。それでは私はお暇しますが、最後に今日ご自宅に帰ったら、奥様から嬉しい報告がありますよ。娘の葵さんが妊娠したとのことです。」


「馬鹿なことを言わないでください。娘はまだ大学生ですよ。」


「最初は驚きショックを受けるでしょうが、これはとても素晴らしいことです。初孫です。世間からしたら少し早いかもしれませんが、人生が変わりますよ。保証します。では、今日は話を聞いていただいたので、この店は私がご馳走します。またお会いしましょう。」


修一は老人の言っていることが理解できず、カウンター越しの一点を見つめている。

老人は1万円札をテーブルに置き、店を出て行ってしまった。修一は老人が去った後、ビールをもう一杯と日本酒を1本飲んで店を出た。会計は老人が置いていった1万円でお釣りが返ってきた。


 店を出て家までは歩いて20分くらいだが、今日はタクシーを使うことにした。家に帰る前に妻に連絡しようかとも思ったが、老人の言葉もあるので、怖くて電話できなかった。老人は未来の自分と言っていた。あり得ないが、もし本当だったら、葵が妊娠していることになる。葵は大学2年生で今年二十歳で子供ができるのは早すぎる。まだ結婚もしていないではないか。そんなことを考えていると自宅に着いた。家には電気が付いていなかった。妻は留守だと聞いた記憶はない。鍵を使い家に入り、リビングに入った。家の中は暗かったが、誰かがすすり泣く声が聞こえる。妻の声だ。リビングの明かりをつけ、ソファーに座って顔を覆って泣いている妻が明かりをつけると私に言った。


「葵が妊娠したわ。」


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