15  死んだことにされた

 夜中に帰って来たシャルは、オユンの実家に行ったと、たしかに言った。


「ツァガントルー領に行ったの⁉」

銀針ムング・ズーの紳士録に、ちゃんと載ってたから。訪ねた」

「いきなりですか!」

「いや? ちゃんと呼び鈴を鳴らした」

「それを、いきなりと人は言いますけど?」

 オユンは大困惑だ。


「『このたび、娘さんをさらいました魔導士のシャル・ホルスです』って言ったら、驚いていた」

 それはそうだろう。


「何しに」

 オユンは、ぎゅうぅと胃が痛くなってきた。


十二日女じゅうにひめ随行ずいこうに当たっての違約金がどうとかって、心配していたじゃないか」

 たしかに。

「違約金は発生していなかった。オユン・ツァガントルーは砂漠で魔物に襲われた。十二日女じゅうにひめをかばって殉職じゅんしょくしたことになってた」


「し死んじゃったの、わたし」

 想定外だった。誘拐されたと届けがなされて、もしかしたら捜索隊とか出してもらえるんじゃないかと期待していた。


銀針ムング・ズー金杭アルタンガダス両国からお見舞金が実家に贈られたって。だから——」

「だから」


「オユンは死んだことにしておこうって。義父上おとうさんが」

 いつの間に、おとうさん呼び。


 にしても。

「そうだった。ツァガントルー父さんって、けっこう計算高い人だった……」

 オユンは両の手で顔をおおった。


「娘思いの人だと思ったけど」

「どこがですか」

「オユンが十二日女じゅうにひめの元に戻ったとしても、魔物にかどわかされて慰み者にされた女と好奇の目にさらされることになる。そんな生きづらい人生を送らせるぐらいなら、魔導士どのに一生、添い遂げさせてやってくれって。年に一度くらい、金貨一袋でもたずさえて婿むこどのが挨拶に来てくれれば、うれしいなって」

「最後、金の話になってません?」


「このことは、婿むこどのと、わたしと、ふたりのですよ。ですよって。義父上おとうさんが」

 約束、という言葉を、飴玉のようにシャルは舌で転がした。なんて約束が好きな男なんだろう。



 オユンは、数日を気が抜けたように過ごした。


 宮廷家庭教師オユン・ツァガントルーは、魔族の男に襲われ、ひとかけらの遺骸も残さなかった。銀針ムング・ズー日女ひめを守り抜いたのだ。たたえよ。その生きざまを。


「わたし、生きてますけど~~~」

 オユンは城の窓から山脈に叫んだ。

 ますけど~、ますけど~、と、こだまが返ってきた。


「おまえは一度、死んで息を吹き返したのだ」

 オユンのうしろでシャルが、ほほえんでいた。


「ウルグンを祖とするシャル・ホルスの妻。それが君の新しい名だ」

 そうして、ひざまずき、オユンの左手の薬指にキスをする。

 その冷たい吐息に、さっと手をオユンがひっこめたときには、きゃしゃな指輪が、左手薬指にはまっていた。

「約束しよう。銀針ムング・ズーの次の代の日女ひめが育つまでは、わたしの妻だ。とこしえの愛を誓う」


「大真面目に言ってますけど、おかしいです」


 シャルはオユンの両手をとった。

 その両手の甲に、キスの小雨を降らす。

 ぱちぱちと冷たい泡がはじけた。


(この男は魔族だ。魔法をあやつる魔導士)


 見た目は好ましいとも思える。しかし、精霊と同様、〈見たいように見えているのではないか〉という恐れが、なきにしもあらず。


 それなのに、シャルから目を離せなくなっていく自分が、オユンは、いちばんこわかった。

(自分の精神は今、とても不安定だ)


 オユンの不安にゆれる瞳を知ってか知らずか、シャルはオユンが今度は手を引っ込めなかったので、ぐいと引き寄せて、その腰を抱いて今度は首筋にキスを落としてきた。

 さすがに、敏感な首筋はかんべんしてほしい。

 身をよじったオユンに、やり過ぎたと悟ったシャルは、おとなしく引き下がった。


(わたしはどうしたい?)


 自分の積み上げてきた人生に戻る道は断たれた。それをやったのは、今、目の前にいる、この男だ。忌々いまいましい。


 本当に。

忌々いまいましいことに、そのくちびるに、わたしはキスしたくてたまらない)


 少し、つまさきだってオユンはシャルの胸元にしがみついた。

 キスは届かなかったが意図は届いた。

 シャルは今日いちばんのほほえみを浮かべて、オユンのほおに手を添えた。



(ええぃ。生き直すだけよ)


 オユンの人生は流されているのか。自身で泳ぎはじめたのか。

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