27  帰り道寄り道

 一足飛びに移動をかける。

 それはシャルの氷結魔法だ。

 短ければ数分間、長ければ数時間、人は意識を失ってしまう。


 オユンにすれば、一瞬にして時間が過ぎてしまっている。

 今、いるのは馬車の中だということは、うすぼんやりした頭でもわかった。

 田舎道だ。舗装されていない、ガタガタとした振動と、時々、馬車の車輪が小石をはじく音がした。


 オユンは馬車の座席に座っている。

 向かい側の席に、ノイがいた。いまだ、おひめさまドレスのままだ。では、オユンの右側のぬくもりは、たしかめなくてもシャルだ。

 ひかえめに使っている塗香ずこうの香りでわかる。それは東方の香木、白檀びゃくだんを少量使った、めずらしいものだから。


 その香りを胸に吸い込んでから、オユンは、ぶちぶちと文句を吐き出した。

「旅の情緒とか、全無視ぜんむし……。遠くなる金杭アルタンガダスを馬車の窓から見ながら、しみじみしたかったです。サンジャーさんにも、お礼を言わないままになってしまったじゃないですか……」


「そんなに、サンジャーの誕生日の祝いの趣向が気に入ったか」

 シャルは、ずっとオユンに左腕を貸したままだったらしい。


「いや、30の連呼は2回までで十分」

「下着が色とりどりだったろう? あれだけの色を出すのは職人泣かせだったらしいぞ」

 相当、どこかの染織工房に無理難題の注文をかけたんだろう。


「奥方さまには、気分を直すにゃー」

 真向いに座ったノイの口調がふざけている。

 オユンの誕生日祝いに使ったネコのぬいぐるみを、ノイは馬車の中に持ち込んで自分の側に座らせていた。

「クッション代わりにゃー」


 見るとオユンのそばにも、ネコが数匹置いてあった。それで、馬車の振動が、いくらかやわらいでいた。

「わたし、どのくらい気を失っていました?」


「一晩くらいかナ」

 ノイが、んーと、人差し指をあごにつけて考え込む。


「即、城に帰るのも味気ないというのだろう。人というものは」

 シャルが左の腕に、ぐっと力を入れて、ぐぐっとオユンの視界を自分に向けさせた。

「あえて、こんな不便な旅もたのしいものだ。オユン、おまえといっしょなら」


 歯の浮くようなセリフだ。

 しかし碧眼へきがんで! 形のよい唇で! かすかに艶を消した声で言われると! 心臓に響いてしまう。


(くっ。美丈夫)

 オユンはこぶしを握りしめ、くうを仰いだ。


今宵こよいはエリゲという都市に一泊する」

 シャルはオユンの耳元でささやいた。

「エリゲですか!」オユンの顔が輝いた。


 オユンの頭の中には、大陸の地図が入っている。

 たしか、エリゲは古代より交通の要所で、東西の人と商品が行きかう市場のある都市だ。

 日女ひめ付きの宮廷家庭教師になってからというもの、気ままに出かけたことがなかった。おしのびで、祭りの日に出かけたぐらい。日女付きの御役目というのは給料のよい分、制約が多かった。


「エリゲの名物を食べてみたいです。あ、串焼きとか気軽なものです。子供の頃に食べた、お祭りの屋台で売っているようなもの、ときどき無性に食べたくなるんですよね」

 早くもオユンの心は、わくわくした。


「わたしは、おまえのくちびるをみたい」

 シャルが、唐突にささやいてきた。

「えーと。今夜のお宿は、どんなところかしら」

 オユンは無視した。

「もう寝台のほうの心配か」、シャルが目をほそめた。「心配しなくても、今夜はわが胸で眠らせてやる。いや、眠れないのか」

 シャルの言葉にオユンは白目がちになり、責め口調になった。

「ノイも、いっしょの部屋なんですよ!」

 精霊であるノイは、ほぼ人に視えない。だから別に部屋を取ることできない。


「奥方ぁ」ノイはひときわ甘い声で、かすかに笑った。「ノイを子供扱いしなくて、イーんだヨ」

 精霊は見た目より、ずっと大人だ。魔族と同じに長命だ。その生も死も人には計り知れない。

「ノイねー。●●も●●もできるんだヨー」


 なんか、すごい語句を聞いた。

 オユンの辞書に載っていない語句だ。


「知りたいー?」

「ウゥン」オユンは、ぶんぶん、頭を横にふった。



 その、ちょうどよいタイミングで馬車は止まった。

 馬車の扉は外から開かれて、現れたのはサンジャーだった。

「お疲れさまでした。シャル・ホルス御夫妻。まだ、日も高いですし、市場ザハ見物はいかがですか」 


「わっ! なんで、ここにいるんです!」

 金杭アルタンガダスにいるはずのサンジャーが、なぜに?

 オユンは本当にびっくりした。


「わが放浪周期ですな。それに、シャル・ホルスご夫妻には、気心の知れた案内役が必要かと」


 サンジャーは金杭アルタンガダス大店おおだなの主であるのに生来の気質が頭をもたげ、放浪したくなるのだという。


「各都市の商人との顔つなぎも兼ねております。新しい商売にもつながります」

「なるほど」

「それに、私が同行した方が世俗感がましますからな」


 オユンが怪訝けげんな顔をすると、サンジャーが破顔した。

「シャル・ホルスさまは浮世離れしていらっしゃるし、奥方さまも、うるわしい。ひとり私のような、むさ苦しい者が御一緒しておれば災難除けになりますので」


 ボディガード役を買って出たということらしい。

(でも)

 オユンは心の中だけでつぶやく。


(シャル・ホルスは魔導士。わたしは、そこいらのチンピラぐらいなら負けない。そのうえ、たいがいの人には見えてないけど、ノイって、きれいなだけの精霊ではなさそうだし)


 けれど、サンジャーの好意はありがたいものだった。


市場ザハには軽装で出かけましょう」

 あっという間にサンジャーは、シャルとオユンの身支度一式を用意した。本当に気が利く。


 そして、そこそこ、よい身なりの町人家族といった風情の夫婦が仕上がった。それにしても、銀の髪と碧眼へきがんのシャルの美貌はかくせないのだが。


「フードを目深にかぶっていただきましょうかね」

 サンジャーが、シャルの着こなしに少し手を入れた。

 オユンには何の助言もないとは、どういうことだ。


 茶がちな髪と瞳。二度見するほどの女ではないだろう。しかし、きめこまやかな肌は持って生まれたものとしても、日差しの下で働く労働者階級の女とはちがう。

 近くによって、しげしげと見たなら、その知への探求心と、こんこんと湧く泉のような生命力が、その女にあふれていることに気づくはずだ。


「さぁ、行こうか。奥方」

 シャルは左腕をオユンに差し出した。

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