38 初恋の相手ではある
(ダヴィスが来るなんて)
オユンは、ゆらいでいた。
もう一生、会うことはないと思っていた。
しかし人生とは、ままならぬものだ。
ゼスの館の中庭は居心地よく整えられている。女主人のハシの趣味なのだろう、自然であるかのようにみせかけて、その実、よく手入れされている。
館の中も実に居心地がよい。
「この
テラスの軒先に金属棒がいくつかさげてあり、風にゆれると星が流れるような音をたてた。
「いえいえ、トハですよ。靴職人のかたわら、そういうのを。まだ試作品だそうですけど」
「トハが! そんな才能もあったのね」
「魔除けにもなるそうで」
「魔除け。魔族の領地で」
ちょっと、オユンは吹き出した。
「奥方さまも
アルワンは、そんな女同士の会話に遠慮して、黙って側にいるに努めていた。
(なんか、いい感じだ。姉さんは村の人に好かれてる)
ツァガントルー領でも、そうだった。
領民も、ツァガントルー家の者も、オユンが大好きだった。
ツァガントルー伯も頼りにしていた。女子が、それも田舎から進学するなど、あまりないことだったが、ツァガントルー伯は熱心にオユンに
(それだけ優秀な人だったんだよな)
アルワンは女ふたりから離れて、手持無沙汰に庭を見ることにした。
小路が作ってあって、たどってみる。
(えーと)
そして、さっきから自分に向けられている視線に気がついていた。
振り向くと青年がいた。赤みがかった金髪に青い目。白シャツに黒いベストの簡素な服を着ている。召使いだろうか。
「こんにちは。いい天気だね」と、アルワンは声をかけた。基本、気さくな青年なのだ。
「——奥方さまの弟さま」
年の頃はアルワンと同じぐらいの青年の口が、ゆっくりと開いた。
「奥方さまを連れて帰ろうなんて考えるんじゃないぞ。呪うぞ」
呪うぞ、のところは口の形だけで。さすがに配慮したのか。
(……何)
見知らぬ他人から、いきなりの呪詛をくらったアルワンは絶句した。
「奥方さまは、この村の奥方さまなんだ。それも、シャル・ホルスさまの奥方さまなんだ」
青年は冴え冴えとした青い目で続けた。やさし気な面差しなのに。
「トハー、トハー」
差配人の奥方の声が、アルワンのうしろでした。
その声で青年は、アルワンから視線をはずして声のほうへ行ってしまった。
アルワンも、そっちについて行くと結局、ハシとオユンのいるところへ戻ってきた。
さっきの青年にオユンが、なにやら話しかけている。
青年のオユンに向ける視線は、さっき、アルワンに向けられたのとはちがった。きらきらと敬愛に輝いていた。
(ちぇー、あいつ。みっともねぇ。しっぽふってる犬みたいだ)
アルワン自身も、そういう感じなのだが自分のことは誰しも気がつかないものだ。
(姉さんは、この村のみんなに愛されているんだな)
そのことがアルワンは誇らしかったが、さびしくもあった。その笑顔、自分にだけ向けてもらえないものか。
(ぼくが愛したい)
その気持ちは、心の中でくすぶっている。
(どうしたら)
いつのまにか、タヴィスが側に来ていた。
「なぁ。アルワン、姉上をツァガントルー領に連れ帰ったら、この村の者にえらく恨まれそうだぞ」
「それは感じています」
青年だけではない。差配人の奥方という人も、オユンを見守るように、ほほえんでいる。
アルワンとタヴィスは、誰もいない木陰に入った。
「姉上も、この地になじんでいるようだ」
タヴィスは、10年という歳月がたっていることを感じた。
「姉上が、『帰りたい』と言わない限りは、せっかく根付きかけた苗木を引き抜くようなことになりかねない」
「でも! でも、ですよ」
アルワンは素直に納得するのがくやしかった。おそらく、姉は、この暮らしに充足している。
「しばらくは静観しよう。そもそも、父上が、この状態を受け入れている。何かお考えあってのことだろう?」
「いや、あの人は金のことしか考えていない」
「まぁ、領地運営って、そういうことではあるし。わたしは、早々、向かないなと離れたし」
「ぼくだって領地運営なんて向いていない」
アルワンは、ふてくされた。
タヴィスは馬をなだめるときと同じに、アルワンの肩をやさしくたたく。
「人間、何がしかやって生きていくもんだ。がんばってみろ。きょうだいが、いろいろな分野に散らばっているから、何か、ことが起こった時には助けてもらえるだろう?」
タヴィスは自分で言って、ことが起こった時というのが、なんだかわからなかったが。
そして、その夜はそのまま、タヴィスとアルワンは差配人館に逗留した。
秋祭りの夜である。花火を打ち上げるという。
「フフシルの花火は、
差配人のゼスが、アルワンとタヴィスをテラスに誘った。
軒下には、ぼんぼりが灯されている。
花火を待つ間につまめる気の利いた料理もテーブルに並んでいた。チーズ、生ハム、オリーブ、大きな二枚貝を開いたものを器にして干した海産物まである。海の遠い、この場所では最高の珍味だ。
「あと、丘のほうへ行きますなら、低い花火がよく見えます」
「御領主夫妻のお姿がみえないが」
アルワンはオユンが城へ帰ってしまったのではないかと、あせった。
「シャル・ホルスさまは花火の監督で村の広場に、奥方さまは、わが女連中と丘で花火見物でしょう」
ここでいう丘は崖に近い。
「お客さまは、こちらでおくつろぎください」
差配人館の召使いだろうか。さっきから、アルワンとタヴィスには青年がひとり、張り付いていた。アルワンに、「呪うぞ」と言った青年だ。
「どうぞ。発酵中の葡萄酒です。昼間と、また味がちがってきていますよ」
青年はデカンタを手にして、高台付きのガラスの杯ふたつに、なみなみと葡萄酒を注いで、アルワンとタヴィスにすすめてくる。
(たぶん酔わせたいんだな)タヴィスは青年の意図を推しはかった。
アルワンは調子よく杯を空にしながら、テラスの長椅子に腰かけている。このぶんでは酔いつぶれるのも間近だろう。
タヴィスは自制しながら、葡萄酒の甘味を愉しんだ。
案の定、アルワンは長椅子で舟をこぎ出した。
「悪いが、客室まで連れて行ってやってくれないか。こんなところで寝られて、風邪をひかれても困る」
タヴィスは青年に頼んだ。
「そうですね。ここの夜は
青年はうけおって、アルワンを少し起こした。肩を貸して館の中へ入っていった。
その、うしろ姿を見送ってすぐにタヴィスは差配人の館から、そっと抜け出した。
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