39 花火
「花火を観る丘というのは、どっちかな」
タヴィスが、ちょうど通りかかった子供の群れの年長の少年に聞いたら、「あっちだよ」と、全員が指さして教えてくれた。
丘は灯が点々と灯っているから、すぐにわかった。
タヴィスの背後で、すぅと白銀の玉が空高くあがった。
きらめくような振動音がして、白銀の花が空に咲いた。
次々に白銀の玉は打ち上がり、さまざまな花となって夜空を彩っていく。
咲いて散っていく。花びらは、きらきらとなって丘にも降って来た。手のひらに受けても溶けない。冷たい。
みな、よろこんで、氷の花を
酔い覚ましには、ちょうどよい。
丘への路は明るく照らしてあった、難なく登れる。
女たちの集団も、すぐにわかった。足元に灯は置いて、みな花火をみつめている。
その中で、オユンだけは花火を観ていなかった。
誰かがやってくるのをわかっているように、丘への路を、ちらちらと気にしていたのだ。
だから、タヴィスにも、すぐに気がついた。
まわりの女たちは花火に夢中だ。そっと、オユンが離れても、小用か何かとしか思わないだろう。
オユンは花火見物の人々から離れると、ドレスの裾をからげ貴婦人にあらざる速さで、丘のもっと上に向かって駆けた。
「……しばらく、こういう仕事をしていないものを走らすなよ」
追いかけてきたタヴィスも息が切れていた。
(わたしだってですよ)
言いたいところを、ぐっとオユンはこらえた。記憶喪失設定は生かしておきたい。
「記憶喪失と聞いたけど、自分に都合の悪いことを忘れたのだと受け取っていいかな。〈あとで話がある〉という、ツァガントルー家、初期養子メンバーの
左の手で髪をかきあげる仕草のことだ。
オユンは胸元で両手で抑えるという〈了承した〉という仕草を、とっさに返してしまっていた。
(あれは失敗したわ)
オユンは、くちびるをかんだ。
タヴィスは目の前のオユンの存在をたしかめていた。まわりに灯はない。ただ、息づかいを感じる。
昔は、およそ頭のあがらない姉だった。今は
「忘れただろうから、一度、言っておく。わたしは、あなたと恋仲だった」
ぴくり、とオユンは反応してしまった。タヴィスは、オユンの一挙手一投足を見ている。
「いや、ちがうな。わたしの一方的な恋心だった。フラれたんだ。わたしが」
(うそ! フラれたのは!)
オユンは声こそあげなかったが、
「昔は、この手の誘導は君の得意とするところだった。弟たちは、かなわなかったものだ」
ひとしきり笑うと、タヴィスは真顔になった。
「どんなに探したと思う? さすがに5年たったころには、あきらめモードが漂った。今、思い返せばツァガントルー父さんが、率先して『オユンの冥福を祈ろう』とか言ってた。あれ、知ってたんだな。君が生きてるって」
「オトウトたちのオユン捜索隊は、年々、メンバーが減っていってね。ついに、わたしもアルワンにオユンの財布を託して、君の冥福を祈ることにした。しかし、アルワンが10年めにして君を探し出すとはね。ほめてやってくれ」
(勉強から、いつも逃げていたアルワンが辛抱強い子になったものね)
オユンも感慨深かった。
「当時、わたしは、君が砂漠でいなくなった日の風や星の位置をしらべた。随行メンバーの話を聞いた。さすがに
ぼん、と空を鳴らす花火の音がした。
「それで、こっちに来ながらも考えてたんだ。ずっと、もやもやしていたものが晴れた感覚だよ。君をさらっていったのは、氷結の魔道師、君の美貌の夫、シャル・ホルスじゃないかって」
そうだった。オユンは思い出していた。タヴィスは、オユンの弟の誰よりも洞察力があった。
「彼なら、飛べるし、
空の花火が一瞬、ふたりを浮かびあがらせる。
「
(それは10年前に、わたしも思った)
オユンはタヴィスには、いっさいのごまかしがきかないと観念した。そのうえで、記憶喪失設定も死亡説も維持する。
「わたしは、すごく怒っているんだ。オユン、君が人さらいなんかにのぼせあがっていることに」
「——わたしの覚えているタヴィスは、もっと冷静な人だった」
オユンは記憶喪失設定を少し、ゆるめた。
「早速、思い出したか」たたみかけられる。
「少しだけ。断片的に」そこは死守する。
「わたしのことは、シャル・ホルスとツァガントルー伯とで約束を交わしたと聞いているわ。わたしが生きているとわかったら、ツァガントルー伯の方が気まずい立場なんじゃないかしら」
「あの人なら『生きていたとは!』とか言って号泣して、ごまかすさ」
オユンは、その様子を簡単に想像できたので笑いそうになってしまった。
(いけない、いけない)
くちびるを引きしめる。
「オユン、姉さん」
タヴィスは、オユンと呼ぶべきか、姉さんと呼ぶべきか迷いはじめていた。
何せ、今、自分は四十間近の男、目の前の女は見た目だけは二十台だ。
ずっと心にしまってきたままの姿だ。
(幻のようだ)
「まったく変わっていないように見える。あなたは」
(タヴィスは、大人になったわね)
オユンは言いそうになって、またも、くちびるを引きしめる。
ふたりは黙り込んだ。
花火は続いている。
時折、互いの姿が、あかるく照らされる。
「——たしかめさせてください。あなたが生きていることを」
先に耐えられなくなったのは、タヴィスだった。オユンに近づいくと、その手をつかみ、引き寄せた。
一瞬、オユンは、その手をかわしかけて、(ごく普通の一般女性は、それはできない)とためらったから、まんまとタヴィスに抱きしめられることになってしまった。
しかし、タヴィスの抱擁は決して無理強いするものではなかった。
ただ、大切にオユンの
思い出すのには十分だった。
あの日の。どこか遠慮がちに尻切れトンボに、でも甘く、ふたりが心の奥底にしまった日のことを。
(あのときのオレは情けなかったな)
タヴィスは、この10年も、ひとり静かな夜には思い出していた。
王家の子女の家庭教師になるほどの優秀な姉。
後添えに望んでいる王の親族もいるらしいという噂。
対して、星空がきれいなだけの田舎の天文観測員の自分。
オユンが手に入れたもの、すべてを捨てて、自分を選んでくれと言えなかった。
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