40  蒸し風呂攻め

 花火は、いつの間にか終わっていたようだ。

 夜の丘でタヴィスは、宝物のようにオユンを抱きしめていた。


「そこまでだ」

 側から冷えた声がした。

「仮にも、オユンは既婚の婦人なのだ。弟といえど、その抱擁は不適切だ」


 シャル・ホルスその人が、暗がりの中に立っていた。青白い炎を身体からだから発光している。錯覚ではない。


「シャル」

 あわてて、オユンはタヴィスの身体からだを両手で押し返した。


「タヴィス・ツァガントルーとやら。おまえ、オユンと何かあったのか?」

 シャルからは、つめたい風が吹いている。


「い……」

タビィスは、(いえ、何も)と答えようとしたが、何かありましたと答えたことになるのではと、余計な気持ちが口ごもらせた。


「何があった?」

 抜き身の剣のようなシャルの眼光に、タヴィスはふるえた。


(まずい。こいつは魔人だ。オレのやり方は通用しない)


「もしかして、オユンの恋人だったのか。おまえ」


「シャル! ちがう!」

 オユンは叫んでいた。

「ちがうの! 覚えてないけど! ちがうったら、ちがう!」

 見た目30代だが中身40代の女。そのうえ、やっかいなことに心は10代の頃に戻っていた。


「話は城で聞かせてもらう」

 シャルの言葉と、いきなりの冷気がタヴィスを捕らえた。息ができない。

 白光が炸裂し、タヴィスは気を失うという体験を生まれてはじめてした。





 そして、タヴィスの意識が戻ったとき、身体からだの下に石の床の感触を感じた。

 牢獄にぶち込まれたのだと思った。上着は、はがされていて白シャツとズボンだけにされ、ブーツも脱がされて裸足はだしにされていた。

 転がったまま、人の気配に見上げると、そこに腰布1枚のシャル・ホルスがいた。


「気がついたか」

 シャル・ホルスは、その身体からだも美麗だった。


 上半身を起こしたタヴィスは汗ばんでいる。

 シャルはタビィスの身体を覆うように近づくと、手を伸ばした。その指先は、つめたく、タビィスの心臓の辺りをなぞった。

 かと思うと、シャルは両の手でタビィスの両のほおを包み、タビィスのくちびるを、いきなり奪った。


 ちゅう、う。

 その見た目とは裏腹な子供っぽい、キス。

 そして、乱暴に突き放した。

 手は放していない。シャルが手を放していれば、タビィスの後頭部は石の床にあたって、大層なダメージになったはずだ。


 シャル・ホルスは勝ち誇った顔をしていた。

「これで、おまえのキスは上書きされたからな! もし、後生大事にオユンのキスをしまっておいたとしても! わたしのキスで上書きされたからな!」


「……」

 タビィスは事態に頭がついていかなかった。

 まず、ここはどこなんだよ。


「アルジ。奥方のオトウトさまが困ってるヨ」

 快活な声がして、ほの白い少年が石段に立っていた。

 

てはいけないものだ)

 タビィスは息を飲む。


 タビィスも多少、える。

 幼い頃、オユンとふたり、おびえたものだ。


「アルジ。奥方が怒ってるヨ。オトウトさまをどうするんだって」


「ちょっと話がしたかっただけだ」

 シャル・ホルスは段になっている石段に腰かけた。

 タビィスが横たわっていたのも、その石段だ。


「そう。じゃ、お風呂のあとに夜食でいい? 家令さんが聞いてくれって」

「そうしよう」

「オトウトさんはさ」

 ここで、ほの白い少年がタビィスに近づいてきた。

 タビィスは情けないが、びびった。

(最近はなくなっていたのに)


「その服、脱ごっか。汗、かいたでショ。蒸し風呂だシ」


 どうやら、タヴィスが石の牢獄と思った場所は、シャル・ホルスの城の蒸し風呂だ。

 そういえば、針葉樹のすっきりとした香りがする。

 ほの白い少年にうながされて、のろのろとタヴィスは起こした半身でシャツを脱いだ。汗で張り付いた衣が身体からだに張り付いて、脱ぎにくかった。


「下もだヨ」

 あきらかにうれしそうに、ほの白い少年の声が跳ねた。

 腰を石の床に落としてズボンを脱ごうとするタビィスに手を貸して、ずるんと下着ごと脱がした。

 「んフ」、ほの白い少年は、仔犬を愛でるような目でタビィスを見ている。


(おそらく、かなり強い精霊)

 タビィスは、さらにふるえた。


 さらに少年は、シャル・ホルスを振り返って、「ノイ、この人、気に入っちゃったー。もらっていーイ?」と、無邪気にほほえむではないか。


「それこそオユンに怒られるだろ。わたしはオユンの弟と話がしたかっただけだ。オユンと、どんなことをのか」

 腰布だけのシャル・ホルスは眉間にしわを寄せて腕組みし、左足に重心を置き、右足を横にすべらせ、彫像もかくやの立ち姿だ。


「アルジ、奥方の昔のオトコのこと、気になるんダー。嫉妬シットしてるんダー。過去にいても不毛じゃーン」


「……この、もやもやした気持ちが嫉妬なのか」

 今、気がついたようにシャル・ホルスの碧眼へきがんが見開かれた。


「ウン。そうだヨ」

「こいつがオユンと何をいたしていたかと想像すると、腹立ちまぎれに3回ぐらい、いけそうなんだ」

「アルジ、奥方に嫌われないぐらいに、しときなヨ」

「オユンのところに行く」

「ウン。わかった」


「それでは、オユンの弟。蒸し風呂を堪能するがいい!」

 ふぁさぁ! とシャル・ホルスは腰布を落とすと、蒸し風呂の石階段を一段抜きで駆け上がって行った。


「あれが、シャル・ホルス……」

 タビィスは、説明しがたい気持ちで見送った。いろいろ、思っていたのとちがう感じがする。


「ハイ」

 どこから取り出したのか、よく冷えた大ぶりな杯の水を少年が差し出してきた。

「蒸し風呂には水分補給だヨ」

 タヴィスが杯を受け取ると、 

「飲んだら、これで、たたいてあげるネ」

 いつの間にか、その手には、よくわからない枝の束が握られていた。


「なんだ、それは……」

 40手前のおっさんが情けないが、タヴィスはおびえた。精霊とは本当に底が知れないのだ。


「この枝は白樺しらかば。束ねたものはヴィヒタというヨ。これで肌を叩くとねー。発汗効果に血行促進に、んフ」


 んフが、こわい。

 タビィスは、杯の水をゴクンと飲み干した。

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