23  精霊が行方知れず

 気がつくと、ノイがいなくなっていた。


「そのへんを、ふらふら見物しているのではないか」

 シャルは心配はないという言い方をする。


「ですけど」

 ノイがいない。どのへんから、いなかったのだろう。

「そーろそろ、帰りーましょうぅぅぅかー」

 オユンはやしきに向けてボリューム抑えめにだが、言ってみた。

 返答の気配はない。

「ば、馬車の中?」

 さっき、中を見渡した。もちろん、いない。


「先にサンジャー邸に帰ったんじゃないか」

「ひとりでノイが帰るなんてありえません。あの子、いつも、わたしのことを陰から見てるタイプなんですから」

 心配が、オユンの胸に押し寄せる。

「変です」

「たしかに変だな」


「なにかお探しで」

 挙動不審のオユンとシャルを、サンジャーが見ていた。

「あの、連れの者がいなくなって」

 白状するしかない。オユンは、そう判断した。


「連れ」

「召使いを連れてきていたのですけど」(お見かけじゃないですよね)

 サンジャーは当惑した表情になっていた。

 それはそうだろう。彼はシャル・ホルス夫妻しか迎えた覚えはないのだから。だが、深くは聞いてこない。サンジャーの人柄だ。


「——ひとまずは戻ろう」

 シャルがオユンに耳打ちしてきた。

「でも」

「腐っても精霊だ、ノイは。自分で何とかできる」


 月を背に黒いシルエットとなったコレクター邸を、遠のく馬車からオユンはふりかえった。

(あのやしきの中に、ノイは、まだいるはず——)



 サンジャー邸に戻ったところで、オユンは、まんじりともできない。

 コレクター邸での出来事を巻き戻して思い出してみる。

 馬車を降りるまでは、ノイはいた。

やしきに入った後は?)


 コレクターの邸は玄関を入ると、広い聖堂のような空間だった。そこから、各部屋に入っていく。部屋には扉はない。上階に続く螺旋らせん階段があったか。

 ノイは何か気になる品があって、横道にそれたのかもしれない。

(もう一度、やしきに行ってみれば)


 今、シャルは部屋付きの風呂に入っている。裕福な家にある、お湯をバスタブに張るタイプの風呂だ。

 オユンは、そっと脱衣所にしのびこむと、シャルが脱いでいたチュニックを手元にひきよせた。



 そして、月が中天に輝く時刻のことだ。

 灰色の長衣ちょういのオユンの影が、夜の街を横切って行った。

 誰にも見られずにサンジャー邸を抜け出してきた。

 金杭アルタンガダスの城壁都市の位置図は、オユンの頭の中に入っている。馬車で行って帰ったから、より明確にコレクターの別邸への道筋は覚えた。

 サンジャー邸は商業地区にあって少しは夜の店も出張っていたが、住居地区へ進むにつれ通りの明かりは少なくなっていく。


(暗闇は怖くないと言ったら、うそになる……)

 しかし、オユンにとっては森の暗闇よりは、ましと思えた。城壁都市にクマやオオカミは出ない。


(さてと。でも、ここからはどうしよう)

 コレクターの別邸にたどり着いたものの、もちろん門は開いていなかった。

 さきほど、すでに塀は乗り越えた。今、別邸の玄関の脇である。

(ひっさしぶりだけど。できるかしら)


 やしきの石壁は遠目に見れば平らに見えるが、たがいちがいに石を積んであるため、でこぼことして足がかりにできないこともない。オユンは、わずかな出っ張りに指をひっかけると登りはじめた。

 そして、身体からだが覚えているというのは本当だった。オユンはコツを思い出すと一気に登り切った。

 壁の小さな突起の上で、いったん様子を見る。

 そこには小さな縦長の明かり取りの硝子窓がついている。吹き硝子ガラスで作った瓶の底のような丸いガラス板が鉛線でくまかれて縦に横に五列、縦に、その倍以上連続しているロンデル窓があった。硝子ガラスの面はゆらぎ、中の様子はうかがえない。

 月夜であるのも、あだとなった。


(こういう建物には、どこかに秘密の入り口とかあるものだけど)

 詰まった。

 やっぱり、建物への侵入というのは玄関の見張りをぶんなぐって正面突破するものなんだ。

 ためいきをついているオユンの背中を突然、寒気が襲った。


「わが奥方はサルだったのか」

 その声。

 オユンは、ふりかえりたくなかった。

 だが、もう、身体が拘束されていた。

「シャ、シャル……」


 シャル・ホルスは、氷結の魔道師は空中に浮いて、黒い長衣ちょういをまとっていた。その腕で、オユンの腰に手をまわしていた。

「わたしの服をかっぱらって行ったな」


「はい……。ドレスで建屋侵入は無理だと思ったので」

 オユンは観念して正直に話した。

「その前に終わってる。見張りは、わたしの氷結魔法で動けなくしているから、ここまで来れてるんだぞ」

 あのな、というようなシャルの息がオユンの首筋をくすぐる。

「えっ。まさか、最初からついてきてたんですか」

「塀にはりついたところからだ」

 話しながら、ゆっくりと二人は地面に戻った。

「見張りが凍っているうちに中へ入る」


 たしかに男が3人ほど、地面にころがっていた。

 シャルは、その倒れた男たちの腰のあたりをまさぐっていき、ひとりから鍵がついた鍵束をむしり取った。

 それから、いちばん大きい鍵をやしきの扉の鍵穴に差し込む。かちりと手応えはあった。

「あたりだ」

 難なく扉は開いた。

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