35  タヴィス、おまえもか

 天文観測者であるタヴィスの秋休みの申請は、わりとすんなりと通った。

「帰ったら、きりきり仕事してもらうぞ」と、上司には一言、ちくりと刺されたが。

 タヴィスの休暇願の理由が、一度、自分の本当の父母の故郷を見ておきたいというものだったので。

 タヴィス・ツァガントルーが、孤児であったことは周知だったのだ。


 アルワンの休みの申請は直球だった。

「父上。オユン姉さんをみつけました。連れて帰ってきます。ゆえに秋休みをください」


 執務中のツァガントルー伯は、ゆっくりと書類から顔をあげた。

「オユンは死んだぞ。銀針ムング・ズーから見舞金も出ている」


「生きていたんですよ。ご存知でしたよね」

「存じているわけないだろう」

 互いに表面上は笑顔だ。

 この養父と言い合っても時間の無駄だと、アルワンはわかっている。「だから、休みをください。行って来ます」 で押し通す。


「わかった。ただ、仕事の手引書、作っていけ。オトウトどもがわかるようにな」


 10年前ならアルワンが弟だったのが、今や、兄の立場だった。

「わかりました」

 いずれ、ツァガントルー領を出ていく日もあるかもしれない。そのときのために、引継ぎは必要だ。



 アルワンが執務室を出た後、辺りに人の気配がないのをたしかめてから、ツァガントルー伯は机の引き出しの奥から天鵞絨びろうどの巾着袋を取り出した。

 重めで固い中身に沿った巾着袋は机の上に、ごろんところがる。ツァガントルー伯は、巾着袋の紐の結び目を解いた。中にあったのは氷の塊を思わせる、うす青の水精石すいしょうせきだ。

 両の手でころがすと、光か水のように石の中がゆらめいた。


「申し、申し。家令殿。あのですな」

 独り言のように、ツァガントルー伯はつぶやいた。

「わたしの不肖のせがれのひとりが、そちらに御迷惑をかけるやもしれません」


 ほどなく、石の中から声が響いた。

「申し、申し。先日、城に訪問されたアルワン御子息のことですかな」


(すでにやっちまっているのかい)

 ツァガントルー伯は半目になった。

「こちらとしては、いかにいたしましょう」


「今まで通り、知らぬ存ぜぬでよろしいでしょう」

 通話の相手はシャル・ホルスの城の家令、ハッロ・レカェケムだった。

「御子息のことは、こちらで対処いたしますよ。うるさかったらおけばよろしいですし」


「……よろしく」

 ツァガントルー伯は、やはり魔族を怒らせてはいかんなと肝に銘じる。

「ところで、この水精石すいしょうせき、便利ですね。どういった仕組みなのでしょう」


「魔法として、ごく限られた者で使用しております。ツァガントルー伯は、わが主、シャル・ホルスと面識があり顔認証をしておりますので、使用できるのですよ。ですから、他の者にとっては、ただのきれいな石です。安心してお使いください」


「ありがとうございます。これからもよろしく御配慮願います。そちらは秋の訪れが早いのでしょうな」

「そうです。そろそろ尾根に初雪が降ることでしょう」


 ツァガントルー伯とシャル・ホルスの家令の通話は、意外と、ほっこりと続いている。




 そして、アルワンとタヴィスは、オユンの生存を他のきょうだいには内緒にした。

 収拾がつかなくなるのは、彼らとて本意ではない。

 

 とにかく、シャル・ホルスの城のある荘園に近づくにつれ、転がるように田舎になっていくから、タヴィスは目を丸くした。

「こりゃ、秘境だね」


 位置関係としては、銀針ムング・ズー金杭アルタンガダスと、きれいな三角形を描く場所だ。その間に、砂漠やら山並みやら内海やらがあるが。

 さいわいなことに、男ふたりは体力に問題はない。ツァガントルー伯に子供のころから護身術から暗殺術、食べることのできる野草から少年団の野外生活の知識まで仕込まれている。


「その魔導士の荘園の村は、なんて名なんだ?」

「フフシル。ワシの谷を越えた向こう」

「いにしえで言う、人と魔族の境界線だった地だな。どちらともなく共存する道を選んだ地だ」

「そう言えば、タヴィス兄は、魔人の暦にもくわしいんだっけ」

星見ほしみには、いにしえの魔人の智慧が基礎にあるんだよ。無視できない」


「でさ」今日の行程は進んだので、アルワンの口調に余裕が出てきた。「まず、その荘園の差配人、ゼス・ドゥルゥをたずねる。シャル・ホルスとの交渉は、すべて、その人を通す約束だ。めんどうくさいけどね」


「現地の人間を敵にしてはいかん。アルワン」

 タヴィスは年上としての薫陶くんとうをたれる。


「わかってる。タヴィス兄が、いっしょで心強いよ。ぼくより姉さんと過ごした時間が長いだろ。姉さんの記憶が戻ればいいんだけど」そう言うアルワンに、(忘れた方がいいこともあるんだ)とは、タヴィスは口に出せなかった。


(そもそも、どうして、今、自分はオユンの元へ行こうとしているのか) 

 オユンが生きている、それだけでよかったじゃないか。


(でも、アルワンは危なっかしい。わたしは、オトウト代表として、姉の無事をこの目でたしかめる)

 それは言い訳で。


(オユンの口からたしかめたい。——もし、助けを求められたら? そのときは連れて逃げるのか?)


 オユンが生きている。それだけで、タヴィスの心は高鳴った。

 今さら遅いと自嘲するが、それでもたしかめたい。たしかめたいのは、オユンの気持ちだろうか。自分の気持ちだろうか。おそらくは、会えばはっきりとするだろう。そのときの自身の心に従おう。タヴィスは、そう思った。

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