34  銀針の天体観測者

 次の休み、アルワンは騎馬で半日の行程を、兄、タヴィスの働く天体観測所を訪ねた。

 時刻は夕刻となっていた。


「ひさしぶりだね、アルワン」

 タヴィスは寝間着のような仕事着で迎えてくれた。

 時刻は夜になっていくから、違和感はない。どうやら、観測の間に仮寝をはさむらしい。観測者たちは綿紗めんしゃのような手触りの、くったりした衣を着ているのだった。

 銀針ムング・ズーでは、唯一の天体観測所だ。

 星の王と呼ばれた銀針ムング・ズーの王の時代に建設された。彼は星空を見あげるロマンチストであると同時に、現実主義者で政治力も備えていた。大国金杭アルタンガダスの保護下に入ることを躊躇せず、国を生き永らえさせた。なんなら、天体観測所を建設する資金は、金杭アルタンガダスに交渉して出させたのだ。

 観測者は、夜勤務と昼勤務のどちらかを選ぶ。

 独身のタヴィスは夜勤務の期待の中堅ホープだった。


「また、急に、なんだい」 

 行くという伝令を頼むのももどかしく、アルワンは来てしまった。タヴィスは迷惑がる素振りもなく、天体観測所の寮の一室にアルワンを招き入れた。


「姉さんをみつけたんだ」

 アルワンは、いきなり本題へと入っていった。働く兄の邪魔はしたくない。


「へぇ。どこにいたんだい」

 タヴィスは作り置きのスゥプとパンの簡単な食事を、ひとり用の丸テーブルに持ってきた。薬缶やかんから、錫製すずせいのマグカップふたつに、お茶をついだ。ひとつはアルワンのぶんだ。

 少しきしむ椅子をアルワンにすすめ、自分も真向いの椅子に座った。

 

「シャル・ホルスという魔導士のところにいた。兄さんの予見が、当たらずとも遠からずだった」


 十二日女じゅうにひめの隊が魔物に砂漠で襲われ、オユンは死んだとされたとき、タヴィスが生存の可能性を申し立てた。たとえ、そう願いたかっただけとしても。

「シャル・ホルス——。聞いたことがあるかもしれん」


 アルワンは一気に興奮気味になった。

「博学なタヴィス兄さんなら。万年氷をたたえた山脈のふもとの村を治めている魔導士なんだ。山で遭難しかかっていた姉さんを助けたって話だった。砂漠から、その言ってる山までの経緯はわからない。姉さんが記憶を失っていて——」


「記憶を? 当時、十二日女じゅうにひめの婚礼のために随行したメンバーも、記憶に障害が残っているようだったと聞いたよ。魔物に襲われては、人事不省じんじふせいにもなるだろう」

 当時、年かさのきょうだいは、伝手を使いまくってオユンの行方を探したのだ。


「姉さんひとりが殺されたなんて、有り得ないと思った」

「うん」タヴィスもそうだった。


「生きていると信じていた」

「うん。それか遺体の欠片かけらでも見つかればと願っていたね」願っていた。


「生きてた」

「うん。よかった」


「よかったけど、よくない」

「相談は、そのこと?」

 タヴィスは察しがいい。頼りにもなる。突っ走り気味になるアルワンをいつも、いなしてくれる。


「魔人の愛人にされてた」

 アルワンは苦々し気に吐き出した。

「愛人」

「シャル・ホルスという魔導士にだよ」

 アルワンは泣きそうになった。


「ああー、なるほど。しかし、おまえの話だと、記憶喪失の姉さんを保護して、10年面倒見てくれていたんだろう。いい人なんじゃ——」

「魔人だよ!」アルワンはタヴィスの話し終るのも待てず叫んだ。「ひいじいちゃんの代には、天敵だったやつらだよ!」 


 アルワンの言うところの、ひいじいちゃんとは、ツァガントルー領の一般老人を指している。


「まぁ。落ち着けよ。じいちゃん子。オユン姉さんには会えたのかい」

「会った」

「どんな様子だった?」

十二日女じゅうにひめの婚礼行列で輿こしから手を振ってくれた、あのときのままだった」

「んーと? オユン姉さんてオレと、ふたつちがいなわけだけど?」

 タヴィスは暗算した。自分ももうすぐその年だから言いたくないが、おばさんの年だ。都市部では平均寿命が延びているが、地域によっては老齢ともいう。


「それがっ! ものすごく若々しかったんだよっ! 元々きれいだったけどっ、いっそうツヤツヤしたっていうかっ!」


 アルワンがつばを飛ばして話すのを、「それ、シャル・ホルスさまっていう魔人に愛されてるってことじゃ?」と、タヴィスは冷静にツッコんだ。


「いやっ。だまされてるんだ! 父上をも丸め込んだ男だぞっ」

「父上も?」

 ツァガントルー父さんが、かかわってくるとややこしいんだよな、タヴィスはアルワンの言葉を待つ。


「父上、どうやら、わりと早い段階で姉さんが生きていることを知っていたんじゃないかと思われる節があって。ぼくが領地経営に関わってから気づいたんだけど、金貨30枚だったり、希少な鉱石だったり、とにかくS・Hってところからの収入が毎年あって。それが、シャル・ホルスからの時候の挨拶代わりだって、父上を酔いつぶして聞き出した」

「やるねぇ」

 タヴィスは弟のやり口に感心した。


「姉さんは日女ひめ付きの侍女として一生を捧げるんだと思ってた」

 アルワンの言葉に、タヴィスも昔を思い出した。

「うん。職業経験キャリア積みまくって、てっぺん目指すって息巻いてたよ」


「他の男のものになるなんて聞いてないっ」

 言い切ったアルワンに、タヴィスは不穏を感じた。

「アルワン……、おまえ。変なこと、考えてないだろうな」


「変? ぼくが姉さんを愛していることがかい?」


(うわぁ)

 タヴィスは心の中で、ため息をついた。

「そうか。愛なの。思うことは誰にも邪魔できないけどさ。この場合、オユン姉さんが、『助けて』って言ったわけじゃないんだよな?」

「言えない状況かもしれないじゃないかっ」

 思わず、座っていた椅子からアルワンは立ち上がった。


「うーん」

 タヴィスは心配になってきた。アルワンは昔から、思い込んだら一直線な性格だった。

「オユンがいるところは、どこだ」

 椅子を立って、タヴィスは本棚から大陸の絵地図を取り出した。


「内海の向こう。山脈に向かって——」

 アルワンは、自分に広げられた絵地図を指でたどる。


「魔族の領域と接触しているじゃないか」

 人と魔族の棲み処を分けているのは、けわしい山脈だ。


「そうなんだ。その辺りの人間は、魔族と折り合って暮らしている」

「へぇ。興味深いな」


 争うよりも懐に入ることを選んだのだろう。魔族が、彼らの魔力と武力ちからをもってして干渉してこない今の世は、人にとってさいわいだ。

 

「今度、オレも、そのシャル・ホルスさまの城とやらに連れてってくれよ。オユンは九死に一生を得たんだな。運がよかった」

「よくないっ!」

 アルワンは全身で否定した。


「はいはい。秋休み、申請しとこう」

 かるくいなして、タヴィスはオユンのことを考えていた。はたして10年、どう生き永らえて来たのか。


 うっすらと夜は冷えてきた。

 タヴィスは、茶のお代わりを温め直すことにした。

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