21  滑舌が悪かった

 サンジャーの一族は布地の行商から財を成した一族だという。

 当初、サンジャーは三男で実家を継ぐ立場になく、親戚の家に養子に入っていたが、長男、次男と不幸が重なり跡取りとなったそうだ。


「ただ、自由にしていたころの癖が抜けませんで」

 時々、ふらりと遠くへ行きたくなるそうだ。

 シャルが領地としている集落の辺りは浮世離れした僻地へきちで、お気に入りなんだという。


「祖父の大ヤフ・チャールも、そう言っていた」

 なつかしそうにシャルは目を細め、子供っぽく口をとがらせた。シャルの癖だろうか。


 そして、サンジャーの店は基本、業者相手の卸売りをしている。目抜き通りからは一本入った道筋にあり、荷馬車が留められる余裕ある道幅に面した店で、城塞都市の輸送馬車専用の北の門にすぐ出られる、商売には一等地だ。

 その店舗を兼ねる屋敷は石造りの層をなす立派な建物で、3階が住居となっていた。そのゲストルームにオユンたちは間借りする。ノイもいっしょの部屋だ。


「やっぱり、ノイのことはえてないのね」

 オユンは部屋のダブルベッドを見つめた。

「ベッドは、ひとつしかない」

 ただし裕福な商人基準だから、大人3人が横になれる広さではあった。


「川の字ってヤツで寝よー」

 ノイは楽しそうだ。

「奥方が、まんなか」


「オユンは左端。まんなかはわたし。ノイは右端だ」

 シャルが言い渡す。

「ちぇっ。それじゃ、ノイは奥方の乳をもんだりできないじゃないか」

「だからだ」

「アルジのを、もむしかないー」


「今からでも、もうひと部屋、もらえないんですか」

 オユンは自分が、その部屋に行こうと考えた。


えない精霊のために一部屋くれと? それに、わたしたちは新婚なんだぞ? 蜜月の夫婦が寝室が別なんてありえないだろ」

「そ、そうでした」

 寝室を別にしたいなんて、どちらが言い出したことにしても、いたたまれない。


「じゃあ、約束しましょ」

 オユンが提案する。

「ノイは誰ももまない」

 オユンの神妙な言いように、素直な瞳でノイはうなずいた。

「うん。もまないヨ。それで奥方は何を約束する?」

 それは考えていなかった。


「じゃ、これー」

 寝台の側にある本をノイは手に取った。

「寝る前に本を読んで。奥方、城で本を読んでた。ノイも読みたい」

「あれは実は読めていなかったんだけど……。わかった。オユンはノイに本を読むね」

 これで誰も、もまれないですむ。


「おい。わたしは蚊帳かやの外か」

 シャルが不満げに、こちらを見ていた。

「わたしにも何かしろ」

「え」

 あきらかに、シャルは期待に目を輝かせている。

「——では、この旅の間、いっとう先に『おはよう』と言います」

 オユンは、かるいボールを投げた。

だ」

 投げ返される。

「毎日、いっとう先にを」

 口に出すと、いっそう恥ずかしくないか。

「よろしい」

 シャルは満足げだ。

「ノイも」精霊が割って入った。

「却下」



 3人で、そういうやりとりをしているところへ、サンジャーがやってきた。

「着いた早々に申し訳ないことですが」

 サンジャー言うことには。

「ご贔屓ひいきさまが、今日のうちに古銭をたしかめたいと。まことに申し訳ない」


 こんい意の客にいなとは言わないのが商人だ。


「おまえたちが、せっかちなのは承知している。なにせ、はかない命だからな」

 シャルは鷹揚おうように構えてみせた。

「付き合う」


「ありがたきしあわせ。よろしければお着替えは、こちらでご用意いたしましょう」

 サンジャーが申し出てきた。

「おお願いします!」

 オユンが、ずいと前に出た。サンジャーが、(壺1個と氷、持ってきて、なんで旅支度はなし?)と、自分たちのことをあきれているんじゃないかとオユンは心配だった。

淑女系しゅくじょけいで願います。下着も!」


「リクエストが過ぎるぞ。奥方」

 シャルに引き戻される。

「迷惑をかけるなぁ。サンジャー殿。くみ取ってやってくれ」


「いいえ。いいえ。とりそろえておりますよ。しばし、お待ちを」

 サンジャーは、にこやかににうなずくと部屋を退出していった。


 そして、30分もたたないうちに召使いが、オユンのために頭から足の先までコーディネートした衣服を持ってきたのだが。

「なんでっ!」オユンはのけぞった。「ドレスはいいとして! なんで、下着が紫! それも! ひらひらレース!」

 うやうやしく召使いが持ち込んだ運び盆に広げられていたのは、灰色のドレスに、紫の下着だった。


「たぶん滑舌かつぜつの問題だな。おまえの言った言葉は、熟女じゅくじょ系と聞こえた」

 シャルが、にやにやと指摘してきた。


「わたしは淑女しゅくじょ系と言いました!」

「それでは、サンジャーの耳が悪かったんだろうよ」


「下着は返品不可だからね。着てごらんヨ。似合うかもヨ」

「ノイまでっ」


春告げの花ヤルグイの色と同じゃないか」

 シャルが言う通り、あの野原に咲いていた花と同じ色ではある。


「そ、そう?」

 オユンは、ひらひらショーツを、おそるおそる手に取る。試着はする。してみる。そして、「まったく、ショーツとしての本来の役目を負っていない!」

 わかっていたことを気づくのだった。

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